氷の中に閉じ込められた小さな高圧の気泡が、一部の氷河の縮小を速めている可能性が研究によって示された。論文は2023年9月7日付けで学術誌「Nature Geoscience」に発表された。
海に流れ出す氷河である「潮間氷河」が水中でじわじわと解けてゆく際、無数の気泡が「小さな銃撃のように」破裂するのだと、この発見をしたチームのメンバーである米オレゴン州立大学の氷河学者エリン・ペティット氏は言う。
水中に飛び出た気泡は、氷の表面を覆う冷たい水の層をかき混ぜ、数センチ離れたところの温かい水を氷に触れさせる。気泡はその後、水中を浮かび上がってくるときに乱流を生じさせ、そのときにもまた氷が温かい水に触れる。
ペティット氏のチームが研究を行ったアラスカの氷河では、現在、年間700億トン以上の氷が失われ、世界の海面上昇に影響を及ぼしている。
今回の新発見は、潮間氷河という重要だが近づくには危険な環境を理解しようとするペティット氏の15年におよぶ努力から生まれた。氏の研究は、気候変動に対する私たちの理解を深めるだけでなく、アラスカのフィヨルドの一部でアザラシが激減したことも説明できる可能性がある。
氷河の気泡は、長い歳月をかけて積もった雪が自重でゆっくりと圧縮されて氷になるときにできる。雪片の間に閉じ込められていた空気が、ミクロの穴に押し込まれるのだ。氷河の氷には1立方メートルあたり約2億個の気泡が含まれており、気泡は圧縮されて約20気圧もの高圧になっている。
ペティット氏らは以前から、こうした気泡が潮間氷河の融解を速めているのではないかと考えていた。この予想を確かめるため、氏らは一連の実験を行った。
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研究チームはアラスカのルコンテ氷河という潮間氷河から気泡を多く含む氷のブロックを切り出し、海水を満たした水槽の中で氷が解ける様子を観察した。比較のために、地元の氷の彫刻家から購入した気泡のない氷のブロックも、同じように解かしてみた。
氷が解けると淡水になり、淡水は周囲の海水に比べて密度が低いため浮いてくる。これが、氷の垂直面に沿って上昇流を作り出した。実験では、氷河の氷が解けるときの上昇流の速度は、気泡のない氷が解けるときの6倍だった。これは、浮かび上がる気泡が水をより速く引き上げるからだ。氷河の氷は、気泡のない氷よりも2.25倍も速く解けた。
「これは非常に強力な効果です」と、英国南極調査所(BAS)の極地海洋学者キース・ニコルズ氏は言う。氏は今回の研究に関わっていない。「自然界でも同じことが起きているとしたら、かなり深刻です」
ペティット氏が気泡の重要性を最初に感じたのは、氷河の変化を遠くからモニターしていたときだった。
潮間氷河が海に流れ込む末端部では大量の融解が起こっているが、非常に危険であるため、科学者たちはほとんど近づかない。氷河の末端部は海面からの高さが60mもあり、まさに切り立った氷の壁だ。ここからいつ50トンの氷塊が落ちてくるかもしれず、もし落ちてきたら、小型のボートが壊れたり転覆させられたりするほどの波が立つおそれがある。
2009年、ペティット氏はアラスカのアイシー湾で安全な距離から氷河の末端部を監視するため、水中マイクを使って水中の音を録音した。氷河から氷山が分離する音や、氷河の下を流れる水のせせらぎが聞こえるかもしれないと期待したのだ。
しかし、録音で捉えられた主な音は「フライパンで料理をしているときのジュージューという音に、ピシッ、パチッ、ポンといった音が入る感じ」だったと氏は言う。
氏はこの音を、氷河に閉じ込められていた気泡が氷の融解により破裂した音だと解釈したが、音量は120デシベルもあり、車のクラクションや料理用のミキサーよりも大きかった。あまりの音の大きさに、氏に水中聴音器を貸した米ワシントン大学の海洋学者ジェフリー・ナイストゥエン氏は、装置が故障したのではと考えたほどだったという。(参考記事:「湖面に響く氷河の悲鳴」)
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ペティット氏はこの音についての論文を2015年に発表したが、気泡の本当の重要性に気づいたのは2018年、河川の乱流を研究しているオレゴン州立大学の工学者であり、今回の論文の筆頭著者であるミーガン・ウェングローブ氏とワインを飲みながら雑談しているときのことだった。この気泡が、氷河の氷を温かい海水から隔てる薄い「境界層」をかき混ぜている可能性があることに気づいたのだ。その日の午後、2人は急いでペットショップに行き、実験に使う水槽を買った。
研究チームのメンバーで、ペティット氏の夫でもあるオレゴン州立大学の海洋学者のジョナサン・ナッシュ氏は、気泡が最も強い融解効果を発揮するのは、アラスカ、カナダ、グリーンランドなど、海に流れ込む際に氷河がかなり薄くなっていて、深いところに埋もれていた氷が表面近くに出てくるような地域だろうと考えている。
このような条件下では、高圧の気泡が水深約90mまでの浅い海に接することになる。すると、気泡内の圧力が周囲の水圧に比べてはるかに高くなるため、気泡は爆発的に膨張し、水中に出ると急速に浮き上がる。これに対して南極では、氷河の融解ははるかに深くて水圧の高いところで起きているので、気泡の破裂の威力は小さくなり、それほど大きな影響は及ぼさないだろうというのがナッシュ氏の意見だ。
アラスカ、カナダ、グリーンランドなどの潮間氷河の一部では、氷河の末端が水温から予想されるより10〜100倍の速さで解けているが、今回の研究は、その理由の一部を説明できる可能性がある。
ペティット氏は、氷河の気泡は目に見えない別の影響も及ぼしている可能性があると考えている。
氏によると、アラスカの潮間氷河のあるフィヨルドではゼニガタアザラシが多く生息していて、換毛期や子育て期間を過ごすという。しかし、潮間氷河が何キロも内陸に後退したグレイシャー湾では、アザラシの個体数が減少している。
ペティット氏はその理由を、氷河が後退したグレイシャー湾がアザラシを守れなくなったからではないかと考えている。アザラシの天敵のシャチは音を頼りに獲物を探すことが多く、アザラシは氷河の気泡が破裂する轟音のおかげで、シャチに気づかれずに済んでいた可能性があるのだ。
これもまた、小さな気泡が信じられないほど大きな影響を及ぼす例の1つなのかもしれない。