今や多くの人にとって、天の川を見ることは滅多にない贅沢な体験になっている。光害(ひかりがい)により、世界の人々の3分の1以上が天の川を見られなくなった。北米では約80%だ。人口の増加と都市化により、夜を照らす人工の明かりは世界中で増えている。
世界の夜がますます慌ただしく、明るくなっている今、静かで暗い夜空を求める人々が増えている。各地の「星空保護区」が、観光地として人気を集めている。人々は光害から逃れて暗闇の中で安らぐために、米カリフォルニアのデスバレーやニュージーランドのテカポ湖にトレッキングに出かけたり、ダークスカイフェスティバル(光害の少ない地域で星空観賞を楽しむイベント)に参加したりしている。
「昼を明るくし、夜を暗くすることは、私たちの健康にとって非常に重要です」と『The Inner Clock: Living in Sync with Our Circadian Rhythms(体内時計:概日リズムとシンクロして生きる)』の著者であるリン・ピープルズ氏は言う。光と闇のバランスを適切に保つことが、健康維持につながるのだ。
科学はすでに、光害の悪影響を理解し始めている。光害は、不眠症、乳がん、脳卒中、生殖能力の低下と関連していて、2023年の研究では、アルツハイマー病の発症の一因となる可能性さえ示唆されている。
逆に、自然の暗闇が健康を増進させることも明らかになってきている。なかでもよく知られているのは、脳の松果体を刺激してメラトニンを分泌させる効果だ。メラトニンは、睡眠を促すだけでなく、細胞を攻撃する不安定な「フリーラジカル」を除去して体を守り、遺伝子の修復機能を促進してDNAのダメージを減らす重要なホルモンだ。
2020年の研究では、メラトニンと同じように働く薬で体内時計を再調整すると、炎症マーカーが下がり、不安が軽減し、うつ症状が緩和されることが示された。
私たちが星空保護区で夜空を見上げ、宇宙の広大さを思うときに感じるような畏敬の念を、メンタルヘルスの向上や幸福感と関連づける証拠も集まってきている。
自然の中で過ごすことがメンタルヘルスに良いことは以前からはっきりしていたが、2024年に学術誌「Journal of Environmental Psychology」に発表された論文は、この効果が昼間だけでなく夜にも当てはまることを示唆している。
次ページ:カギは明るい昼と暗い夜のコントラスト
「私たちが自然の暗闇を体験するときに呼び起こされる畏敬や驚異の念は、健康を守ってくれる可能性があるのです」と、ラスキン・ハートリー氏は言う。氏は2001年以来、世界各地で220以上の星空保護区を認定し、光害と暗闇に関する学術研究をモニターしている米国の非営利団体「ダークスカイ・インターナショナル」(旧国際ダークスカイ協会)のエグゼクティブ・ディレクターを務めている。
「畏敬の念とは、私たちと生命の深淵な謎との関係性だ」と、米カリフォルニア大学バークレー校の心理学教授であるダッチャー・ケルトナー氏は、2023年に出版した著書『Awe: The New Science of Everyday Wonder and How It Can Transform Your Life(畏敬の念:日常の驚異についての新しい科学と、それが人生を変える理由)』の中で述べている。
畏敬の念は、体にとっても意味のある感情だ。炎症性サイトカインの過剰な産生を抑制し、神経系を落ち着かせ、ポジティブな感情をもたらし、「愛情ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンの分泌を促す。
暗闇の中で過ごすことがもたらす心理的な恩恵は非常に大きい。教会やシナゴーグやモスクに通う人々が昔からよく知っているように、暗い空間は人々のマインドフルネスと創造性を高める。
演劇や映画が始まる前に照明を落とすことには、もっと深い理由がある。この暗さが、想像力を解き放つ「リミナルスペース(境界領域)」を生み出すのだ。夕方に薄暗くなるとき、自然はまさにこれをしている。
私(著者のジュリアン・フリン・サイラー氏)が暗闇に魅了されるようになったのは、2022年10月に北極海でラフティングツアーに参加したときのことだった。
私たちはガイドと一緒に大型船からゴムボートに乗り移り、大型船の照明から離れた海上まで移動した。そこでガイドはゴムボートのエンジンを切り、私たちに静かにするように言った。
次ページ:「やあ暗闇よ、親しき友よ」
私たちは空を見上げ、星々がきらめく真っ暗な夜空の広大さに打たれた。闇はあまりにも濃く、どちらが上でどちらが下か、どこまでが夜空でどこからが漆黒の海なのか、その境目が分からなかった。私は混乱しながらも高揚した気分だった。
私は北極の暗い夜空に輝く星々を見上げながら、自分の中にポジティブな感情が湧き上がるのを感じた。
この体験は、私と闇との関係を変えた。私はそれまで早く寝てよく眠ることを好んでいたが、夜に照明や電子機器の電源を切り、闇を感じる時間を持つようになったのだ。そして、毎晩どのくらいの闇を感じるのが健康にとって理想的なのか、考えるようになった。
ピープルズ氏は私に、「リラックスし、体内時計を整え、メラトニンのレベルを上昇させるためには、就寝する数時間前から明かりを暗くすることが重要です。照明だけでなく、電子機器のスクリーンもです。ベッドに入ったら、完全に暗くするのがベストです」と教えてくれた。
では、自然の暗闇を味わえない場所に住んでいる人はどうすればよいのだろう? アイマスクと厚手の遮光カーテンを使うのだ。明るい昼と暗い夜のコントラストをつけることがカギなのだ、とピープルズ氏は言う。
私たちが暗闇を受け入れるにあたって最大の障害となるのは、暗闇を否定的に捉える価値観かもしれない。例えば、暗さは無秩序や犯罪につながるという考えが、世界の多くの地域で街灯を増やしている。そして私たちは、夜の闇の中で起こるすべてのことに本能的な恐怖を持っている。
けれども芸術家や詩人や音楽家は、昔から、私たちが暗闇を恐れると同時に、暗闇から安らぎを得ていることを理解していた。
「Hello darkness, my old friend(やあ暗闇よ、親しき友よ)」という歌詞で始まるサイモン&ガーファンクルの名曲「サウンド・オブ・サイレンス」は、私たちがときどき光から逃れる必要がある理由の本質を捉えている。この曲は私に、最も深遠な癒しや洞察の瞬間は暗闇の中で訪れることを思い出させてくれる。