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「海のハナバチ」がいた! 海草や海藻での「送粉」に学者も驚く

  • 2022年8月17日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

「海のハナバチ」がいた! 海草や海藻での「送粉」に学者も驚く

 メキシコ国立自治大学の海洋生物学者で、ミミズのような形の海のぜん虫を研究するビビアン・ソリス=ワイス氏は10年ほど前、花を咲かせる海草の研究を行う同僚と話をしていた。

「花を採集するたび、小さな動物がびっしり付いている」と同僚は言っていた。このとき、2人はなぜ小さなぜん虫やエビのような甲殻類が海草に集まってくるのか、不思議だった。もしかしたら、ハナバチやチョウのように、彼らが植物の花粉を運んでいるのだろうか?

 そこで、ソリス=ワイス氏らはこれらの生物が海草の受粉を担う「送粉者」ではないかと考えた。2012年、その概要を「Inter-Research Science Publisher」という学術誌に発表した。

「最初の論文発表は、とても苦労しました。誰も私たちのことを信じてくれなかったためです」と、ソリス=ワイス氏は振り返る。

 地上では、送粉者の役割は確立されている。何十万種もの花を咲かせる植物が子孫を残すため、動物や昆虫を頼りにしている。植物は蜜や食べ物を用意し、送粉者が植物の有性生殖を手助けする。最近まで、これは海には存在しない地上だけの現象と考えられていた。

「海洋環境では、すべての受精は水の流れによって行われるという定説があります」と、フランス、ソルボンヌ大学ロスコフ生物学研究所の海洋生物学者エマ・ラボー氏は話す。ラボー氏は沿岸の潮だまりに生育する紅藻の一種であるグラシラリア・グラシリス(Gracilaria gracilis)を研究している。実際、多くの海洋生物は、オスとメスが精子と卵を水中に放ち、潮の流れによって受精が行われている。

 しかし、ここ数年、海にも送粉者が存在することを示唆する新たな証拠が出てきた。これらの生物は「海のハナバチ」とも呼ばれ、私たちが想像している以上に広く存在する可能性がある。こうした共生関係が明らかになるにつれて、藻類、植物、昆虫、甲殻類など、関係する生物すべての進化についての考え方も変化している。また、この互恵関係の複雑さも浮き彫りになっている。

海草と海藻、受精の謎

 ソリス=ワイス氏のチームは仮説を検証するため、海岸や水族館にタートルグラスという海草の試験場を用意し、写真や動画で受粉のプロセスを撮影した。毎日、夕暮れどきにタートルグラスの雄花が咲くと、ぜん虫などの無脊椎動物が群がり、花粉まみれになった。

「私たちは実験を繰り返し、彼らがまず雄花で餌を食べ、体に花粉を付着させた後、雌花に移動し、花粉を置いていくことを証明しました」とソリス=ワイス氏は説明する。チームは2016年、花粉まみれになったぜん虫や甲殻類の写真とともに、この研究成果を学術誌「ネイチャー」に発表した。海での送粉が実証されたのはこれが初めてだった。

次ページ:進化の軌跡が異なる生物

 その後、ラボー氏がグラシラリア・グラシリスの生殖をテーマに博士論文を書いているとき、同様の現象を観察した。グラシラリア・グラシリスのメスはほかの海洋生物のように卵を産むのではなく、じょうごのような形をした「葉状体」にとどめておく。一方、オスが放った精子には尾がなく、花粉と同じように、メスの葉状体に自らの力では到達できない。

 一見すると不利な状況だが、海藻の繁殖には影響を与えてはいない。紅藻が属する分類群は約10億年前に進化した。ラボー氏と指導教官でフランス国立科学研究センター(CNRS)の集団遺伝学者であるミリアム・バレロ氏は、これらの生物がどのように繁殖するかを知りたくなった。

 バレロ氏はヨーロッパ各地で潮だまりの藻類を長年かけて研究する過程で、ほとんどの受精が水の少ない干潮時に起きることに気づいた。そのとき、ワラジムシの仲間(等脚類)の甲殻類であるイドテア・バルティカ(Idotea balthica)の群れが海藻の間を泳いでいる。精子を体に付着させて運んでいるのではないか、とバレロ氏らは考えた。

 そして、受精したことがなく、まだ造果器(卵細胞)を持っていないグラシラリア・グラシリスでこの仮説を検証することにした。バレロ氏らはグラシラリア・グラシリスのオスとメスが入った水槽をいくつか用意し、そのうち一部の水槽に20匹のイドテアを入れた。すると、イドテアを入れた水槽では、グラシラリア・グラシリスの造果器が20倍も形成されていた。

