ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)であるジョージ・コロウニス氏は、10年前に史上初めて燃えさかる「地獄への門」に入った。トルクメニスタン中北部のカラクム砂漠にぽっかりあいた直径70メートル、深さ30メートルの巨大な穴だ。正式には近くの村にちなんで「ダルバザ・クレーター」と名付けられているが、通称の方がしっくりくる。この穴からはメタンガスが噴き出していて、何十年も前に燃えはじめた火が今日までずっと燃え続けているのだ。
コロウニス氏は2年がかりで計画を練り、クレーターの上に張り渡されたロープにぶら下がってクレーターの内側に入った。そして、わずか17分の間に、ガスの測定を行い、土壌サンプルを採取して戻ってきた。「あの17分間は、私の脳裏に深く刻まれています」と氏は振り返る。「クレーターは想像よりもはるかに恐ろしく、熱く、巨大でした」
氏の冒険によってダルバザ・クレーターの存在は全世界に知られることになり、その壮麗な炎の画像は、クレーターの起源にまつわる真偽の怪しい物語とともに拡散され、この秘密主義の旧ソ連構成国を訪れる観光客を魅了している。
しかしメタンは温室効果ガスであり、膨大な量の石油と天然ガスを埋蔵するトルクメニスタンには、大気中にメタンを漏出させている老朽化した工業施設が無数にある。2023年の夏、米国政府とトルクメニスタン政府は、ダルバザ・クレーターを含めて、協力してこれらのメタン排出源を永久に封鎖する方法を話し合った。
とはいえ、地獄の門の炎を消すのは簡単な仕事ではない。その可能性を探るには、まず3つの重要な疑問に答えなければならない。ダルバザ・クレーターはどのようにしてできたのか? その火を消すにはどうすればよいのか? そもそも地獄の門は閉じるべきなのだろうか?
ダルバザ・クレーターは、見た目は地獄のようだが、科学的には特に不思議なものではない。トルクメン語で 「カラクムの光」とも呼ばれるこのクレーターは、膨大な量の石油と天然ガスを埋蔵するアム・ダリヤ盆地の上にある。天然ガスの主成分はメタンで、地殻からは多くのメタンが漏れ出している。このガスに火がつけば、燃料か熱源か酸素がなくなるまで燃え続ける。
通常、この地域のメタンガスは石油産業によって利用されるか、地上や水中に漏れ出している。漏出は多くの場合、誰にも気づかれない。ダルバザ・クレーターが放置されたまま何十年も燃え続けているのは奇妙だが、その始まりが冷戦時代の産業事故にあることはほぼ間違いない。
ダルバザ・クレーターの起源については複数の説があり、どれが最も有力なのかは分からないが、似たような筋書きの説がいくつかある。1960年代から1980年代にかけてのある時期、ソ連の技術者たちがこの地域で掘削作業(石油の試掘かもしれない)をしていたところ、地下で崩落が起こり、地表に巨大な穴があいてメタンガスが噴出したというのだ。
おそらく技術者たちは、メタンガスがすぐに燃え尽きることを期待して火をつけたのだろう。あるいは誰かがタバコを投げ入れて、たまたま火がついてしまったのかもしれない。いずれにせよ、メタンガスはいつ果てるともなく燃え続け、多くの種類の有害物質を放出している。ただ、近くの村は2004年に廃村となったので、被害を受ける地元住民はいない。
地獄の門は、外国人に国境をほぼ閉ざしているトルクメニスタンにとって、貴重な観光収入源になっている。コロウニス氏は、「マーケティングですよ。地獄の門は、トルクメニスタンの一番の観光名所なのです」と言う。
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ダルバザ・クレーターは、トルクメニスタンのグルバングルイ・ベルドイムハメドフ前大統領のおかげで、同国内で奇妙な神話的地位を占めている。コロウニス氏によると、在任中だった2019年にベルドイムハメドフ氏の死亡説が流れたことがあったが、自らラリーカーでダルバザを訪れ、クレーターを一周してみせることで死亡説を打ち消したのだという。
ところが前大統領は息子に権力を移譲する直前の2022年1月に、地獄の門の火を消して、噴出するメタンを有効活用するべきだと主張しはじめた。
この案には一定の長所がある。メタンは非常に強力な温室効果ガスだが、大気中に何百年も残る二酸化炭素とは違い、わずか数年で地球の大気から消滅する。その反面、メタンは二酸化炭素に比べてはるかに多くの熱を蓄えるため、短期間に急激な影響を気候に及ぼすおそれがあるからだ。
グローバル・メタン・プレッジ(世界のメタン排出量を2030年までに2020年比で30%削減することを目標に米国と欧州連合(EU)が主導するイニシアティブで、日本を含む100を超える国と地域が参加)をはじめとするさまざまな国際協定が、人為的な発生源からのメタン排出だけでなく、湿地帯や融解する永久凍土からのメタンの放出も食い止めようとしている。
