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米国の手前までやってきた「絶滅危惧種」ジャガーに国境の壁

  • 2022年8月4日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 2020年、生物学者のガネーシュ・マリン氏は、メキシコのソノラ州北部にある自然保護区で1頭のジャガーを初めて目撃し、有頂天になった。マリン氏が米国アリゾナ州との国境沿いに仕掛けたカメラトラップは、その後もこのジャガーの姿を撮影し続けた。それは、このオスが一帯をすみかとしていることを示していた。マリン氏はこのジャガーにスペイン語で「美しい者」を意味する「ボニート」という名をつけた。

 だが、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーであるマリン氏は、2021年になって、撮影された画像に奇妙な点があることに気づいた。ジャガーの体の斑点のパターンがわずかに異なっている写真があるのだ。念入りに調べたところ、撮影されていたのは1頭ではなく2頭の若いオスであることがわかった。

 カメラがとらえるボニートの成長は感動的だった。「成長すると体が大きくなり、首が太く、頭も大きくなりました」とマリン氏は話す。そして、ジャガーが1頭ではないことに気づいた時は「とても興奮しました」と言う。

 米国との国境のすぐ南のエリアに2頭目のジャガーがいることは、ジャガーたちがかつての縄張りだった北方をめざして移動していることを示すさらなる証拠となると、マリン氏の博士課程の指導教官で米ワイオミング大学の生物学者、ジョン・コプロフスキー氏はいう。

米国から消えたジャガー

 1900年代の初めまで、ジャガーは北は米国のグランドキャニオン、南は遠くアルゼンチンまでの広い地域で目撃されていた。しかし、狩猟の結果(政府が推進することも多かった)、20世紀半ばまでにジャガーの北方の生息域だった米国のアリゾナ州とニューメキシコ州から姿が消えた。

 マリン氏は、2頭目のジャガーを「バレリオ」と名づけた。「クエンカ・ロス・オヨス」という保護団体を設立した自然保護活動家、バレー・クラーク氏にちなんだ名前だ。クエンカ・ロス・オヨスは、ソノラ州の国境沿いで4万9000ヘクタールの野生動物保護区を管理している。マリン氏は、米アリゾナ大学の博士課程の学生として、ここで調査を行っている。

 人間が妨害しなければジャガーは北に生息地を拡大できるが、道路や国境の壁が障害となっている。トランプ政権の時代に、高さ約9メートルの国境の壁が720キロ以上にわたって建設された。その大部分はアリゾナ州とニューメキシコ州にあり、野生動物にとって不可欠な回廊を遮断している。

「国境からわずか数キロ以内に野生動物たちがいます。国境の壁の延長や高速道路の拡張の影響で国境をまったく通過できなければ、この動物たちは北に移動できなくなってしまうのです」と、コプロフスキー氏は言う。

「でも、何より重要なのは、(今回の発見で)北との接続性を維持できるかもしれないという大きな希望が生まれたことです」。さらに、この接続性を改善できる可能性もあるという。

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米国では絶滅危惧種

 アリゾナ州とニューメキシコ州にある国境地帯と、そこに広がる山岳地帯「スカイ・アイランド」は、生物の多様さでは北米屈指の地域だ。山岳地帯に分布するソノラ砂漠とチワワ砂漠の乾燥した大地、いくつもの草原や水辺は、数万種もの動植物の生息地となっている。古来から、ジャガーやピューマ、オセロット、クマ、その他の多様な動物が、この連続したバイオーム(生物群系)を自由に移動していた。だが、いまでは道路やフェンスがこの移動を妨げている。

 それでも、この25年間にアリゾナ州では少なくとも7頭のジャガーが目撃された。そのうちの1頭は、現在も同州南東部の山岳地帯に生息している模様だ。

 また、2021年3月16日付けで学術誌「Oryx」に発表された論文では、この地方の広大な一帯がジャガーに適した生息域であり、数百頭のジャガーの群れが暮らすことができる環境と推定された。ジャガーは、米国の種の保存法(ESA)に基づく「絶滅危惧種(Endangered)」に指定されている。

 メキシコのソノラ州には、約200頭のジャガーが生息している。メキシコ国立自治大学の研究者、ヘラルド・セバロス氏によれば、マリン氏が確認した2頭のジャガーは、どちらも米アリゾナ州に近い、国境から約100キロ以内の場所で生まれたらしい。