「受精が大幅に増えたことに驚きました」とラボー氏は振り返る。チームはまた、オスの海藻が入った水槽でしばらく泳いだイドテアを集め、未繁殖のメスの海藻が入った水槽に放した。すると、やはり造果器は増加した。顕微鏡で見ると、ソリス=ワイス氏が論文で言及したぜん虫と同じように、イドテアは小さな精子に覆われていた。ラボー氏らはこの研究成果を2022年7月28日付で学術誌「サイエンス」に発表した。

 このケースでは、2つの生物はそもそも互いに助け合っている。海藻は、イドテアにとって隠れ家となるうえに、自身を覆う粘着物を餌として提供している。一方、イドテアは粘着物を食べることで、海藻の光合成を助けている。

「粘着物が増えすぎると、海藻は死んでしまいます」と、ラボー氏は説明する。甲殻類は、海藻に付いた粘着物を“清掃”する役割を担っているのだ。

進化の軌跡が異なる生物

 2つのチームは一見すると、同じような現象を発見したようだ。ところが、進化生物学者や送粉生態学者が「2つの研究には大きな違いがある」と指摘している。

 海藻と海草は名前こそ似ているが、進化の軌跡がまったく異なる別の生物のためだ。生態学者のジェフ・オラートン氏によれば、海草の歴史は1億3000万年ほどしかない。オラートン氏は中国科学院昆明植物学研究所で送粉の研究に従事しており、今回発表された研究にはどちらも関与していない。

 海草は陸上生物から進化し、海に戻っても花を咲かせるなど、陸上生物の特徴をいくつか残している。そして、陸上生物と同様、動物に受粉を頼っているようだ。

次ページ:「等脚類を救おう」というスローガン

「ハナバチやチョウに代わる水中のさまざまな種類の動物の見つけ方はとても興味深いと思います」と、ソリス=ワイス氏は話す。この発言は比喩であり、文字通りの意味ではない。

 一方、海藻は植物と遠縁の関係にあるが、「植物でも動物でもなく、独自の存在、つまり、藻類の一種です」とオラートン氏は説明する。植物が海を出て、陸上で生育するようになる何十億年も前に進化した古代の生物だ。昆明植物学研究所の植物学者兼送粉生態学者であるゾンシン・レン氏は、「植物の前に『受粉』という現象が存在した可能性もある」と述べている。

「この発見によって、受粉に対する私たちの考え方は大きく変わりました」とレン氏は話す。「受粉の定義が変わる可能性さえあります」

「等脚類を救おう」というスローガン

 レン氏とオラートン氏はこの発見をきっかけに、「受粉は植物より前に存在したのか?」という展望論文を執筆し、「サイエンス」の同じ号に発表した。これまで考えられていたよりはるかに長い進化の歴史を持つ動物と光合成生物の互恵関係の重要性について考察する論文だ。

 このような種間の関係があるからこそ、生態系が機能する。「このような相互関係がいつ始まったかを理解することは、本来の生物多様性への理解を大きく深めることになります」とレン氏は言う。

「私たちはこの世界について、ほとんど何も知りません。陸上で何が起きているか、それが水中であればもっと分かりません」とレン氏は続ける。「この論文は、私たちに氷山の一角を見せてくれました」

 動物と水生植物や藻類のこれまで知られていなかった重要な関係性を示す今回の研究は、これらの生物がより脆弱(ぜいじゃく)になっていく恐れを示唆している。例えば、紅藻の場合、受粉のほとんどは浅い潮だまりで行われる。動物と紅藻による“息の合ったダンス”は、汚染、気候変動、開発によって妨害される可能性がある。

 陸上では、ハナバチが農薬をはじめとする有害物質の脅威にさらされている。そうした有害物質の多くが、海に流れ込んでいる。「海のハナバチ」もいつか同じような危機に直面するのだろうか? オラートン氏は自身のブログで、この可能性について警鐘を鳴らしている。

「『ハナバチを救おう』が陸上の種間の相互作用を保全するためのスローガンになっているように、私たちは近い将来、『等脚類を救おう』というスローガンを耳にすることになるかもしれません」

 同時に、研究者たちは今後も自然界で送粉の事例が見つかるのではないかと期待している。

 オラートン氏とレン氏の論文には、こう書かれている。「注意深く観察すれば、これからも驚くべき事実が見つかるに違いありません」

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