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素粒子物理学を覆すミューオンの挙動、未知の物理法則が存在か

  • 2021年4月13日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 ある素粒子のふるまいが、素粒子物理学の「標準モデル(標準理論)」に反していることを示す新たな証拠が見つかった。科学における最も堅固な理論の1つである標準モデルによる予測との食い違いは、未知の粒子や力が宇宙に存在している可能性を示唆している。

 米フェルミ国立加速器研究所の研究者たちは4月7日のセミナーで、2018年に始まった「ミューオンg-2実験」の最初の結果を発表した。この実験ではミューオン(ミュー粒子)という素粒子を測定している。ミューオンは1930年代に発見された電子の仲間の素粒子で、電子よりも重い。

 ミューオンは電子と同様に負の電荷を持ち、スピンと呼ばれる量子的な性質を持っているため、磁場の中に置かれると、小さなコマのように歳差運動(首振り運動)をする。磁場が強くなるほど、ミューオンの歳差運動は速くなる。

 一方、1970年代に考案された標準モデルは、宇宙のすべての粒子のふるまいを数学的に説明する人類最高の理論であり、ミューオンの歳差運動の周期も高い精度で予測することができる。しかし2001年、米ブルックヘブン国立研究所は、ミューオンの歳差運動が標準モデルの予測よりもわずかに速いように見えることを発見した。

 それから20年後の今、フェルミ研究所のミューオンg-2実験が同様の実験を行い、同じような標準モデルとのずれを確認した。2つの実験のデータを合わせてみると、この不一致が単なる偶然によって生じた確率はおよそ4万分の1であることがわかった。つまり、別の粒子や力がミューオンの挙動に影響を及ぼしたことを示唆している。

「待ちに待った成果です」と英マンチェスター大学の物理学者マーク・ランカスター氏は喜ぶ。氏は7カ国から200人以上の科学者が参加するミューオンg-2実験チームのメンバーだ。「私たちの多くは、この研究に何十年も取り組んでいるのです」

 とはいえ、素粒子物理学の厳格な基準に照らし合わせると、今回の結果はまだ「発見」とは言えない。この基準に達するには、5σ(シグマ)の統計的確実性を達成する必要がある。つまり、理論と観測との食い違いが、真の違いではなく偶然そうなった確率が350万分の1以下にならなければならないのだ。

 実験結果の一部はまず4月7日付けで学術誌「Physical Review Letters」に発表され、さらに「Physical Review Accelerators & Beams」「Physical Review A」「Physical Review D」にも掲載される予定だが、実験で収集される予定の全データのわずか6%に基づいているにすぎない。結果に一貫性があれば、2年ほどで5σに到達するだろう。

 今回の結果はすでに、標準モデルを超えた素粒子や物理的性質の存在を示唆する、過去数十年間で最大の手がかりになっている。今回見つかった標準モデルとの不一致が今後も否定されなければ、この研究は「間違いなくノーベル賞に値します」とベルギー、ブリュッセル自由大学の物理学者フレイア・ブレックマン氏は言う。氏はこの研究には参加していない。

標準モデルとミューオン

 宇宙の基本的な粒子のふるまいを驚異的な精度で予測できる標準モデルは、最も成功した科学理論と言っても過言ではない。しかし、このモデルが不完全であることは以前から知られていた。例えば、重力についての説明がないし、宇宙のあちこちに存在すると考えられている謎めいた暗黒物質(ダークマター)についても何も語っていない。

次ページ:標準モデルの先にあるものを求めて

 標準モデルの先にあるものを求めて、物理学者たちは長年、実験によって標準モデルの限界に挑んできた。しかし、どれだけ検証を重ねても、標準モデルが破綻を見せることはなかった。例えば、高エネルギー現象の測定を続けている欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)では2012年に、標準モデルが予測していたヒッグス粒子(他の粒子に質量を与える重要な役割を果たす粒子)を発見している。

 LHCの実験では、粒子どうしを衝突させて新しい種類の粒子を生成させるのに対し、フェルミ研究所のミューオンg-2実験では、既知の粒子をきわめて高い精度で測定することにより標準理論からの微妙なずれを探っている。

「LHCの実験は、2つの精巧な時計を高速でぶつけ合い、飛び散った破片を拾って、中にどんな部品があったのかを調べるようなものです」とランカスター氏は説明する。それに対して「ミューオンg-2実験では、精巧な時計の動きを丹念かつ詳細に調べて、期待どおりに動いているかどうかを調べるのです」

 ミューオンは、新しい物理学の兆候を監視するのに最適な粒子だ。ミューオンの寿命は実験室で詳細に調べられる程度に長く(と言っても50万分の1秒だが)、電子によく似たふるまいをすると予想されているが、質量が電子の207倍もあるため、重要な比較対象となっている。

 研究者たちは何十年も前から、ミューオンの磁気的な歳差運動が他の既知の粒子からどのような影響を受けているかを詳しく調べてきた。

 量子スケール(個々の素粒子のスケール)では、エネルギーのわずかな変動は、広大な泡風呂の中の泡のように生成しては消滅する粒子のペアとして現れる。標準モデルは、ミューオンがこうした「仮想」粒子の泡と相互作用すると、歳差運動が約0.1%速くなると予測している。この変化は「異常磁気モーメント」または「g-2」と呼ばれる。

 しかし、標準モデルの予測の精度は、宇宙にどのような粒子が存在しているかによって変わってくる。例えば、宇宙に重い粒子がもっと存在しているなら、ミューオンの異常磁気モーメントもおそらく実験室で測定できる程度に変化する。

