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産後うつの飲み薬が米国で承認、昔は懲罰療法も、長く悲惨な過去

  • 2023年11月15日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

産後うつの飲み薬が米国で承認、昔は懲罰療法も、長く悲惨な過去

 産後うつは、出産の合併症のなかでは最もかかる人が多く、現代の子育てでは避けられない一面だ。さまざまな推計があるが、2023年2月に医学誌「American Journal of Obstetrics & Gynecology」に発表された米国での調査結果では、出産後の女性の13.9%、およそ7人に1人が産後うつを経験しており、近年その割合は急激に上昇している(編注:2020年に医学誌「Annals of General Psychiatry」に発表された日本での調査結果でも、出産後1カ月時点での産後うつの割合は14.3%だった)。

 だが、産後うつには意外に長い歴史がある。近年ではこの病気に対する認識が高まり、治療法も進歩しつつある。2023年8月には、成人の産後うつの治療に特化した初めての飲み薬が米食品医薬品局(FDA)に承認された。

 なぜ、産後うつが認識されて専用の薬が承認されるまでに長い歳月を要したのだろうか。その歴史を手短に振り返り、生物学だけでなく社会の認識によっても動かされうる理由を見てみよう。

古代の産後うつ

 現在では、産後うつは深刻な精神疾患と認識されている。わが子との関わりや育児に影響し、長引くと1年も続くことがある。だが昔の社会では、嘆いたり落ち込んだりする母親を非常識、異常、人格が破綻しているなどと見なすことが頻繁にあった。

 古代ギリシャの医師、エフェソスのソラノスは、紀元1世紀に婦人科に関する有名な文献を書いた。出産後の女性はいらいらしたり悲しんだり、時にはわが子に危害を加えることすらある、と彼は書いている。「かっとなった母親は正気を失い、怖がって泣く新生児をなだめることができずに抱いている赤ん坊を落としたり、乱暴に転がしたりすることがある」という記述もある。

 古代医学のもう1人の先駆者ヒポクラテスによれば、「胆汁質」の女性は出産後に幻覚や不眠に悩まされるという。こうした症状は、現代の産後精神病の診断と合致する。

 このような「過剰な胆汁が産後の女性の精神状態を悪化させる」という説は、非常に長い間、医学界を支配していた。血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁のバランスの乱れが心身のあらゆる不調の原因だとする体液病理学(四体液説)は、産業革命の頃まで続いた。また「黒胆汁」を意味するギリシャ語から「メランコリー(ゆううつ)」という言葉も生まれ、黒胆汁がうつ病の原因だとする概念は2000年間にわたって支持されていた。

悪魔のしわざ

 産科や女性の保健医療が専門分野として確立する以前、産後のケアは女性たちによって提供されることが多かった。出産は女性の仕事という考えが長く定着しており、助産師や家族が世話をしていた。地域の助産師と女性たちは、産後うつを乗り切るために民間療法を利用したり、子どもの世話をしたり、情報を共有したりして互いに助け合ってきたが、産後の落ち込みについて母親自身が書き残すことはほとんどなかった。

 唯一の例外は、英国の神秘主義者だったマージェリー・ケンプで、彼女は英語で書かれた初の自伝を残した人物とされている。15世紀初頭に口述筆記された彼女の著作では、出産後に幻覚や幻聴に苦しめられて自傷行為に走り、自死まで考えたことが詳細に描かれている。ケンプはこうした経験を、悪魔のしわざだと考えた。

次ページ:懲罰的な「安静療法」とは

「安静療法」

 19世紀半ばには西洋医学の専門化が進み、出産後の女性に心のケアを提供していた助産師に代わって男性医師が治療を行うようになった。同時に心理学も発展し、女性のさまざまな精神面の問題を治療するために協調して取り組む姿勢が強化された。しかし、こうした症状は「ヒステリー」として分類されるのが一般的だった。

 当時、治療法として最も推奨される一方で議論を呼んだのが「安静療法」だった。この療法では、産後うつのような「女性特有の不調」を抱えた女性を数カ月にわたって完全に隔離した。19世紀の米国人神経科医、サイラス・ウィアー・ミッチェルが推進した意図的な懲罰療法で、患者はベッド上で数週間の安静を強いられ、読書や裁縫など一切の活動が許されなかった。友人や家族からも引き離された患者は大量の食事を与えられ、無理やり食べさせられることすらあったという。

