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なぜ?脳を損傷しても頭突きを繰り返すジャコウウシ

  • 2022年7月5日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 北極圏に生息する毛むくじゃらの巨大な動物ジャコウウシ(Ovibos moschatus)。この動物のオスは繁殖期になると、互いに頭からぶつかり合い、鋭い角で相手を突く。1頭の体重が360キログラム、突進するときの速さは時速48キロメートルに達するにもかかわらずだ。

 その10〜12年の寿命の間に、ジャコウウシのオスは約2100回も頭をぶつけることがあるという。ここである疑問が生じる。そんなに頭をぶつけて、脳が壊れないのだろうか?

「ジャコウウシやビッグホーン(オオツノヒツジ、Ovis canadensis)のように頭突きをする動物は、頭部の損傷に対して何らかの耐性があると思い込まれていました」と、米マウントサイナイ・アイカーン医科大学の神経科学者ニコール・アッカーマンズ氏は言う。「まるで彼らが魔法の角をもっているかのように思われていたのです」

 しかし、アッカーマンズ氏が調べたところ、これらの動物たちの脳損傷については研究例がないことがわかった。そこで氏らは、ハンターからの寄付や飼育下の研究用動物から、ジャコウウシとビッグホーンの脳を手に入れた。

「全ての標本で、ヒトにおける慢性の外傷性脳損傷(TBI)の初期によく似た特定のパターンを発見しました」とアッカーマンズ氏は言う。この成果をまとめた論文は2022年5月17日付けで医学誌「Acta Neuropathologica」に掲載された。

 この新たな研究は、ヒトの脳損傷をより深く理解するために非常に重要だとアッカーマンズ氏は言う。なぜなら、ウシ科の動物(ウシやヒツジなど)の脳は折りたたまれてシワがあり、滑らかな脳をもつマウスよりもヒトの脳に似ているからだ。

 同時にこの研究成果は、進化によって動物は驚くほど自滅的になりうるという証拠でもある。この点では、ジャコウウシは決して例外的な動物ではない。

「一度でも繁殖に成功すればそれでいい」

 アッカーマンズ氏の研究チームは、3頭のジャコウウシと4頭のビッグホーンの脳から外傷性脳損傷の指標となる物質を探した。アルツハイマー病や慢性外傷性脳症(CTE)などヒトの脳損傷のパターンは、ある化学物質で脳を染色することによって明らかにすることができる。特に今回、研究チームが探したのは「タウタンパク質」という指標物質だった。

「ニューロン(神経細胞)が、老化や遺伝的な問題、あるいは機械的な衝撃によって損傷し、引き裂かれると、タウタンパク質が分解され、塊になります」とアッカーマンズ氏は説明する。「そして、タウタンパク質の蓄積が特定のパターンで見られたら、その脳が正常か、老化しているか、アルツハイマー病か、潜在的な外傷性脳症かを見分けられます」

 残念ながらビッグホーンの脳では、今回の方法でタウタンパク質の蓄積はあまり検出できなかった。しかし、ジャコウウシの脳では、タウタンパク質がクリスマスツリーのように色を発した。

 頭突きのような自然な行動がこれほど有害でありうるのは、直感的には理屈に合わないと思うかもしれない。しかし、重要なのは長期的にみることだとアッカーマンズ氏は言う。

「毎年、ジャコウウシは何度も頭突きをしますが、一度でも繁殖に成功すればそれでいいのです」と氏は言う。「進化的に促されているのは、直ちに死なないことだけです」

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 おそらくオスのジャコウウシの寿命が15年未満、メスが15〜23年しかないせいもあるのだろうと氏は言う。寿命がそれほど長くないため、たとえジャコウウシの生涯を通じてタウタンパク質が蓄積されても、アルツハイマー病やその他の認知症のような疾患を引き起こすほどの量になることはないのだ。

「ジャコウウシの生涯はそれほど複雑ではありません」と氏は言う。「ですから可能性としては、ジャコウウシは必要なことをするのに十分な時間を生きることができます」

 アッカーマンズ氏は今後、様々な種のキツツキを研究し、木に頭を打ちつける行動によって脳に外傷が生じるかどうかを調べたいと考えている。キツツキの脳を調べた唯一の研究ではタウタンパク質の証拠がいくつか見つかっているが、「特定のパターンを示すものではありませんでした」と氏は言う。

