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アフリカ最古のヒトの墓を発見、被葬者は子ども、7万8000年前

  • 2021年5月7日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 ケニアの洞窟で、約7万8000年前の現生人類(ホモ・サピエンス)の墓が発見された。アフリカで見つかったものとしては最古だ。そこには誰かが注意深く埋葬した2、3歳の子どもの遺体が納められていた。論文は5月5日付けで学術誌「ネイチャー」のオンライン版に発表された。

 中東やヨーロッパでもっと古い墓が報告されているが、アフリカでの今回の発見は、埋葬用に掘った穴に遺体を埋め、土で覆ったことが明確にわかる墓としては世界最古の例の1つだ。

「これはまぎれもなく墓であり、年代もはっきりしています。とても早い時期のもので、印象的です」と、旧石器時代の埋葬の専門家である英ダラム大学のポール・ペティット氏は称賛する。なお、氏は今回の研究には参加していない。

 この遺骨は、スワヒリ語で「子ども」を意味する「ムトト(Mtoto)」という愛称が付けられており、初期のヒトの心の動きを垣間見せてくれる貴重なものでもある。アフリカではこれまでに、もう少し新しい時代の子どもの墓が2つ見つかっている。大陸全体で3例しかないため十分な数とは言えないものの、ペティット氏は、儀式としての埋葬の発展を理解する上で、死者の年齢は特に重要であると考えている。

「現代の狩猟採集民は、死は自然な現象で避けられないものだと考えています」と氏は言う。「けれども2つの例外があります。外傷による死と乳幼児の死です。早すぎる死は不自然な現象であり、通常とは違った方法で印を残さなければならないという意識の芽生えが(これらの子どもの墓から)見えてきたと言えるのかもしれません」

8万年にわたり利用されてきた洞窟

 ムトトの墓は、ケニアの海岸の断崖絶壁に沿って広がる巨大な「パンガ・ヤ・サイディ洞窟」で見つかった。この洞窟では、ナイロビにあるケニア国立博物館と、ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所が中心となって、2010年から発掘調査が行われている。

 この洞窟ではこれまでに、石器、貝殻ビーズ、屠殺された動物の骨などが数万点も出土しており、アフリカ中期石器時代だった8万年前から現代まで、人類がここを継続的に利用してきたことがわかっている。

「ここは常に人が住みやすい環境でした。人が完全にいなくなることはありませんでした」とマックス・プランク研究所のマイケル・ペトラグリア氏は言う。

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 2013年に研究チームは、洞窟の現在の地面から3mほど下に穴のような構造物を見つけ、2017年には骨らしきものを発見した。だが分解が進み、もろすぎて現場で掘り出せなかったため、研究チームは骨を周囲の堆積物ごと石膏で囲ってナイロビに運び、さらなる調査を行うことにした。

 こうしてムトトの旅が始まった。ケニア国立博物館の研究室で最初の発掘作業を行ったところ、表面の近くにヒトのものと思われる2本の歯が見つかった。

「自分たちが大きな発見をしようとしていることはわかりました」と、ケニア国立博物館の考古学部門長で、研究チームのメンバーであるエマニュエル・ヌディエマ氏は語る。「しかし標本がデリケートすぎて、私たちでは化石を土から取り出すことができませんでした」

 化石はヌディエマ氏によってマックス・プランク研究所に届けられ、その後さらにスペイン、ブルゴスの国立人類進化研究センター(CENIEH)に送られた。そこで1年以上かけて、化石の取り出しと、マイクロCT(コンピューター断層撮影)や光学顕微鏡などを用いた分析が行われた。化石の取り出しは、標本のデリケートさを考え、可能な範囲でのみ手作業で行われた。

 徐々に標本の全貌が明らかになった。まずは関節でつながった脊椎が、次に頭蓋骨の底部、そして下顎骨と未発達の歯根が見えてきた。掘り出した土の別の部分からは、肋骨と肩の骨が解剖学的に自然な位置で見つかった。

「すべてが正しい位置にありました」と、研究チームを率いたCENIEHのマリア・マルティノン・トレス所長は話す。「単なる化石ではなく、遺体と呼んでいいものでした。それも子どもの遺体です」

 骨格が関節でつながっていたことなど複数の証拠から、ムトトは死後すぐに意図的に埋められたことが示唆された。また、遺体のまわりの土の中から、肉を食べる細菌の働きで生じた化学物質が見つかり、骨の分解が進んでいることの説明もついた。遺体の肉や内臓が分解されてできた空間に堆積物が詰まっていったため、胸郭は立体的な形状を保った。

