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魔女狩りの恐ろしい歴史、不当な嫌疑で殺された女性たち

  • 2022年7月2日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 15〜17世紀にヨーロッパと米国で起こった魔女狩りは、人類史上で最も悪名高い出来事の一つだ。多くの人々が不当に魔女の嫌疑をかけられて拷問を受け、殺された。そして、そのほとんどは女性だった。

古代の治療師

 不思議な力を使って日常の出来事を変えようとする「魔術」という概念は、古代から存在した。紀元前18世紀のハンムラビ法典には、魔術を行った者への罰則規定が定められていた。魔女は、良い存在とみなされることもあれば、悪い存在とみなされることもあった。一般的に、人を助ける白魔術は善、人を傷つける黒魔術は悪とされる。

 魔術を行う者には女性が多く、彼女たちは病気を治したり、出産を助けたり、失くしたものを見つけたりするなど、近所の人々に頼られていた。しかし、病気や死、嵐、地震、干ばつ、洪水など何か悪いことがあった時も、魔女のせいにされた。

 特別な力を持つ女性が、神として崇められることもあった。古代ギリシャの女神ヘカテは、魔法と呪文の女神として、天と地、海を支配した。同じくギリシャ神話には、英雄イアーソーンを手助けするメーデイアという魔女が登場する。

 しかし一方で、こうした魔女は、神に反する呪文を唱えたり、物の姿を変えたり、天の法則を曲げているとして人々から恐れられることもあった。聖書は、そのような悪に対して警告を発している。「女呪術師を生かしておいてはならない」(日本聖書協会『新共同訳 旧約聖書』出エジプト記22章17節)。「男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる」(日本聖書協会『新共同訳 旧約聖書』レビ記20 章:27節)

中世ヨーロッパの苦難

 中世に入り、ヨーロッパで黒死病(ペスト)が流行し、宗教戦争が起こると、人々は魔女や狼男などの超自然的な悪の力が社会を破壊しようとしていると信じるようになった。

 ローマ教皇にとって、あらゆる災難を魔女のせいにするのは簡単なことだった。15世紀のキリスト教会は、エデンの園に罪をもたらしたのは最初の女性であるイブだと信じていたため、時のローマ教皇インノケンティウス8世の審問官たちは、主に女性を標的にして魔女を洗い出そうとした。市民の間で少しでも口論が起きたり苦情が出れば、魔術を使っていると訴えられた。一度疑いをかけられた者は、拷問されて自白を強要された。さらに、仲間の名前を挙げさせられ、その全員が捕らえられて絞首刑か火刑に処せられた。

 フランスの聖人ジャンヌ・ダルクも、魔女であるという罪で処刑された一人だ。イングランドとフランスの間で戦われた百年戦争の時代、農民の娘だったジャンヌ・ダルクは、イングランドと戦うよう啓示を受けた。そして、フランス軍を率いてオルレアンの町の解放に貢献したが、1431年にイングランドに捕らえられ、わずか19歳にして火刑に処せられた。しかし、1920年にはローマ教皇ベネディクトゥス15世によって列聖され、ジャンヌ・ダルクは異端判決を受けた唯一の聖人となった。

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ヨーロッパ最悪の魔女狩り

 英国では、国の最高権威である王室にまで魔女狩りの手が及んだ。国王ヘンリー8世は、1533年にアン・ブーリンと再婚するためにカトリック教会から破門されたが、アンは王の望んだ男子の世継ぎを生むことができなかった。そして1536年に姦通罪と反逆罪で有罪となり、斬首刑に処せられた。処刑後に、アンは11本の指を持つ魔女だったと訴えられたが、19世紀に掘り起こされたアンの遺骨には、11本目の指は確認されなかった。その後1542年に、ヘンリー8世は魔術禁止法を制定し、黒魔術を違法とした。

 スコットランドでは、1563年に魔術を死罪とする法律が定められた。その後スコットランド王となったジェームズ6世は、黒魔術を恐れるあまり1590年代にヨーロッパ最悪の魔女狩りを引き起こす。デンマークから花嫁として迎えたアン王女の船が嵐に遭ったのは魔女の仕業であると信じ、スコットランドのノース・ベリックで住人たちを集めて拷問し、自白を引き出そうとしたのだ。

 不幸にも捕らえられた人々のなかに、アグネス・サンプソンという助産婦がいた。審問官は、彼女の頭にスコールズ・ブライドル(叱責のくつわ)と呼ばれる拷問の道具を装着して、王を殺そうとしたと無理やり自白させた。サンプソンはその後、他の約70人の犠牲者とともに絞首刑となった。

セーラムの魔女裁判

 北米では、植民地時代に現在のマサチューセッツ州セーラムで行われた魔女裁判が最も有名だ。1692年、数人の少女が突然激しい発作を起こした。医師に悪魔憑きと診断された少女たちは、裁判にかけられた。これをきっかけに町は集団ヒステリー状態となり、疑心暗鬼になった住人たちが互いに隣人を魔女であると告発し始めた。そのほとんどは11歳から20歳の若い女性で、その結果150人以上が告発された 。なかには、4歳の少女まで含まれていた。

 この裁判で最終的に19人が絞首刑となり、1人が拷問中に圧死した。マサチューセッツの裁判所は、後に彼女たちの有罪判決を取り消している。

ヨーロッパ最後の魔女

 ヨーロッパで最後に魔女の疑いをかけられて殺されたのは、スイスのグラールスで家政婦として働いていたアンナ・ゲルディという女性だった。ゲルディは雇い主の娘の一人に金属製の物体を吐かせたとして訴えられ、1782年に処刑された。2008年、地元当局はゲルディを全面無罪とし、2017年には事件を伝える博物館が設立された。

今も残る恐怖心

 魔術や超自然的な力に対する恐れは、今も世界中に残っている。米国では、1980年代と90年代に、悪魔崇拝に対するパニック現象が起こり、根拠のない陰謀論や黒魔術批判が国中で巻き起こった。2000年代初頭には、パプアニューギニアやナイジェリアなどで、魔術に対する恐怖心が暴力を引き起こし、死者も出ている。今後、科学がさらに進歩し、迷信を信じる人がいなくなれば、こうした恐怖心が真に過去のものとなる日が来るのかもしれない。

【この記事の写真をもっと見る】ギャラリー:無実の人々が犠牲になった魔女狩り、恐ろしい歴史 あと7点

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