トルクメニスタンは世界有数のメタン排出国だ。この不名誉な称号は、ソ連時代の無謀な化石燃料採掘の結果、ダルバザ・クレーターのような、メタンガスが漏れ出す油井やパイプラインなどの工業施設が多数残ってしまったことに由来する。これらの問題は、1991年にトルクメニスタンがソ連から独立したときにも引き継がれ、解決されないまま今日に至っている。
「まさにカオス状態です」と、英ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校の気候科学者であるユアン・ニスベット氏は言う。実のところ、トルクメニスタン全土で漏れ出しているメタンの量に比べれば、ダルバザ・クレーターから漏れるメタンなど取るに足らない量だ。
英インペリアル・カレッジ・ロンドンの火災科学者であるギレルモ・レイン氏は、「メタンが漏れるのは良くないことです」と言う。「けれども、燃えているのは良いことです」。地獄の門は、漏れ出したメタンの大部分を二酸化炭素と水蒸気に変える。これらも温室効果ガスではあるが、メタンほど強力ではない。実際、現在のように燃えているダルバザ・クレーターは、大したメタン排出源にはならない。
それでも、地獄の門の炎は「どうしてもメディアや各国政府の注目を集めてしまいます」とコロウニス氏は言う。その中にはトルクメニスタン政府も含まれている。彼らはときに、このクレーターを自国の排出量問題の恥ずべき象徴として見ることがある。
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ダルバザ・クレーターの息の根を止めるには、火を消し、メタンガスの噴出を止めるという2つのことが必要だ。
火を消すのは、ガスの噴出を止めるよりはるかに簡単だ。例えば、速乾性のセメントをクレーターに吹き付けて蓋をすれば、酸素を含む空気の供給を断ち切ることができる。しかし、英ニューカッスル大学のエネルギー地球科学者であるマーク・アイルランド氏は、この方法には慎重だ。クレーターという出口をふさがれたメタンガスは、地表に到達する別のルートを見つけ、トルクメニスタンに新たなメタン排出源を追加するだけだろうと氏は考えている。
つまり、地獄の門の息の根を止めるためには、メタンの噴出を止めるしかない。コロウニス氏は、「名案を持っている人は誰もいないと思います」と言う。
レイン氏は、ダルバザ・クレーターの下に何があるのか知ることが大切だと言う。氏は、石油業界の専門家に依頼して、ガスが出てくる地中の亀裂がある位置を特定してもらってはどうかと提案している。
亀裂の場所が分かれば、地中のパイプから亀裂にコンクリートを注入できるかもしれない。レイン氏は、「石油・天然ガス業界の技術があるのですから、ガスの通り道が分かれば、それをふさぐことはできるはずです」と言い、彼らが手を貸してくれなければ、「有効な手を打てる望みはありません」と結論づける。氏はまた、細心の注意を払って作業を進めないと、飛び散った火花や掘削事故によって致命的な爆発が起こるおそれがあるとも警告する。
しかしオーストラリア、アデレード大学の石油地力学の専門家であるマーク・ティンゲイ氏は、地中の亀裂の場所を特定できたとしても、自分にはそれをふさぐ方法が思いつかないと言う。氏は、工業プロセスに伴う漏出を止めるのも難しいが、地質学的な原因による漏出を止めるのははるかに困難で、不確定要素だらけだと指摘する。
逆説的だが、大型の爆発物を使ってメタンを封じ込める方法もある。油井火災を消し止めるのに用いられている方法だ。掘削した穴から爆弾を投入してメタンの発生源の近くで爆発させ、酸素を断ち切って火を消すと同時に、メタンを放出している亀裂を崩して埋めるのだ。
この方法がダルバザ・クレーターでうまくいくかは不明だが、非常に大きな爆弾が必要になる可能性が高い。実際、ソ連の技術者たちは核弾頭を使って地下火災を封じ込めたことが数回ある(最後に使用されたのは1981年だった)。
幸い、この方法は現在の世界では支持を得られそうにないし、ダルバザ・クレーターではうまくいかないだろう。コロウニス氏は、それは「最も馬鹿げたアイデア」であるだけでなく、別の場所からメタンが噴き出すだけだろうと考えている。
地獄の門を閉じようとする試みは、極めて困難で、非常に危険で、多額の費用がかかり、良い結果を生まない可能性が高いという点で、専門家の意見は一致しているようだ。そう考えると、おそらく最善の選択肢は何もしないことだろう。
「私はトルクメニスタン政府に対し、このまま燃えやしておくようにと正式に助言しました」とコロウニス氏は言う。しかし、気まぐれな政権がダルバザ・クレーターについて意見をコロコロ変えているかぎり、地獄の門の未来は宙に浮いたままだ。「何が起こるか、誰にも分かりません」