「病気がちな女性に私が勧める安静とは、そうした患者が考えている安静ではない」とミッチェルは書いている。

「1日の半分をベッドで過ごし、ちょっと裁縫をしたり読書を楽しんだりする。周囲の関心を集め、同情を買う。それならばとても快適だろう。しかし、1カ月間ベッドにいるよう指示され、読み書きも裁縫も禁じられ、接するのは赤の他人の看護婦1人だけだったら、安静も苦い薬でしかないと感じるようになる。そうなると、起き上がって普通の生活をしなさいという指示を、患者は喜んで受け入れるのだ」

 ミッチェルによる安静療法を経験し、この療法に批判的だったシャーロット・パーキンズ・ギルマンは、産後うつと安静療法に関する半自伝的な描写を、1892年に発表した『黄色い壁紙』という短編小説に残している。

「私にできるわずかなことをやろうとするのがどれほど大変か、だれも信じないだろう」。この短編の語り手はこう述べている。「なんてかわいい赤ちゃん! それなのに一緒にいてあげられないなんて、不安でたまらない」。医師である夫に寝室に閉じこめられた語り手はとうとう精神に異常をきたし、寝室の「ぞっとする」黄色い壁紙の中に自分が閉じこめられているという妄想に取りつかれる。

 現代ではフェミニスト文学の古典的作品と評価されているこの物語は、読者に強い反応を引き起こした。「この作品は人々を狂気に走らせるためではなく、狂気に陥りそうな人々を救うために書いた」と後にギルマンは振り返り、彼女自身は安静療法を受けて「精神が完全に崩壊するギリギリのところまで追い詰められた」と書いている。

現代の母親と精神疾患

 20世紀に入り、産後うつの本質と治療法に関する議論はますます盛んになった。ある学派は、すでに抱えていた精神疾患が出産で活発になっただけだという説を唱えた。また、ロシア系米国人の精神分析医、グレゴリー・ジルボーグのように、人格上の欠点や不感症、内に秘めた近親相姦の欲求、潜在的同性愛、わが子への嫉妬までもが産後うつの原因だと主張した学者もいた。

 しかし、新たに発見された体内の化学物質であるホルモンに注目し、それが関係する生理学的プロセスが原因だと考える研究者たちもいた。

 現在でも産後うつのメカニズムには多くの説があるが、さまざまな要因が産後の精神疾患の原因となったり影響を与えたりしているという見方が有力だ。こうした要因には、出産後の母体のホルモンの変化、睡眠不足、心的外傷後ストレス、現代社会が期待する母親像などが含まれるが、これらがすべてではない。

 近年では短期間の「マタニティーブルー」は一般的だとされているが、産後の長期にわたる気分障害や不安障害は別物として位置づけられている。現在の診断基準では、産後うつは一般に大うつ病性障害(うつ病)に分類されており、実際には半数が出産前から発症していると推定されている。

 一方、現代社会では、産後の心の健康と向き合う新たな視点も生まれている。その1つが、産後の不安定な精神状態は母親に移行する自然な経過だとする考えだ。

 1970年代に人類学者のダナ・ラファエル氏が、この移行期を指す「マトレセンス」(matrescence)という造語を生み出した。ラファエル氏は、マトレセンスを「母への移行期」、つまり出産した女性が母としての新しい役割を担うようになる生物学的、文化的、社会的イベントだとしている。

 2015年には、心理学者のオーレリー・エイサン氏とヘザー・L・リール氏がこの造語の復活を呼びかけた。エイサン氏によれば、マトレセンスは思春期(アドレセンス)と同じように精神的、社会的に成長する期間であり、母親になった女性にも医療にも、母としての喜びや苦しみの経験を模索し認識するための道筋を提供するという。

 エイサン氏は2019年に「女性は、受胎前、妊娠・出産、代理出産や養子縁組、産後やそれ以降の時期に複数の面で急速に成長する」と書いており、数世紀を経てようやく産後うつに対する社会の理解が得られたなかで、「マトレセンス」という概念を導入する時期が来たと訴えている。

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