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米東海岸の名物野生ポニー、難破船起源の伝説が一転有力に、研究

  • 2022年7月29日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 米国バージニア州のシンコティーグ島は、野生化したポニー(小型馬)の王国だ。ボサボサのたてがみをもつ小柄でカラフルなウマたちは、1頭のオスと数頭のメスからなる小さな群れを作って、海岸を歩いたり、湿地の草を食んだりして暮らしている。

 このウマたちは、1947年に発表されたマルグリート・ヘンリーの児童小説『シンコティーグのミスティ』によって有名になった。毎年7月になると、近くのアサティーグ島から海峡を泳いで渡ってくるウマを見ようと、数万人の観光客がシンコティーグ島を訪れる。島にすむウマの数を適切な範囲に抑えるため、泳いできたウマたちはその後、競りにかけられる。

 シンコティーグ・ポニーは広く知られているにもかかわらず、その起源は謎に包まれている。地元の言い伝えでは、1750年頃にスペインのガレオン船がバージニア沖で沈没した際に漂着したウマの子孫だとされている。

 しかし、その難破船に関する史料がないため、シンコティーグ島のポニーはもっと新しい時代に近辺で飼われていた家畜が逃げ出したものだろうと考えている歴史家が多い。

 ところが、2022年7月27日付けで学術誌「PLOS One」に発表された論文で、シンコティーグ島の言い伝えが正しかった可能性が示された。証拠となったのは、約2000キロも離れたカリブ海の島で見つかったウマの歯に含まれていたDNAだ。研究者たちは論文で、この歯の持ち主だったウマと、バージニア州とメリーランド州の砂州島にすむポニーは近い関係にあると主張している。

 米フロリダ大学の動物考古学者で、論文の著者の一人であるニコラス・デルソル氏は、カリブ海のウマとシンコティーグ島のポニーは、どちらも青銅器時代のスペインを起源とする進化的系統に属していると説明する。

 今回デルソル氏は、450年前のウマの臼歯の破片を調べた。1980年にハイチ北部にあるスペイン植民地時代の遺跡プエルトレアルで収集された標本で、ウシの歯だと誤解されたまま、フロリダ大学の博物館の収蔵品として何十年間も忘れ去られていたものだ。

「思いがけない発見でした」と氏は言う。「ウシについて調べていたときに偶然、このウマのデータに出くわしたのです」

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植民地に連れて来られたウマたち

 プエルトレアルは、コロンブスがカリブ海に到達してわずか10年後の1503年にスペイン人によって建設され、牧畜の中心地の1つとして繁栄した。街の周囲の肥沃な牧草地では、皮革と食肉のためにウシが飼育されていた。そのため、プエルトレアルのゴミ捨て場の遺跡にはウシの骨が多く、現代の考古学者にとっては情報の宝庫となっている。

 牧場ではウシを追い立てるのにスペインから連れてきたウマが使われていたが、当時はステータスシンボルとして珍重されていたため解体処理されることはめったになく、考古学調査でウマの骨が見つかることは珍しい。フロリダ大学のフロリダ自然史博物館に収蔵されている12万7000点のプエルトレアルの動物標本のうち、ウマの標本は8点しかない。

 デルソル氏によると、今回の発見をもたらしたウマの歯は、ゴミ捨て場ではなく、かつて教会が立っていた場所の近くで発見されたものだという。

 デルソル氏らは、ウマの歯のサンプルを凍結粉砕した後、その粉末を処理してDNAを抽出し、研究機関に塩基配列の解読を依頼した。古いDNAは熱帯の高温多湿の環境では劣化してしまうことが多いので、彼らはあまり期待していなかったというが、この歯のサンプルからは驚くべき量の遺伝情報が得られた。

 研究チームは、ウマのミトコンドリアDNAに注目した。ミトコンドリアDNAは、母親から受け継がれるタイプのDNAで、ほとんどの細胞に豊富に含まれているため、生物の母系をたどるのに役立つ。デルソル氏のチームは今回、コロンブス以後の西半球の家畜ウマで最古のミトコンドリアゲノムの完全な解読に成功した。

 新たなゲノムを手にした研究チームは、現代の家畜ウマの大きな系統樹の中にプエルトレアルのウマを位置付けようとした。そこで、プエルトレアルのウマのミトコンドリアゲノムを、世界中の80以上のウマ集団から得られたミトコンドリアゲノムの解析データと比較した。その結果、プエルトレアルのウマと最も近縁なのはシンコティーグ・ポニーであることが判明したのだ。

「私はシンコティーグ・ポニーのことを知りませんでした」とデルソル氏は言う。「後になって、スペインの難破船に関する興味深い逸話を読んだのです」

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どうやってシンコティーグ島にたどり着いたのか

 北米大陸には家畜ウマ(Equus caballus)のもとになったノウマ(野馬、Equus ferus)が生息していたが、約1万年前の最終氷期の終わりにノウマが姿を消すと、ウマがいない時代が長く続いた。

 北米にウマが戻ったのは15世紀後半のことだった。ヨーロッパの探検家たちがカリブ海地域に植民を始めたことで、家畜ウマが再導入されたのだ。ヨーロッパ人が北米大陸本土に進出すると、ウマはかつて野生の祖先たちが駆け回っていた大陸全土に速やかに広がっていった。

 しかし、シンコティーグ島やアサティーグ島のような過酷な環境にすみつくウマは少なかった。食料の選択肢が限られている中、この地のポニーたちは湿地の草だけを食べている。塩分の多い食事をする彼らは体が小さいうえ、平均的なウマの2倍の水を飲むため、常にむくんでいる。島が支えられるウマの数の上限は約150頭なので、シンコティーグ・ポニーを所有する島のボランティア消防団は毎年競りを行い、ウマの数を調節している。

 こんな過酷な環境だからこそ、人々はシンコティーグ・ポニーがこの地にたどり着いた経緯に興味をそそられるのだ。デルソル氏は、小説『シンコティーグのミスティ』で取り上げられている難破船起源説が、今回の研究によって有力な説になるかもしれないと話す。

 理由の1つは、シンコティーグ島がある場所だ。この島は、危険な浅瀬が続く米国中部大西洋岸(ニューヨーク州からバージニア州にかけての東海岸)にある。そして、冬の嵐の時期には、植民地時代のものを含む難破船の残骸がしばしば陸に打ち上げられているのだ。

 米ニューメキシコ大学の考古学者で、ウマの到来が北米大陸西部の生態系に与えた影響を研究しているエミリー・ジョーンズ氏は今回の発見について、動物考古学的な遺物が歴史的な記録の空白を埋められることを示す好例だと称賛する。なお、氏は今回の研究には参加していない。

「シンコティーグ島の野生化した集団は、北米大陸のウマの分布についてはヨーロッパの歴史的文献が当てにならないことを示しています」とジョーンズ氏は言う。

 デルソル氏は、ウマの歯の破片にはさらに大きな物語が隠されていると信じている。沈没したガレオン船に乗っていたスペイン人たちが米国の中部大西洋岸まで北上していたことを、今回の結果は示唆しているからだ。

 当時のスペイン人がこの海域を探検していたことを示す歴史記録はほとんどないが、ウマの歯に保存された情報は、点と点を結びつけるのに役立つかもしれない。

「これはウマだけの話にとどまらないのです」とデルソル氏は言う。

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