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まだあった有鉛ガソリン、数十年の取り組みが実りようやく廃止に

  • 2021年9月17日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 有鉛燃料を販売する世界最後の国アルジェリアのガソリンスタンドから有鉛ガソリンがなくなる。これで有鉛燃料はガソリンスタンドから姿を消す。

「記念すべき日です」と語るのは、国連環境計画(UNEP)でアフリカのサステイナブルモビリティー(持続可能な移動)プログラムを率いるジェーン・アクム氏だ。

 アクム氏は、燃料や塗料に含まれる鉛の問題に何十年も取り組んできたグループの一員だ。アクム氏を含めた専門家グループは、輸送と子供の健康の専門家で構成されている。

 19年前からUNEPの支援のもと、73の業界団体、政府、NGOなどで構成される「クリーン燃料、車両に関するパートナーシップ」によって、有鉛燃料の廃止に向けた国別の取り組みが行われてきた。しかし、鉛の健康被害は1世紀以上前から認識されていたにもかかわらず、なぜこれほど時間がかかったのだろう?

 まずは有鉛燃料が登場した背景を知っておこう。1921年、エンジンにダメージを与え、ガソリンの浪費につながるノッキングやピンギングの対策として、企業が鉛添加剤の製造を開始した。アルコールなどをベースにしたクリーンな代替品が存在したにもかかわらず、鉛の添加剤は大々的に宣伝され、人気を博すことになる(編注:日本でもかつては有鉛のガソリン車は多数あった)。

 世界中のガソリンタンクに1ガロン(約3.8リットル)当たり3グラム入れられた鉛はすべて、粒子となって排気管から排出され、大気中を漂った後、物体の表面に付着する。こうしてガソリンは世界を鉛でコーティングしたのだ。

 1970年代初頭には、鉛の健康への影響を確信した研究者によって、設立されたばかりの米環境保護庁(EPA)に研究結果が提出された。1980年、日本が先陣を切り、有鉛ガソリンの禁止に踏み切った。そして、オーストリア、カナダ、スロバキア、デンマーク、スウェーデンが追随した。米国とドイツでは、四半世紀前の1996年、有鉛燃料の段階的廃止が完了した。

鉛の有害性

 禁止後も、鉛の有害性を示す証拠がいくつも見つかっている。

 米シンシナティ大学の環境衛生学教授アミット・バタチャリヤ氏によれば、鉛は人の生理的領域のほぼすべてに影響を与えるという。「運動系、認知系、肝臓系、腎臓系、視覚系など、思い付くシステムはすべて破壊できます」

 米ハーバード大学T・H・チャン公衆衛生大学院で教壇に立つメアリー・ジーン・ブラウン氏は鉛の悪影響として、読むという行為が難しくなる可能性が明らかになっていると話す。「何かを読もうとするとき、統合しなければならない点がいくつかあります。記号である文字を見て、それをほかの記号と結び付け、さらに発音、ものや活動と結び付けなければなりません」

 鉛にさらされた子供は、IQに換算すると10ポイント相当のダメージを受ける、という。

 2003年、当時22歳のトニーさんは全米で放送されたラジオ番組「Living on Earth」で、「学校はとにかく大変でした。小学校から高校までずっと」と語っている。トニーさんは子宮内で鉛にさらされた人々を対象にした長期研究の被験者だ。この研究には、シンシナティに暮らす300人が参加した。

次ページ:有鉛燃料廃止に向けた取り組み

 鉛が学習機能に与える影響ほど広く知られていないが、鉛は子供や人のバランス感覚にも影響を与えることが分かっている。バタチャリヤ氏の研究テーマはこちらのほうだ。バタチャリヤ氏のチームは5歳から実施できる非侵襲性の簡単な検査で鉛による機能障害を発見する方法を考え出した。早期に発見された場合、バランスや運動の問題のいくつかは治療可能だ。鉛がどのようにバランス感覚に影響を及ぼすかについては、キム・セシル氏という研究者によって解明されているとバタチャリヤ氏は話す。

「彼らの脳には、バランスの維持に必要なニューロンがない、というか消えてしまったのです。鉛が奪い去りました」。鉛は血液脳関門を通過できるとバタチャリヤ氏は説明する。つまり、行きたい場所に到達できるということだ。

 研究者たちは鉛の影響を次々と発見している。バタチャリヤ氏は現在、鉛にさらされた女性の骨が早い段階でもろくなる可能性について調べている。「30歳という若さで、骨のもろさのパラメーターが47歳の女性より悪化しています」

