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政府推奨のコロナ伝統療法、医師から非難の声続々、インド

  • 2021年6月4日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 新型コロナウイルスの流行が世界最悪レベルのインド。酸素も医薬品もワクチンも不足するなかで奮闘する全国各地の医師たちは、6月2日、一斉に黒い腕章をつけて、インドで最も有名なヨガ伝道師ババ・ラムデブ氏の逮捕を要求した。

 ラムデブ氏はテレビにもよく登場する伝統薬企業の創業者だ。新型コロナ感染症に対する効果が実証されていないにもかかわらず、薬草やヨガによる治療を宣伝する一方、現代医薬を「馬鹿げている」と言い、インド国内で数十万人が新型コロナで死亡したのは現代医学のせいだと非難している。

 だが、ラムデブ氏は決して異端の存在ではない。それどころか、ヒンドゥー民族主義を掲げるインド人民党(BJP)政権と密接なつながりがあり、保健相にも支持されている人物だ。2020年のパンデミック(世界的大流行)発生以来、モディ首相率いるインド政府は伝統医学「アーユルベーダ」を熱心に奨励してきた。

 アーユルベーダはヒンドゥー教と深い関係にあり、5000年の歴史を持つ。植物由来の薬、ヨガ、食事療法、行動の変化などを利用して心身を治療する。インドでは現在も数億人が生活に取り入れているほか、インド政府の新型コロナ対策指針にも予防や治療の方法として盛りこまれている。

 最近、薬剤の不足によりワクチン接種が停滞したため、インド政府は「AYUSH64」というアーユルベーダ薬を無料で配布し始めた。4種類の薬草から作られており、効果は実証されていないが、政府は「抗炎症作用と免疫調整作用」があると主張している(この錠剤の名は、伝統医学を管轄するアユシュ省に由来するが、「長寿」の意味もある)。一部の与党議員や宗教団体は、ウイルスから身を守るためだとして、牛の尿を飲んだり、牛の糞を体に塗りつけることまで推奨した。

 だが米紙ニューヨーク・タイムズによれば、インドでは6月2日の時点で新型コロナの「第2波」による死者が33万5000人に達した。この現状を受けて、現代医学の医師たちだけでなく、一部の著名なアーユルベーダ施術者からも、有効性を示す科学的根拠がない代替医療に非難の声が上がっている。

次ページ:乏しい根拠

 アーユルベーダは「(インドにおける)初めての科学への試みでした」と話すのは、首都デリー郊外の産業都市グルグラムにあるメダンタ病院の内分泌学者M・シャフィ・クチャイ氏だ。「でも、現在では役に立ちません。特に、信頼できる研究結果がない点は重大です」

 アーユルベーダ医学の代表的な教授のひとり、ヘマント・トシカーネ氏も、伝統薬は新型コロナに対して予防効果があると信じていた。

 トシカーネ氏が率いるインド、パルール大学インスティチュート・オブ・アーユルベッドでは2020年3月から、ウイルス予防のためとして、発熱と消化器症状に用いられる伝統的な薬草と点鼻薬を教員と学生に配布し始めた。大学があるインド西部グジャラート州のワゴディアでは、2020年、複数の新型コロナの感染者が確認されたが、トシカーネ氏によれば、このキットを受け取った人は誰も感染しなかったという。

 1年後、深刻なパンデミックの第2波がインドを襲い、4月中旬から5月にかけて毎日のように4000人前後が亡くなった。トシカーネ氏は再び薬草キットを配布したが、今回はほとんどの人が感染してしまったので「もう配布はやめました」と話す。

乏しい根拠

 アーユルベーダはサンスクリット語で「生命の科学」という意味で、体は宇宙と同じく5つの要素(風、火、水、土、空)で構成されているという理論に基づいている。「それらが、人間の体には“ドーシャ”として現れます」とトシカーネ氏は説明する。

「体の3つのドーシャ、つまりバータ、ピッタ、カファのバランスが崩れると、病気になります」。ドーシャのバランスは、生活様式や食事を改善することで取り戻すことができる。対して心の3つのドーシャ(サットバ、ラジャス、タマス)は、ヨガや瞑想で整える。またアーユルベーダの施術者は、病気を治療するのに薬草や鉱物由来の薬や手術も使う。

