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欧州の見事な古地図と世界観、「異端と言えるほど過激」な地図も

  • 2024年11月15日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

欧州の見事な古地図と世界観、「異端と言えるほど過激」な地図も

 地球と星にまつわる謎に魅了されてきた人間は、太古の昔から、探求の成果をさまざまな形で記録してきた。2世紀中頃、エジプトの学者クラウディオス・プトレマイオスが、地図上の位置を表すのに等しく分けられた経緯線を使って地理学に革命がもたらされた。16世紀には地理学者ゲラルドゥス・メルカトルが3次元の地表を2次元に表現する独自の投影法を考案。この「メルカトル図法」は、今でも多くの世界地図で用いられている。

 中世ヨーロッパ(西暦500年頃〜1500年頃)の世界地図は、航海のためと言うより、「人間の知識を視覚的にまとめたものだった」と、地図製作者のピーター・バーバー氏は言う。18世紀末までは米国のカリフォルニアが島として描かれているなど、今見ると思わず笑ってしまうような間違いはあるが、細部にいたるまで驚くほど正確に描かれている部分も多い。

 2023年秋に立ち上がった「Oculi Mundi(オクリ・ムンディ、ラテン語で「世界の目」の意)」というデジタルプラットフォームのおかげで、こうした珍しい古地図をオンラインで見られるようになった。公開されているのは、13世紀から19世紀初頭にかけてヨーロッパの学者が細心の注意を払って描いた地図を集めた「サンダーランド・コレクション」で、地図製作法の進化をはじめ、過去の文明の歴史観や芸術的偉業に触れることができる。

天動説の下、てこで地球を動かす天使たち

 長い間、地球は宇宙の不動の中心であり、太陽やその他の天体は地球の周りを回っているというプトレマイオスの天動説が信じられてきた。しかし1532年に神聖ローマ帝国の地図学者セバスティアン・ミュンスターが製作した地図には別の考え方が描かれている。天使たちがてこを使って地球を動かしているのだ。

 Oculi Mundiを管理するヘレン・サンダーランド・コーエン氏は、ミュンスターが描いた地図は、繊細ながら画期的なものだったと指摘する。「当時としては異端と言えるほど過激な地図だったと思います」

次ページ:注目すべき2つの地図

 丸い地球を平面に描くことは地図を作る者にとって難問だった。この問題を解決するため、イタリアの版画家ジョバンニ・チメルリーノは1566年に、南北米大陸を含め世界をハート型に描いた。

 地球は他の惑星とともに太陽の周りを回っているとする地動説がまだ議論の対象だった1660年、アンドレアス・セラリウスは星図の最高傑作の一つとされる「大宇宙の調和」を製作した。この星図からは、昔の地図製作者たちが宇宙を描こうとした、緻密で大胆な努力の跡が見て取れる。

注目すべき2つの地図

 古地図には製作者の文化的、政治的先入観が反映されている場合が多い。支配者の権力や影響力を示すために、国の領土や特定の交易ルートを誇張して描くなど、地図は単に航海の道具ではなく、力を誇示するための、さらには教育やプロパガンダのための道具でもあった。

 Oculi Mundiが網羅している時代のなかで最も重要な探検の1つは、1492年のクリストファー・コロンブスによる南北米大陸への航海だ。地図製作者ヨハンズ・ロイスは、世界地図「Ptolemaic Atlas」の中で南米を「Terra Sancta Crucis sive Mundus Novus(聖なる十字架の土地あるいは新世界)」と呼んでいる。これは米大陸が印刷された最初の地図の1つだった。

 現代の基準からすると、この地図は必ずしも正確ではない。しかし「“新大陸発見” の興奮と、それが何を意味するのかを判断しようとする人々の困惑ぶりが伝わってきます」と、バーバー氏は言う。

 もう1つの注目すべき地図が1603年にフランドル人地図製作者アブラハム・オルテリウスが手で彩色した世界地図だ。「これは現代の意味における最初の世界地図で、物事を地理的に正確にとらえた最初の重要な一歩です。今の世界地図と同じように、世界を地理的に系統立ててまとめてあります」と、サンダーランド・コーエン氏は言う。

次ページ:地図は「どう妥協するか」

 このオルテリウスの地図は、私たちが現在慣れ親しんでいる最初の近代的な世界地図であるうえに、当時南半球に存在すると推測されていた大陸「Terra Australis nondum cognita(南にある未知の土地)」も描かれていた点も意義深い。

 オルテリウスは、当時の考え方に基づいて存在すると信じられていた南の大陸を、地図に反映したのだと、米サザン・メーン大学で地図学史の教授を務めるマシュー・エドニー氏は説明する。

 17世紀初め、ヨーロッパ人はオーストラリア探検に乗り出した。しかし南極大陸に近づくには、頑丈な船ができる19世紀まで待たなければならなかった。オルテリウスが描いた南の広大な土地は「間違いではなく、世界を理解しようとした歴史を表しているのです」とエドニー氏は言う。

地図は「どう妥協するか」

 サンダーランド・コーエン氏は、歴史的な地図の正確さを理解するには、地図が描かれた背景を考慮する必要があると言う。「なかには、地図そのものが間違っているわけではなく、ただ広大な地理的領域や概念を表現しようと試みているだけというケースもあります」

 学者や地図製作者は自分たちが持っている情報に基づき、強調すべきだと考えた点を強調していた。例えば、製作者がある特定の交易路について詳しく知っていれば、地図上でもそれが目立つように描いた。

「たいていの場合、新しい地理的特徴は、まず1人の地図製作者の地図で紹介されました。するとほかの地図製作者たちはそれを見て、情報源と描写が信頼するに足るものであるかを見極め、自分の地図にも掲載するかどうかを決めるのです」と、英国の王立地理学会で地図コレクションを管理するキャサリン・パーカー氏は話す。

 古地図には際立った特徴もあった。例えば風向きを表す頬を膨らませた人間の顔の絵だ。こうしたイラストは海を航海する上で助けになると同時に装飾的な効果もあった。時代とともに地図には寓話の一場面が、季節を表すイラストなどとして描かれるようになっていく。

 球状の世界を平面に描くという本質的な問題があるために、地図が完全に正確であることは決してありえないと、バーバー氏は言う。「平らな紙に描いたものが真実を語ることはありません。だから妥協するしかないのですが、どう妥協するかは、その人が何を重視するかによって変わってくるのです」

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