ひたすら交尾して死ぬ肉食動物

 ジャコウウシはある種の有袋類と興味深い類似点があると、オーストラリアのクイーンズランド大学生物科学部の哺乳類生態学者ダイアナ・フィッシャー氏は言う。

 小型の肉食動物アンテキヌスは、オーストラリア本土とタスマニアに生息する有袋類だ。アンテキヌスは近年、オスが一生に一度、数週間の繁殖期中に交尾だけをひたすら続け、繁殖期が終わると死を遂げることで非常に有名になった。アンテキヌスのメスは2〜3年以上生きられるが、オスが11カ月以上生きることはめったにない。

「アンテキヌスは狂気じみた繁殖期を過ごします」とフィッシャー氏は説明する。交尾は12〜14時間続き、その後もオスはできるだけ多くのメスと交尾しようとするが、その結果オスは死んでしまう。

「皮膚のコラーゲンも腸も分解され、内出血を引き起こします」と氏は言う。「寄生虫や病気にとても弱くなり、免疫力が落ちます」。そのため数週間後には死んでしまう。

「これは哺乳類ではかなり珍しいことです」と氏は言う。なぜなら、多くの哺乳類は何度も繁殖期を経験できるほど長く生きる傾向があるからだ。

 自滅的な繁殖は、昆虫・魚類・植物・クモ形類動物ではより一般的だ。オーストラリアに生息するセアカゴケグモは交尾する際、オスがメスの口の中に入ってしまう。

「メスを食べることに夢中にさせることで、メスが別のオスと更に交尾をするのをやめさせるのです」

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自滅的な昆虫

 一般に、社会性のある昆虫のコロニー(集団)では、似ているようで少し異なる力学が働く。

 ヨーロッパのミツバチは、クマのように皮膚が柔らかい敵を刺すと、針が敵の皮膚に埋め込まれて死んでしまう。ジバクアリは巣を敵から守るために、自分の腹部を真っ二つに引き裂くことがある。また、シロアリの中には、年老いた働きアリが自爆するものもいる。

 しかし、自殺的な行動は、進化論的にどのような意味をもつだろうか?

「簡単です」と、米コーネル大学の生物学者で『野生ミツバチの知られざる生活』の著者でもあるトーマス・シーリー氏はメールでの取材に答えている。「働きバチや働きアリは、自分自身の繁殖ではなく母親であるコロニーの女王を助けることで、遺伝的(進化的)成功を収めています」

「この助け合いの1つがコロニーの防衛です」と氏は説明する。

「これを『超個体』と呼ぶ研究者もいます」と、オーストリアのウィーン自然史博物館でジバクアリを研究している昆虫学者アリス・ラシニー氏は言う。「つまり、アリのコロニーやハチの巣はむしろ、女王が生殖器官の役割を果たす1匹の大きな動物に近いのです。小さな働きアリは数が非常に多く、少ない資源で育つため、ある意味で体の細胞に似ています」

 ジャコウウシの場合と同じく、私たちの目には暴力的で自滅的に見える働きアリの行動は、繁殖につながる限り、コストに見合うだけの価値はあるようだ。

「このシステムでは、必要であれば自分を犠牲にして女王アリや姉妹を守ることが、働きアリにとって自分の遺伝子を守り伝えることができる方法なのです」とラシニー氏は言う。

母親の究極的な自己犠牲

 動物界におけるもう一つの犠牲の形は、母親が子どもに生き残る機会を与えるためにする献身的な行動だ。

 アシナシイモリという脚のない両生類の中には、生まれた後の最初の食事として、文字通り母親の皮膚の表皮を食べる種がいる。また、アフリカに生息するムレイワガネグモの1種(Stegodyphus dumicola)はこれをさらに一歩進め、子どもが母親を殺して食べてしまう。

 タコは、究極的な自己犠牲をする母親と言えるかもしれない。メスは、なんと4年間も寝ずに卵を見守り、その間は食事さえ取らないこともある。

「卵を守っている間に、メスは必然的に全身の蓄えを使い果たして死んでしまうのです」とフィッシャー氏は言う。

「かわいそうだと思うかもしれませんが、多くの種はこのようにして次世代の子孫が最高の成功を収めているのです」

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