 上部の肋骨は90度回転していた。こうなる原因としては、遺体が小さな穴いっぱいに詰め込まれていたか、あるいは動物の皮や大きな葉などにきつく包まれていた可能性が考えられ、後者の可能性が高いという。

 そのうえ、頭部と頸椎の位置関係から、遺体は頭を枕のようなものに乗せて横たえられていたことがわかった。初期のヒト社会の暮らしにあった胸を打つ一場面だ。 研究チームは、子どもの遺体が消え去ってしまう前に、この瞬間をとらえることができたのだ。

「骨は文字通り粉々になろうとしていました」とマルティノン・トレス氏は言う。「私たちは、この子の遺体が消滅してしまうギリギリのタイミングで出会うことができたのです」

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死者とのつながり

 これまでにアフリカで確認されている初期のヒトの子どもの墓は、エジプトのタラムサ・ヒル遺跡で発見された約6万9000年前の8〜10歳の子どもの墓と、南アフリカのボーダー洞窟で発見された約7万4000年前の幼児の墓だけだ(どちらの化石の年代も、パンガ・ヤ・サイディ洞窟の化石の年代ほど確実ではない)。

 1941年に発見されたボーダー洞窟の幼児と、今回発見されたパンガ・ヤ・サイディ洞窟の子どもには、どちらも遺体を安置した人との間に強い絆があった。ボーダー洞窟の遺体には、穴をあけて顔料を塗った貝の飾りが供えられていたし、ムトトの遺体は、頭を枕に乗せ、体を何かで包んで埋葬されたからだ。これらの遺体は、そもそもヒトはなぜ死者を埋葬するようになったのかという疑問を投げかける。

 マルティノン・トレス氏は、「彼らの心を読むことはできませんが、遺体を埋葬する行為には、その人の命を延ばそうとする気持ちがあると思います。『あなたを失いたくない』と言っているのです。死を意識し、生を意識すること。これは私たちヒトの特徴の1つです」

 ペティット氏は、これらの子どもの墓の存在は、アフリカ中期石器時代にはすでに子どもの死を特別扱いする伝統があったことを意味しているのではないかと考えている。もちろん、こう主張するにはもっと多くの証拠が必要だ。そのうえ、別の問題も浮かび上がる。ヨーロッパや中東では、ネアンデルタール人や初期の現生人類が埋葬された墓が数多く報告されている。なぜアフリカには3つしかないのだろうか?

 答えの1つは、何をもって「埋葬」と判断するかという考え方の変化にある。ヨーロッパや西アジアの化石の多くは、20世紀の初頭から半ばにかけて発見された。だが当時の発掘作業は現在ほど厳密ではなく、考古学者はわずかな証拠をもとに、儀式的な埋葬行動に関する結論を導き出すことが多かった。ペティット氏によると、それらの多くには儀式が行われた形跡がなく、単に岩の隙間や洞窟に死体を隠しただけと見た方がよいという。

 南アフリカの洞窟の奥深くにある狭い空間で発見された約25万年前のヒト属(ホモ属)「ホモ・ナレディ」の15体の骨格も、その例かもしれない。発見チームのリーダーで、ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラーでもあるリー・バーガー氏は、ホモ・ナレディは仲間の遺体を意図的に葬っていたという仮説を主張しているが、遺体をどのようにしてこの空間に運び込んだのかは明らかになっていない。

 アフリカでの墓の発見が少ないもう一つの理由は、単に調査した場所が少ないせいかもしれない。20世紀に入ってから、科学者たちはヨーロッパや中東で、洞窟や岩の隙間をくまなく探してきた。一方、アフリカでは、南アフリカと東アフリカの大地溝帯を中心とする比較的少数の場所でしか調査が行われていない。今のところ、アフリカ大陸の1割程度の地域から発見された化石しか手にしていないのだと、英ロンドン自然史博物館の古人類学者で、現生人類の起源を数十年にわたって研究してきたクリス・ストリンガー氏は指摘する。

「私たちが扱っている情報は、ごくわずかです」とストリンガー氏は続ける。「今回の発見は、私たちがアフリカで見落としているものを知るための手がかりにすぎません」

 パンガ・ヤ・サイディ洞窟では、さらに多くの発見が期待されている。この場所の堆積物は、ムトトが埋葬されていた場所よりもはるか下、おそらく40万年前の層まで続いている。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)により発掘作業は昨年から中断しているが、研究チームは、安全が確保され次第、発掘を再開したいと考えている。

「どこまで掘り進めることができるか、まだわかりません」とヌディエマ氏は言う。「少なくとも、まだ底には到達していません」

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