 過去20年間の研究は、子供の血液に含まれる鉛の濃度に安全なレベルなど存在しないことを示唆している。

有鉛ガソリン廃止に向けた国際的な取り組み

 2000年代初頭、サハラ砂漠以南の25カ国が国連主導の「ダカール宣言」で有鉛ガソリンの段階的廃止に合意した。

 当時、ベナンの環境相だったルク・ニャカジャ氏は、鉛が健康に及ぼす影響について簡単な説明を受けただけで行動を起こした。「何もしないことによる損失と行動することによる利益を秤にかけて、ガソリン(の逸失利益)がGDPの1.2%に達することを知り、それが決断の大きな後押しになりました」。ニャカジャ氏はすぐに有鉛ガソリンを禁止した。

 それでも、有鉛ガソリンが禁止されない国が117カ国残った。UNEPのサステイナブルモビリティー部門を率いるロブ・デ・ヨング氏によれば、最初は順調だったという。「10年以内にほとんどの国で禁止されました。しかし、残された10カ国を説得するのにもう10年かかりました」

 UNEPのチームは誤情報にも遭遇した。古い車は、有鉛ガソリンでないと正常に動かないという噂が広まった。正常に車のエンジンが動作する新しい無鉛ガソリンが知れ渡っていないだけというケースもあった。UNEP事務局長のインガー・アンダーセン氏は、誰が言い出したかわからないとしたうえで、「いろいろな俗説が広がっていました」と振り返る。

 2010年、ガソリン用鉛添加剤の大手メーカーで、当時すでに最後のメーカーだったと思われるイノスペックが、英国の裁判所で有罪判決を受けた。鉛添加剤を購入してもらうため、インドネシア政府と製油所の関係者に賄賂を贈ったためだ。鉛添加剤の備蓄があれば、製油所が有鉛燃料の消費者需要を喚起する。狙いはそこにあったとデ・ヨング氏は説明する。イノスペックには1270万ドル(約14億円)の罰金が科された。2015年には、インドネシアの国有製油企業プルタミナの元役員がイノスペックの代理人から賄賂を受け取ったとして有罪判決を受けている。

次ページ:同調圧力もうまく利用

 鉛業界からの圧力はこれだけではなかった。ドン・ライアン氏は健康住宅アライアンスの事務局長だった2003年、上述のラジオ番組「Living on Earth」の中で、「鉛業界はことあるごとに、科学的証拠に異議を唱え、鉛の健康への影響は微々たるものだとあざ笑い、簡単に言えば、科学者はこの問題を完全に誇張していると主張しました」と語っている。

 しかし、アクム氏、デ・ヨング氏をはじめとするパートナーシップは着実に前進していた。

 そして、製油所を持つ国と、精製ガソリンをすべて輸入に頼る国の間に大きな違いがあることが浮き彫りになる。

 例えば、アフリカ最大級の国であるケニアは製油所を持つ側だ。「そこで、ケニアに行って『製油所に投資すべきだ』と言う代わりに、隣国のルワンダ、ブルンジ、ウガンダ、タンザニアに行き、『無鉛ガソリンを買った方がいい』と伝えた。その方がはるかに健全だ」とデ・ヨング氏は振り返る。これらの国からケニアに対し、無鉛燃料を提供してくれなければ、ほかの国から無鉛燃料を購入すると要求したのだ。

 同調圧力も利用したとデ・ヨング氏は話す。具体的には、鉛を廃止した国を青く示した地図を見せた。「大臣たちは言いました。『なぜ私たちはこの地図でまだ赤なのだ? 周りの国はもう青くなっているのに』と」

 アクム氏はガソリンスタンドの給油係を教育することの価値も見いだした。「彼らは私たちのアンバサダーになりました」。アクム氏によれば、給油係はガソリンスタンドに来た客に、無鉛燃料が車にダメージを与えることはなく、人にとっても良いものだと説明したという。

 パートナーシップはハンガリー、セルビア、ガーナ、ケニアで地元住民の血液検査も支援した。血液検査の結果は、燃料から鉛を除去すると、血液中の鉛濃度が急激に低下することを示唆していた。さらに、環境大気試験の資金も用意し、試験結果を説得の材料にした。

 データを見れば明らかだった。燃料から鉛が除去されると、人々の血液中の鉛濃度も低下した。

 ブラウン氏は「1986年の米国では、子供たちの平均血中濃度はおそらく8(マイクログラム/デシリットル)でした。それが今は0.9です」と説明する。ブラウン氏の鉛問題の研究は40年目を迎えようとしている。

 2016年までには、抵抗勢力はアルジェリア、イエメン、イラクのみになっていた。そして2021年8月、アルジェリアの製油所がついに鉛の備蓄を使い切った。UNEPの試算では、鉛の廃止によって、120万人の早すぎる死を防ぐことができる。医療費の節約と死を逃れた人々の生産能力を考えると、年間で2.4兆ドル(264兆円)の経済的な価値に相当するとの試算もある。

 アクム氏にはさらなる挑戦が待っている。次の課題は軽油から硫黄を取り除き、ディーゼルエンジンから排出される粒子状物質による世界的な肺がんのリスクを低減することだ。

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