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初夏の西の夜空は、怪獣たちの棲むところ?

  • 2022年5月13日
  • tenki.jp

さわやかな新緑の季節です。地上ではスイカズラやタチバナ、ジャスミンなどが鮮烈に薫りを放つ中、東の空は既に夏の装いに様変わりし、さそり座のアンタレスの赤い妖光も現れ始めています。
かたや沈みゆく側にある南から西の空は、春の大曲線の波形に押されるように、春の星座の主役たちが名残の輝きを見せています。それらは、神話では英雄ヘラクレスと激突し、屠られた太古の怪獣たちに見立てられているようです。

英雄ヘラクレスと死闘を繰り広げた魔獣たち。初夏の空で見頃です

黄道(太陽が天球上を一年かけて移動する軌跡)は、春では日没頃がもっとも高度が高くなります。ですから、宵の口の早めの時間に空を見ますと、沈みゆくふたご座を先頭に、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座の描く弧が、西から南、東へと高く連なっているのを見ることができます。そして、この黄道十二星座に寄り添うように長大な星座域を見せ、全天一の大きさ(空に占める割合の広い)を誇るモンスター星座・うみへび座の全容を観察できるのは、ちょうど今の時季の午後8時頃です。
かに座としし座、そしてうみへび座には、古代の英雄で天帝ゼウスの血を引くヘラクレスと戦い敗れて空に上げられた、という共通の神話があります。

ミュケナイ王の姫として生まれたアルクメーネー。天帝ゼウスは、出征中のアルクメーネーの夫に化けて一夜をともにしました。身ごもったアルクメーネーは神の血を受け継ぐアルカイオス(のちのヘラクレス)を出産しました。しかし、ギリシャ神話のお約束で、ゼウスの正妻・ヘーラーの嫉妬を受けて、このゼウスの落とし子の人生は苦難の連続となってしまいます。
18歳のときには牛殺しの獅子を素手で倒すなどの武勇を示したアルカイオスは、ミニュアース人との戦の後、ヘーラーの呪詛により正気を失い、二人の妻との間に設けた子供たちを火中に投げ入れて殺してしまいます。アルカイオスは、自らに追放の罪を課し、デルポイ(聖域または神託所)のピュートーの巫女によって「エウリュステウスに十二年間奉仕し、命ぜられる10の仕事を行いなさい。功業を成し遂げた後、貴方は不死となる」という預言とともにヘラクレス(Ηρακλής Hēraklēs ヘーラーの栄光の意)の名を授かり、ミュケナイ王エウリュステウスに遣えることになります。彼は、ヘラクレスが本来ゼウスにより約束されていたミュケナイ王の地位を、ヘーラーの奸計により代わりに与えられた因縁の人物です。ヘラクレスはエウリュステウスに命ぜられるまま、人間業では到底不可能な10の難行(このうち2つの功業を無効だと断ぜられて、最終的に12となり、『ヘラクレス12の功業』として伝わることとなります)を次々に行っていきます。

最初に命じられたミッションこそ、「ネメアーの獅子の皮を取ってくること」でした。ネメアーの獅子はスフィンクスの兄弟とも伝わり、いかなる攻撃にも傷つかない無敵の毛皮を持つとされ、ヘラクレスの繰り出す武器による打撃では効果がありませんでしたが、ヘラクレスは組みついて三日三晩首を絞め続け、ついに倒しました。

二番目に命ぜられたのが「レルネーの水蛇(ヒュドラ)を殺すこと」でした。ヒュドラは九つの頭を持ち、真ん中の頭は不死という化け物です。ヘラクレスは火矢を放ってヒュドラを水から誘い出し、こん棒で次々と頭を砕きますが、打ったそばから再生するために苦戦します。このとき、ヘーラーの命で水の中から一匹の巨大な蟹が現れてヒュドラに加勢して、ヘラクレスの足を挟みつけました。
大ピンチとなったヘラクレスは双子の兄弟イオラーオスに助けを求め、イオラーオスは森に火をつけてその燃え木でヒュドラの首の付け根を次々に焼いたので再生が止まり、ヘラクレスは足を挟んでいる蟹を踏み砕き、ヒュドラの不死の頭は切り取って土に埋め、重石を置いて封印しました。

英雄ヘラクレスと死闘を繰り広げた怪獣たちが春の空に集結!
英雄ヘラクレスと死闘を繰り広げた怪獣たちが春の空に集結!


