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インドでラクダが減っている、遊牧民文化が危機に

  • 2021年8月28日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 インド北西部ラージャスターン州に暮らすバンワラルさん(35歳)は、父も祖父もラクダ飼いだったため、自分もラクダ飼いになった。「ラクダは私たち家族の延長線上にあります」。バンワラルさんはライカ族の一員だ。ライカ族はヒンドゥー教のシバ神から与えられた天職として、同州でラクダの世話をしている。

 バンワラルさんはナショナル ジオグラフィックの電話取材に応じ、「子供たちはまだ小さいうちにラクダとの絆を築きます。ラクダは私たちとともに生き、ともに死にます」と語った。

 乾期になると、バンワラルさんは仲間とともにヒツジ、ヤギ、ラクダの群れを集める。動物たちは音の鳴るベルや色とりどりのポンポンで飾られた後、アカシアの木が点在するタール砂漠を横切り、1000キロ以上離れた夏の放牧地に移動する。バンワラルさんと祖先は特徴的な深紅のターバンと白のチュニックをまとい、何世紀にもわたって半遊牧生活を送ってきた。

 現在、毎年恒例のこの儀式が一連の脅威によって危機にさらされている。最も深刻なのはラクダの減少だ。インド政府が2019年に発表した第20回家畜調査によれば、インドのラクダは2012〜2019年に37%減少している。インドのラクダはすべてヒトコブラクダだ。インドには9つの品種が存在し、総数は20万頭に満たないと推定されている。その80%がラージャスターン州に暮らし、輸送手段、毛や乳の供給、耕作のために飼育されている。

 しかし最近、インド西部は開発ラッシュで、「砂漠の船」の異名を持つスリムなラクダに代わり、新しい道路と車両が人やものを運ぶ主な手段になった。また、インド最大規模のインディラ・ガンディー運河をはじめとする灌漑事業によって農地が増加。風力発電所や太陽光発電所の建設も相まって、ラクダが草を食べる場所が減っている。

 ラクダ自身の人気も低迷しているようだ。ラクダ祭りはかつて、民族音楽と踊り、食べ物や工芸品の屋台、ラクダの販売などで盛り上がっていたが、今ではほとんど姿を消してしまった。

 さらに追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる観光業の崩壊と、オスのラクダの輸出や販売を禁止する2015年の州法だ。この州法により、ラクダ肉の販売も全面禁止になった(ライカ族の人々は、ラクダの肉を食べることは信仰に反すると考えている)。

 ドイツ人獣医師イルサ・コーラー・ロレソン氏によれば、州法制定の背景には、ラクダ肉を求める他国にライカ族のラクダが密輸されていた事実があるという。しかし、この法律は議論の的になっているとロレソン氏は話す。「生活と直結している家畜の販売を制限することは現実的ではありません。ライカ族が生計を立てるには、オスのラクダを売る必要があります」。ロレソン氏はナショナル ジオグラフィックが支援するエクスプローラー(探究者)で、1996年、ライカ族とその生活を守るため、NPO牧畜民福祉団体 Lokhit Pashu-Palak Sansthan を設立した。

 一家でマラリ村に暮らすバンワラルさんはこれらの障害に直面したせいで、子供たちを学校に通わせ、ラクダ飼い以外の人生を歩ませようと決意した。

「今も私たちを支えているのはラクダの乳の販売だけです。政府がインセンティブを用意し、ラクダの乳製品の製造所をつくり、オスのラクダの販売を認めない限り、私たちの将来は絶望的です」

 ラージャスターン州の畜産当局にコメントを求めたが、回答は得られなかった。

スーパーフードとして人気上昇

 チェンナイの栄養士ダリニ・クリシュナン氏によれば、ラクダの乳は次のスーパーフードとして多くの栄養士に支持され、インド国内で流行しているという。ラクダの乳は糖分が少なく、ビタミンCやカリウムなどのビタミンとミネラルが豊富で、乳糖不耐性の人でも飲めるとクリシュナン氏は説明する。

 まだ何らかの結論を出す段階ではないものの、ラクダの乳の治療効果についても研究が進められている。例えば、ラージャスターン州ビーカーネールで少数の1型糖尿病患者を対象に行われた研究では、ラクダの乳によってインスリンの必要量が減ることが示された。

次ページ:ラクダ乳を収入減にするための課題

 しかし、ラクダの乳をラクダ飼いの収入源にするにはいくつかの課題がある。ビーカーネールに拠点を置くICAR国立ラクダ研究所の主任研究員スマンス・ビアス氏は、ラクダの生乳を都市部に運ぶためには低温殺菌と冷蔵が必要で、コストがかかると指摘する。

「ラクダが乳のために飼育されたことはありませんでした。また、需要と供給の場所が非常に離れているため、ラクダの乳はビジネスとして簡単ではありません」

 こうした障壁が動機となり、ロレソン氏は2010年、ラージャスターン州サドリ近郊にクンバルガル・ラクダ乳製品製造所をつくった。ライカ族が運営するこの製造所では、毎週約500リットルの乳をラクダ飼いたちから集めている。ラクダ飼いは立っているメスから手作業で搾乳するため、子ラクダは反対側で乳を飲むことができる。乳は冷凍したうえで氷詰めにされ、都市部の市場に出荷される。

 シュリー・クマール氏は2016年、首都デリーに本社を置くスタートアップ企業、アードビク・フーズを共同で立ち上げ、ライカ族のラクダ飼いから調達した乳を使い始めた。アードビクは冷凍したラクダ乳をオンライン販売しており、インドで初めてラクダの乳と粉乳をブランド化した。

ラクダ飼いを支援する事業の立ち上げ

 ラクダ乳製品は近隣州でも利益を上げている。例えば、グジャラート州では、カッチ県のラクダ飼いたちが酪農協同組合アムールと提携し、2019年にラクダ乳の発売にこぎ着けた。賞味期限6カ月のラクダ乳以外にも、アムールはラクダ乳を使った粉乳やアイスクリーム、チョコレートを販売している。

 アムールのマネージングディレクターR・S・ソディ氏によれば、高まる需要に対応するため、60〜70人のラクダ飼いが2000頭近くから搾乳しており、4000万〜5000万ルピー(約6000万〜7500万円)規模の事業になっているという。

 グジャラート州のラクダの保護に取り組むNPOサウジーバンのラメシュ・バッティ氏によれば、ラクダ乳への関心が高まった結果、同州ではラクダの数が増加したと言われているそうだ。ただし、正式な調査は行われていない。「ラクダ乳の需要は間違いなく存在し、現在、私たちが供給できる量を超えています」

 ただし、ライカ族が生きていくために必要な解決策はラクダ乳産業の発展だけではないとビアス氏は警告する。

 2015年の州法によって主な収入源を断たれたライカ族は、ラクダの放牧地とともに政府の支援を必要としている。例えば、ラクダを使った輸送の推進、ラクダを使った持続可能な観光の促進、公営の乳製品製造所の設立などだ。

「あらゆる車両を対象に銀行ローンが用意されている」のに、ラクダで荷物を運ぶラクダ飼いに関しては「金銭的支援がほとんど存在しません」とビアス氏は話す。

 バンワラルさんに言わせれば、ラクダの飼育とライカ族の文化は決して切り離せない。

「私たちの祖先が行ってきたことであり、私たちもそれを続けたいと願っています。これは神聖な天職であり、死なせることはできません」

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