 ミューオンの研究は「新しい物理学を探り出す最も包括的な研究であると言えます」と、ミューオンg-2実験チームのメンバーであるドイツ、ドレスデン工科大学の理論物理学者ドミニク・シュテッキンガー氏は語る。

ミューオンビームと磁場

 ミューオンg-2実験は、ミューオンビームを作ることから始まる。ミューオンビームは、陽子どうしを衝突させ、その際に発生する素粒子の破片を慎重に取り除くことによって作られる。続いて、このビームを重さ14トンの貯蔵リングの中に導入する。ちなみに、このリングはもともとブルックヘブン研究所の実験で使われていたもので、2013年にニューヨーク州ロングアイランドからイリノイ州まで、はしけとトラックで輸送された。

 一様な磁場をかけられた貯蔵リングの中をミューオンがぐるぐる回ると、歳差運動をするミューオンが崩壊してできた粒子が、内壁に沿って設置された24個の検出器に衝突する。この崩壊粒子がどのくらいの頻度で検出器に衝突するかを調べると、もとのミューオンがどのくらいの速さで歳差運動をしていたかを知ることができる。遠くの灯台が暗くなったり明るくなったりするのを見て、その回転速度を知るようなものだ。

 ミューオンg-2実験は、ミューオンの異常磁気モーメントを140ppb(1ppbは10億分の1)の精度で測定しようとしている。これはブルックヘブンでの実験の4倍に相当する精度だ。科学者たちは同時に、標準モデルに基づく最高の予測を行う必要があった。2017年から2020年にかけて、米イリノイ大学のアイーダ・エル・カドラ氏を中心とする132人の理論物理学者が、これまでで最高の精度でミューオンの歳差運動を理論的に予測したが、その数字は測定値よりも小さかった。

次ページ:新たな物理学の始まり?

 実験の重要性に鑑み、フェルミ研究所は先入観を排除する対策を講じた。実験のカギとなる測定は、検出器が信号を拾う正確な時刻に依存する。そのため、科学者たちが不正をしないように、乱数を使って実験装置の時計をずらしたのだ。これにより実験データは未知の量だけずらされ、解析が終わった後にはじめて修正されることになる。

 時計をずらした乱数は2枚の紙に手書きで記録されて封筒に入れられ、フェルミ研究所と米ワシントン大学にある鍵のかかったキャビネットに保管された。2021年2月下旬に、この封筒が開けられ、チームに数字が知らされた。チームはZoomの中継で、初めて実験の本当の結果を知ることができたのだ。

「天にも昇るような気持ちで興奮しましたが、同時に衝撃も受けました。心の奥底では、誰もがどこか悲観的だったからだと思います」と、ミューオンg-2実験チームのメンバーでフェルミ研究所の博士研究員であるジェシカ・エスキべル氏は振り返る。

新たな物理学の始まり?

 フェルミ研究所の新しい実験結果は、標準モデルの先にあるものを示す重要な手がかりとなるが、新しい物理学を発見しようとする理論家が探れる範囲は無限ではない。ミューオンg-2実験の結果を説明しようとする理論は、LHCで発見された新しい粒子が欠如していることも説明できなければならないからだ。

 提案されている理論の中で、この要請を満たすものとしては、宇宙には標準モデルに含まれるヒッグス粒子のほかに数種類のヒッグス粒子が存在しているという理論がある。また、ミューオンとほかの粒子の間に新しい種類の相互作用を引き起こす、エキゾチックな「レプトクォーク」を登場させる理論もある。しかし、これらの理論の最も単純なバージョンの多くはすでに否定されているため、物理学者は「もっと型破りな考え方をしなければなりません」とシュテッキンガー氏は言う。

 偶然にも、フェルミ研究所の結果が発表された2週間前には、CERNのLHCb実験が、ミューオンの異常なふるまいに関する証拠を独自に発見していた。LHCb実験では、B中間子という寿命の短い粒子を観測し、その崩壊を追跡している。標準モデルは、崩壊する粒子から1対のミューオンが生成することがあると予測しているが、LHCb実験は、ミューオンが生成する崩壊の頻度が予測よりも少ないことを示す証拠を発見した。この実験では、偶然によってこのような結果になる確率は、およそ1000分の1である。

 フェルミ研究所の実験と同様、LHCbの結果も「発見」であると主張するためにはもっとデータが必要だ。しかし現時点でも、この2つの結果に物理学者たちは「飛び上がって喜んでいます」とエル・カドラ氏は言う。

 次のステップは、実験結果の再現だ。フェルミ研究所の発見は、2018年半ばに終了した1回目の実験に基づいている。研究チームは現在、さらに2回分の実験データを分析している。これらのデータが1回目の実験のデータと同様であれば、2023年末までに、観測された標準モデルとのずれが完全な「発見」だと十分主張できる可能性がある。

 理論物理学者たちは、標準モデルの予測のなかでも特に計算が難しいとされる部分も調べはじめている。これには「格子シミュレーション」と呼ばれる、スーパーコンピューターを使った新しい手法が役立つはずだが、初期の結果は、エル・カドラ氏のチームが理論計算に含めたいくつかの値とわずかに異なっている。このような微妙な違いを綿密に調べて、新しい物理学の探求にどのような影響を与えるかを見きわめるには、まだ何年もかかるだろう。

 だがランカスター氏らにとっては、それだけの時間をかけて研究を続ける価値は十分にある。なんと言っても、ここまで来られたのだから。

「1ppm(100万分の1)以上の精度で測定しようとしていることを人に言うと、変な目で見られることがあります。それには10年かかるだろうと言うと、どうかしていると言われます」とランカスター氏は打ち明ける。「やり通せ、という意味だと受け取ることにしています」

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