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海に沈んだ「幻の古代都市」5選、続々発掘 いったい何が?

  • 2024年9月9日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

海に沈んだ「幻の古代都市」5選、続々発掘 いったい何が?

 海に沈んだ古代の都市は、神話の物語ではない。古代の世界では、実際に多くの沿岸の都市が押し寄せる波に飲まれ、家も街路も神殿もすべて道連れにして、海の底に消えていった。だが、海底に沈んだために誰もかつての都市にたどり着けず、何千年もの間に伝説が渦巻き、いつしか幻と化した。

 しかし、20世紀に入ると、海洋学や海洋科学の目覚ましい進歩によって、水中考古学への扉が開かれる。現代の考古学者たちは、音波探知機、ロボット工学、3Dスキャン、水中カメラといった最新のテクノロジーを駆使して、古代の海底遺跡を見つけ、調査している。おかげで、海底遺跡の地図が新たに作成され、遺物が回収され、古代の都市の物語が再び現実となった。ここでは、そうやって光が当てられるようになった5つの古代都市を紹介しよう。

世界最古の水没都市遺跡、パブロペトリ

 ギリシャのペロポネソス半島南部に位置するパブロペトリ(現在の遺跡の名称)は、紀元前3500年頃の新石器時代に集落が形成され、ミケーネ文明(紀元前1650〜1180年)における交易の重要な中心地となった。しかし、エーゲ海のこの地域は地震と津波が多かった。そのために町は少しずつ沈み、海岸に最も近い建物は荒波や津波にさらされた。そして3000年以上前、地中海の緩やかな海面上昇によって、町は水没した。

 1967年、海面の変化を分析するデータを集めるためにペロポネソス半島の海岸で科学的調査が行われた際、英国人海洋学者のニコラス・フレミング氏が水没した構造物を発見した。1年後、フレミング氏は数人の学生を連れて現場に戻り、遺跡を調査し、地図を作成した。このときに15の建物と中庭、張り巡らされた道路、墓が特定されたが、その後、遺跡は数十年間放置された。

 2009年に、考古学者のクリサンティ・ガロウ氏とジョン・ヘンダーソン氏がギリシャ文化庁の協力を得て発掘を再開。2009年から2013年までに、先端技術を駆使して、海底に眠っていた古代都市の全貌を明らかにした。

黒海の底の町、ファナゴリア

 紀元前540年前後、ペルシャ帝国から逃れた古代ギリシャのイオニア人が、黒海沿岸のタマン半島に町を建設した。町の名は、入植者の一人にちなんでファナゴリアと呼ばれた。

 海洋交易のおかげで町は栄え、紀元前4世紀には周辺地域のほとんどを支配していたギリシャ人やスキタイ人による国、ボスポロス王国の一部になった。町の名声は高まり、やがて王国の東の首都になる。さらに時代が進むと、今度はローマ帝国の支配下に入り、繁栄を続けた。

 ところが紀元後に入ってからの1000年間で、町の運命が変わり始める。大きな地震と泥火山の噴火が海底と町の地盤を弱体化させ、沈下が始まった。黒海からの海水が押し寄せて、町の一部は浸水した。残りの部分は侵略によって破壊され、町は衰退した。

 ファナゴリアの遺跡は、1800年代に発見されたが、このとき調査されたのは乾いた陸地部分だけだった。その後水中技術の進歩により、1950年代には、まだ調査されていない0.24平方キロメートルが、海底に眠っていることがわかった。

 その後さらなる技術の進歩によって、2004年には灯台か見張り台と思われる大きな構造物の跡が海岸で発見され、3世紀か4世紀頃のものと特定された。2012年には、港の一部と、紀元前1世紀の、非常に保存状態の良い小型軍艦が発見された。

次ページ:栄華を極めたエジプトの港湾都市、古代ローマの海辺の別荘地

栄華を極めたエジプトの港、トロニス=ヘラクレイオンとカノープス

 1200年ほど前、古代エジプトで最も重要だった2つの港がアブキール湾の底に沈んだ。学者たちは、ナイル川河口のデルタ地帯に位置していたトロニス=ヘラクレイオンとカノープスが、海面上昇と慢性的な地震活動による地盤の液状化の犠牲になったと考えている。

 トロニス=ヘラクレイオンは、エジプトで最も重要な港湾都市のひとつで、地中海全域からの交易品の玄関口となっていた。町の記録は紀元前8世紀から残っているが、紀元前331年に建設された都市アレクサンドリアの重要性が増すとともに衰退していった。

 2000年に、水中考古学者のフランク・ゴディオ氏と欧州水中考古学研究所が、有名なアメン・ゲレブ神殿とその外壁を含むトロニス=ヘラクレイオンの遺跡を発見した。神殿の入り口には、約5メートルの巨大な像が3体立っていた。

 それから20年以上かけて考古学的調査が行われ、町の秘密の多くが明らかにされた。航行可能な運河、小さな神殿、無数の船の残骸、数百もの石の錨など、この港がかつてギリシャの商人たちでにぎわった交易の中心地であったことが示された。

 一方、カノープスは、プトレマイオス朝のエジプトにおいて重要な宗教の中心地だった。ギリシャとエジプトの神々の特徴が融合したセラピス神の神殿があり、古代世界の全域から巡礼者がやってきて礼拝をささげた。

 1933年に、エジプト、ムハンマド・アリー朝の王子だった学者のオマール・トゥスンが漁師と英国人飛行士からの情報提供を受け、初めて考古学的調査を行った。1999年には、アブキール湾を調査していたゴディオ氏のチームが遺跡を特定し、失われた都市カノープスであることを確認した。

古代ローマの別荘地、エピダウロス

 壮大な古代劇場で世界的に知られているギリシャの都市エピダウロスは、アルゴリド半島の最も重要な交易港の一つだった。

 ローマ時代、肥沃な土地と海へのアクセスの良さから、多くの別荘がこの海岸沿いに建てられた。これらの邸宅は町の外にあり、農業のほか、ワイン、油、そしてローマ人の好物だったガルムという魚醤を製造するために使われていた。

 ところが、それから100年余り経った5世紀に、この地域でいつもよりも規模の大きい地震が起こり、海面上昇の影響もあって一部の別荘がアギオス・ブラシウス湾からの海水によって浸水した。

 1967年、海洋学者のニコラス・フレミング氏は、アギオス・ブラシウス湾に沈んでいた構造物をいくつか発見した。さらに1971年には、考古学者のチャラランボス・B・クリツァス氏が、地元住民の間で水没都市と呼ばれていた遺跡を発見した。これが後に、古代ローマの別荘地跡だったことがわかった。

 海岸からわずか45メートル、水深2メートルの海底にある遺跡は、3つの空間に分かれていた。ひとつは広い貯蔵室で、大量のワインを貯蔵・発酵させるため貯蔵槽の破片が20個ほど見つかった。別の空間にはブドウの圧搾機が置かれていたと思われ、3つ目の空間は浴室として使われていたようだ。

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