 一般に、メスのジャガーは生まれた場所からあまり遠くに移動することはなく、この特性はジャガーの生息域が広がりにくい要因になっている。だが、オスのジャガーは、縄張りと交尾の相手を求めて広い範囲を移動する。ただしメキシコのジャガーは、家畜を襲われた農家から報復や密猟など、さまざまな脅威にさらされている。

「ジャガーの保護対策を続ければ、5年足らずのうちに、米国国内で妊娠したメスを確認できるかもしれません」と、セバロス氏は言う。

 しかし、ジャガーが北に移動するには、野生動物のための回廊が不可欠だ。国境の壁が延長されると動物は自由に移動できなくなるため、専門家たちは壁の一部を開放する必要があると指摘している。国境の壁を著しく拡張することはないとバイデン政権は約束した。また、野生動物への悪影響を縮小する措置の検討も行われている。しかし、大幅な改善はいまだに実現していない。

「残念なことに、国境の壁は、米国に移動しようとするジャガーにとって新たな障害となっています」。こう話すのは、ジャガーの研究者で、保護団体「ハグアレス・デ・ラ・セルバ・マヤ」の生物学者、アントニオ・デ・ラ・トーレ氏だ。「ジャガーの生息域を北に自然に拡大したいのなら、この問題を解決する緩和策が不可欠です」

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生息地を保護すれば、動物は集まってくる

 現在のメキシコのソノラ州北部と米アリゾナ州の南東部にあたる地域の大部分は、以前は湿地帯に恵まれ、スペイン語で湿地を意味する「シェネガ」と呼ばれていた。クエンカ・ロス・オヨスは、この一帯に水を取り戻す取り組みを続けている。事務局長のエレミア・レイボウィッツ氏の話では、いままでに約30ヘクタールの湿地と小川が復活したという。

 クエンカ・ロス・オヨスが管理する保護区の北側に、アリゾナ州との国境が約50キロにわたってある。2019年までは、ここには車両を制限する低い柵や数十センチの高さの鉄条網があるだけで、野生動物は難なく通過することができた。しかし、現在では、高さ9メートルの鋼鉄製の杭(くい)がびっしりと並んでいるとレイボウィッツ氏は話す。それでも、アリゾナ州とニューメキシコ州にまたがるペロンチッロ山脈の南端など、国境に高い壁がない野生動物回廊は、いくつか残っている。

 この地域では、周辺地域と同様に、年間降水量の半分以上が6月から9月までの雨期に集中して降る。ヨーロッパから人々が入植後、人間の活動は土地の吸水能力を大幅に低下させた。大草原は農地になり、アスファルトなど浸透性が低い構造物が建設された。その結果、降った雨が急速に地表を流れ、浸食をもたらすようになった。

 レイボウィッツ氏によれば、保護区の担当者たちは、一帯に以前の吸水性を回復させようと取り組みを進めてきた。浸食を抑えるために、石を利用した小さなダムや石を詰めたかごを設置して、水流をゆるやかにする対策も行われている。ビーバーが作るダムも水流の抑制に役立つことから、最近では保護区の多くの小川にビーバーが再導入された。ソノラ州の2頭のジャガーも、年間を通じて流れる保護区の小川の近くに姿を見せている。

縄張りの確立

 カメラトラップのデータでは、バレリオとボニートは、一方が姿を現してから数日以内にもう片方が同じエリアを歩いていることが頻繁に確認されている。マリン氏は、2頭が成長すれば、片方が相手を追い出すだろうと予想していた。生殖可能な年齢になると、オスのジャガーは自分の縄張りを確立しようとするからだ。

 予想にたがわず、やや体が大きいバレリオがこのあたりを縄張りとしているようで、最後にバレリオが目撃されたのは3月だ。ボニートは2021年10月22日を最後に確認されていない。ボニートもどこか近くにいるのではとマリン氏は考えているが、解明は難しい。

 マリン氏は、カメラトラップで野生動物を調査するかたわら、生物学者のメリッサ・メリック氏、ケイティ・ベンソン氏、マット・バレンテ氏とともに、複数の小川で環境DNAのサンプルを採取した。その結果、ジャガー、アメリカクロクマ、オジロジカなど在来野生動物の形跡が見つかった。サンプル採取と環境DNAの調査を拡大し、解明が進んでいない野生動物の存在をさらに追究したいとベンソン氏は話している。

 この調査では、この地域が多くの重要な種の生息地となっていることや、生息環境の回復によって生物多様性が高まる可能性が確認された。

「動物たちがこの地域を何度も訪れているという事実は、ここの生息環境が良好であること、そしてメキシコと米国の周辺地域との接続性を向上させる必要があることを物語っています」と、コプロフスキー氏は話している。

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