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五輪出場のエスワティニ、国内では抗議運動と弾圧

  • 2021年8月2日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 2021年の東京オリンピックに、新たな国名でデビューを果たした国がある。3年前までスワジランドの名で知られていたアフリカ最後の絶対君主制国家、エスワティニ王国だ。陸上、ボクシング、水泳の4選手がエスワティニ代表として金メダルを目指している。

 4選手が日本で奮闘している間、アフリカ南部の故国では、多くの家族、友人、ファンが全く違う戦いに巻き込まれている。命にかかわる、より大きな戦いだ。

 エスワティニではこの2カ月、政情不安が続いている。アフリカ最後の絶対君主であるムスワティ3世への不満を表明し、政治改革を求める民主化運動が拡大しているのだ。

 民主化運動のきっかけは、25歳の法学生タバニ・ンコモニェの死だった。ンコモニェは警察に殺されたと言われている。以来、警察の発砲、殴打、過剰な武力行使によって、少なくとも40人が死亡し、150人以上が入院している。

 民主化運動の拡大を受け、エスワティニ通信委員会はソーシャルメディアやオンラインプラットフォームへのアクセスを無期限停止した。その結果、市民は警察の暴力を記録できなくなった。さらに、政府の弾圧によりジャーナリストの取材も制限されている。

国名変更の背景

 20世紀に入ってすぐ、この小さな内陸国は英国の統治下に置かれ、1968年、非暴力の政権移譲によって独立を果たした。

 そして2018年、独立50周年を記念し、植民地だった過去と決別するため、ムスワティ3世は国名をスワジランドからエスワティニ王国に変更すると発表した。

 ムスワティ3世は国名変更を発表したとき、「アフリカの国々は独立後、昔の名前に戻っています」と聴衆に語り掛けた。「植民地化される前」の伝統的な名前や歴史的な名前という意味だ。

 ムスワティ3世は南アフリカとモザンビークに囲まれたこの国を35年にわたって統治してきた。政党活動は禁止されており、世界銀行によれば、約120万人いる国民の3分の2近くが貧困層に属するという。

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 ナショナル ジオグラフィックが2018年の記事で伝えている通り、ムスワティ3世は長年、アフリカ以外の人々がスワジランド(Swaziland)をスイス(Switzerland)と間違えると不満を漏らしていた。

 しかし、「スワジ人の地」を意味するエスワティニは、スイスに比べて面積は半分未満(四国よりやや小さいくらいだ)。スイスの直接民主制と異なり、ムスワティ3世は、82年も在位した父ソブーザ2世から1986年に王位を継承した。

 近年、エスワティニはサイの角の取引で物議を醸している。2019年のワシントン条約(CITES:絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)締約国会議で、エスワティニはシロサイの角の国際取引を再開することを提案した。エスワティニはすでに、生きたミナミシロサイと狩猟で仕留めた個体の限定的な取引を認められている。しかし、角の国際商取引に参入するという提案は完全に退けられた。

 米国の公共ラジオ局NPRが報じているように、エスワティニでは、700人近くの命を奪った新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との闘いが続いており、政府は教師への賃金支払いに苦労している。こちらも2021年に入ってから抗議行動に発展した。その一方で、「国王と15人の妻はぜいたくな暮らしを続けている」と指摘する。

 貧しい国の名前を変えても、国民にとって解決策にはならないことを王家は学んでいる。新しい国名は過去を取り戻し、国民の誇りを呼び覚ますことを目的としたものだが、国民の多くは未来に目を向け、アフリカ最後の絶対君主への抗議行動に参加している。

 ある若者は6月、カタールのテレビ局アルジャジーラの取材に対し、「私たちスワジランドの若者は政府にとても失望しています」と語った。「私たちの政府は公平ではありません。この国はたった1人の男に所有されています」

独裁的な支配に抗議の声

 エスワティニでの抗議行動を受け、ムスワティ3世は2020年12月にCOVID-19で死去したアンブロセ・ドラミニ首相の後任としてクレオパ・ドラミニ氏を首相に指名した。この発表が行われたのは今年7月、民主的に首相を選出する権利などの改革を求めるデモが起きた後だった。

 ムスワティ3世は聴衆の前で、「国を正常に戻し、回復させ、経済をよみがえらせる人物であることを祈っています」と言った。しかし、BBCの報道によれば、ムスワティ3世は君主制に反対する抗議行動を「邪悪」で国を後退させる行為と言及したという。

次ページ:ジャーナリストに暴力

 1973年に以前の憲法が廃止されてから、エスワティニでは政党活動を法的に認めておらず、政党で選挙を戦うことができない。つまり、議会選挙に出馬する場合、立候補者は政党の支援なしに1人で戦わなければならないということだ。政治的な反対意見すら認められなかった時代もあり、活動家や労働組合のリーダーは厳格な法律によって口を封じられていた。

 NPRのテンダイ・マリマ氏は次のように記している。「しかし、反対意見が高まるにつれて、それまでバラバラだった要求が集約され始めています。市民はムスワティ3世の独裁的な支配、つまり、首相の任命権、議会と司法に対する執行権、エスワティニ全土の独占的な管理者として振る舞う権利を拒絶しています」

 国民の不安を解消するには、新しい首相を任命するだけでは不十分だ。政府の弾圧に直面したジャーナリストたちがBBCニュースのインタビューに応じ、混乱状態の国で取材を行った体験について語っている。

 ジャーナリストのマグニフィデント・ムンデベレ氏は当局から身体的な暴力を受け、命の危険にさらされた。「のどをつかんで押さえ付けられ、窒息しそうになりました。肋骨も殴られました」

 ムンデベレ氏と一緒に行動していた「New Frame」の記者セベリフレ・ムブイサ氏は携帯電話で写真を撮り、暴力を記録しようと試みた。「しかし、どこからか兵士が飛んできて、私たちに同行を命じました…私たちがなぜ写真を撮っているのかと聞いてきました」。エスワティニ通信委員会がメディアへのアクセスを一時停止しているため、写真撮影は違法だと兵士は説明した。

「私たちはジャーナリストだと伝えましたが、彼らは気にしていないようでした」

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