濃い青色の海で、生後1カ月のザトウクジラが母親に甘えている。そのとき、まるで発煙筒のように、黄色の尿が水中に噴き出し、すべてが緑色に染まる。この動画は、健康な海にとって重要なクジラの尿に関する新たな手がかりだ。
科学者たちは長年、クジラが餌場の深海から浮上し、海面付近で排せつする際、クジラの糞に含まれる栄養が浅い海の生物にもたらす恵みについて考えてきた。しかし、もうひとつの重要な栄養源を見落としていた。尿だ。学術誌「Nature Communications」に3月10日付けで、この知識の空白を埋める研究結果が発表された。クジラの尿も海洋生態系の繁栄に不可欠だとわかったのだ。
「この研究における大きな驚きは、クジラの尿がほかの窒素源(死骸など)をはるかに上回ると判明したことです」と論文の筆頭著者である米バーモント大学の保全生物学者ジョー・ローマン博士は話す。また、クジラは繁殖期になると、栄養豊富な糞をあまりしなくなるが、それでも排尿はする。
ヒゲクジラ類は基本的に、窒素とリンを極地の餌場からそれらの元素が不足している熱帯の繁殖地にもたらす。窒素とリンは海の動植物にとって不可欠な栄養素だ。
今回の研究では、コククジラ、ザトウクジラ、シロナガスクジラなどを含むヒゲクジラ類が尿、死骸、胎盤を通じて海にもたらす栄養を分析した。なかでも回遊パターンがよく知られているコククジラ、ザトウクジラ、セミクジラ、タイセイヨウセミクジラ、ミナミセミクジラについて詳しく分析したところ、低栄養の海域に合計で窒素3784トンと有機物4万6512トンを供給していると推定された。窒素のほとんどは尿に由来する。
夏の間、クジラは栄養豊富な極地で餌を食べて大きくなる。その後、繁殖のため、熱帯の暖かい海に移動する。
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一般的に、熱帯の海は低栄養だ。冬の繁殖期、クジラたちは脂肪と筋肉に蓄えたエネルギーを頼りにする。これらを分解し、エネルギーを放出する過程で、水分と老廃物が生成される。これが尿だ。
「それが、彼らが窒素を排出している理由です」とローマン氏は言う。
ローマン氏によれば、この巨大な哺乳類はまた、100キロほどある胎盤、さらには死骸を通じて、エネルギーと栄養を環境中に放出している。そして、全体として、これらの排せつ物は気象のような自然現象よりはるかに多くの栄養素を移動させている。
「米国のハワイなど、風や海流によって運ばれる量より多くの窒素をクジラがもたらしている場所もあります」とローマン氏は言う。
クジラの尿には、窒素とリンが高濃度で含まれている。
「これらの栄養素は海面で植物プランクトンの成長を促し、深海の生態系も豊かにします」と米アラスカ大学サウスイースト校の海洋生物学教授であるハイディ・ピアソン博士は話す。なお、ピアソン氏は今回の研究に参加していない。
これらの元素をそれが不足している生態系にもたらすことで、クジラは海全体を健全に保っている。
商業捕鯨によって一部の種が絶滅寸前に追い込まれる前、クジラが移動させるこれらの元素の量は3倍ほど多かったと研究チームは推測している。
「一部の群れはいまだに、商業捕鯨の影響から回復していません。また、ほとんどのクジラが船舶との衝突や混獲、汚染、気候変動など、無数の脅威にさらされています」とピアソン氏は述べている。
「海は、部品がさびた古い車のようなものです」と研究を支援した「クジライルカ保護協会」の政府間関係責任者エド・グドール氏は言う。「クジラは海をよく手入れされた車のように機能させていましたが、私たちはその重要なプロセスを取り除いてしまいました」
回復力があり、健全な海洋生態系を望むのであれば、クジラを守らなければならないとピアソン氏は断言する。「クジラのふんや尿がなければ、海は全く違う場所になっていたでしょう」