新緑の初夏、西へと駆け去ってゆく無敵の獅子

かくして、このヘラクレスの第一と第二のミッションで登場した無敵の獅子、不死のヒュドラ、巨大蟹という三頭の怪物は、それぞれ空に上げられて星座となった、とされています。筆者は子供のころから、正義のヒーローよりも、何をしたわけでもないのに攻撃されてやられてしまう怪獣たちに共感してしまい、彼らが一群のようにかたまっている空の一角を格別な思いで見上げてしまいます。
では、それぞれ見ていきましょう。

しし座(Leo)はトレミーの48星座の一つであり、十二獣帯の一宮としても有名な、春の星座の王様です。形としては、すっくと上がった頭、跳ね上げている前脚、力強く伸びた後ろ脚、ほれぼれするような端正な図像をなす名星座と言っていいでしょう。
α星レグルスは、全天21の一等星の一つとして、爽やかな青白い輝きを放ち、β星デネボラは、うしかい座アルクトゥルス、おとめ座スピカとともに「春の大三角」を形成します。
また、獅子の前脚の付け根(レグルス)から頭にかけての逆ハテナマークのような形は、古来「獅子の大鎌」の別名もあり親しまれてきました。日本では、この大鎌を「といかけ星」と呼んできました。「問いかけ」の意味ではなく、雨どいを支える止め金(フック)=樋掛けの形になぞらえたもの。日本の星座名は、こんな風なささやかなものが多いのですが、生活に密着していて味わい深く親しみを感じさせます。「といかけ星」もまた、軒ごしに、星座を見上げていたであろう昔の風景がありありと浮かびます。

ネメアーの獅子退治が有名ですが、古来この美しい星座はライオンと重ねられてきました
ネメアーの獅子退治が有名ですが、古来この美しい星座はライオンと重ねられてきました

神秘のかに座と雄大なうみへび座。親友同士は今も空で寄り添っています

かに座(Cancer)は、しし座のすぐ右(西)隣に位置し、しし座とともに十二獣帯の一宮ですが、もっとも明るい星でも3等星で、空の透明度が低い都市部ではほぼ見ることができません。しし座のレグルス、反対側のふたご座のポルックスとカストル、こいぬ座のプロキオンといった周囲の目立つ星に囲まれた空間に、ぼんやりとした小さな台形と、そこから伸びる三本の足で形成される星座です。中心の台形の内側に、600近い星が集まる散開星団「プレセペ(Praesepe)星団」が存在し、見えるか見えないかほどのそのぼんやりとした雲のような天体を、中国では積尸気(ししき)といい、死者の魂が昇り集積する場とされました。そしてかに座に当たる付近を、二十八宿では「鬼宿」と呼びました。明るい星が周辺にある中、この暗い領域は確かに沼底のように見え、そこに大きな蟹が潜んでいるというイマジネーションは神秘性を感じさせます。

そのかに座のすぐ左下から始まって東へと伸びるうみへび座(Hydra)は、頭の先から尻尾の末端まで、102°もの長さで横たわる大星座です。ですから、頭は冬の大三角をなすプロキオンをα星とするこいぬ座に、尻尾はてんびん座、ケンタウルス座、さそり座といった夏の星座たちと隣接しています。頭が空の上に出始めてから尻尾まで出現するのに6時間もかかるという、なんとも雄大な星空の大怪獣です。
ギリシャ神話におけるヒュドラは、そのまま日本神話のヤマタノオロチとほぼ同じなのですから、和名を「大蛇(おろち)座」にしたらよかったのにと思うのですが、なぜ「うみへび」になったのかは不明です。あるいは、日本神話を海外の神話にあてはめるのはよろしくない、という考えがあったのかもしれません。大蛇の心臓ともされる、うみへび座でもっとも明るい2等星アルファルド(Alphard)は、アラビア語で「孤独な者」の意。橙色に輝く変光星で、まさに心臓の鼓動のようにも見えます。
「孤独な者」と言われながらも、頭付近には、親友だったとも伝わる巨大蟹のかに座が、今も蛇を守ろうとするかのように目立たず控えているのが、何ともいじらしくも見えます。ヘラクレスによる奇妙なヒュドラ・巨大蟹退治の物語にも、あるいは大昔の名もない民族が、力のある集団に蹂躙された歴史が隠されているのかもしれません。

箱形の星に囲われたかに座プレセペ星団。プレセペとは「飼い葉おけ」を意味します
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(参考・参照)
星空図鑑 藤井旭 ポプラ社
ギリシア神話 アポロドーロス 高津春繁訳 岩波書店

ヘラクレスに「退治」された怪物たちが星座に…星の神話とは敗者への慰霊?
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