 しかし、慢性疾患や感染症に対するアーユルベーダの効果について、確実な研究結果は出ていない。米国立衛生研究所(NIH)傘下の国立補完統合衛生センター(NCCIH)は、骨関節炎の痛みや2型糖尿病のわずかな症状の治療を除けば「その他の健康上の問題においてアーユルベーダの有用性を示す科学的根拠は乏しい」としている。アーユルベーダの有効性に関する研究の多くは小規模で、欧米の査読付き医学誌に発表されたものは少ない。

 それでも、インドでは大多数の人々がこの伝統医療に信頼を寄せている。インドでのアーユルベーダの再興に関するコンサルティング会社プライスウォーターハウスクーパース(PwC)の報告書によれば、同国でアーユルベーダを利用した人の割合は2015年には69%だったが、2018年には80%近くに増加していた。この報告書は、2015年には25億ドル(約2750億円)規模だったインドのアーユルベーダ市場が2022年には80億ドル(約8800億円)に成長すると予測している。

 ヒンドゥー民族主義の与党インド人民党は、以前からヨガやアーユルベーダが持つ治癒力を宣伝してきたが、2014年に政権を握るとモディ首相はすぐに、伝統医療研究の専門部署を「アユシュ(AYUSH)省」に昇格させた。AYUSHとは、アーユルベーダ(Ayurveda)、ヨガ・自然療法(Yoga/Naturopathy)、ユナニ医学(Unani)、シッダ医学・チベット医学(Siddha/Sowa-Rigpa)、ホメオパシー(Homoeopathy)の頭文字をとった名称だ。

 2020年9月に、世界保健機関(WHO)が新型コロナに対する代替療法の第3相臨床試験にゴーサインを出したことを受け、こうした療法はさらに勢いづいた。インドは、効果的なヨガのポーズから、せきやかぜの治療に用いられる薬草茶の一種「カダー」に至るまで、多様な伝統医療の有効性を検証する100を超える研究に取り組んだ。

次ページ:アーユルベーダ薬の押しつけは「偽善的」

 しかし、インド医師会前会長で整形外科医のラジャン・シャルマ氏は、こうした研究はサンプル数が非常に少ないので信頼性に欠けると話している。たとえば、AYUSH64の予備試験を行ったのは大半が政府の研究者で、対象者はわずか140人だった。この研究者らは、伝統薬のAYUSH64がインフルエンザに類似した呼吸器疾患に効果があったとする2020年5月14日付けで医学誌「Journal of Ayurveda and Integrative Medicine」に掲載された別の論文を根拠に、この薬は新型コロナ感染症を治療できると結論づけた。これにはアーユルベーダの専門家でさえ疑問を投げかけている。

 このAYUSH64を用いたインフルエンザ様疾患の治験の論文に対しては、現代医療とアーユルベーダ医療が併用されていることを理由に、有効性の主張は「科学的に支持できない」という投稿が同医学誌に寄せられている。「この薬が実際に治療効果を上げたのか、患者に安心感を与えただけなのか判別できない」からだという。

 医師たちは、牛の糞を体に塗るといったような非科学的な療法は「ブラック・ファンガス(黒い真菌)」として知られるムコール症などの感染症をもたらす恐れがあると警告してきた。

 2008年、米食品医薬品局(FDA)は国民に対し、アーユルベーダ製品の2割が鉛や水銀、ヒ素に汚染されているとして、使用に注意を促した。また2017年には、ミシガン州で発生した鉛中毒の2つの事例を受けて、特定のアーユルベーダ薬の安全性に関する警告を発表している。

 肝臓専門医たちも、アーユルベーダ薬などの伝統薬が肝臓に与える害について長年にわたって警鐘を鳴らしてきた。2019年には、ハーブ系サプリメントの消費量の増加に伴う肝障害や肝不全の増加について、米ニューヨーク市マウントサイナイ病院の肝臓病専門医ジャワド・アーマッド教授が論文で注意を喚起している。

 アーマッド氏によれば、人は選択肢が限られている場合、「生き延びるチャンスを最大化したい」がために薬草に頼るのだという。「それが人間というものです」

 これがまさにインドで起きたことだ。インドでは、新型コロナの感染者が急激に増加し、病床も医薬品も酸素も不足した結果、すがる思いで薬草をインターネットで検索する人々が急増した。

 インド医師会前会長のシャルマ氏は、アーユルベーダ薬の押しつけは偽善的だと考えている。2020年、アユシュ省のシリパッド・ナイク大臣は新型コロナに感染したが、伝統医療相にもかかわらず、私立病院で現代医療による治療を受けることを選んだ。

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