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米国の女性専用ホテル、100年を超える盛衰の物語

  • 2021年4月11日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 1929年、ニューヨークのある組織が女性限定のコンテストを開催した。新しくできた女性専用ホテルの名前を募集し、優勝者に6日間のバミューダ旅行を贈るというものだ。

 応募は殺到し、さまざまな名前が提案された。ダイアナ、パトリシアン、ブロード・ビュー。最終的には、サットンが選ばれた。しかし、滞在した女性にとってこのホテルがどのような意味を持つことになるかをぴったり言い当てた名前があった。パラダイスだ。

 こうした女性専用ホテルは1世紀以上にわたり、年代を問わず、女性たちの休息とくつろぎの場、さらには住居としての役割を果たした。ビクトリア朝時代(1837〜1901年)の米国で女性の道徳に関する不安から生まれたこうしたホテルには、大勢の野心的な女性が滞在し、米国社会における女性の地位の見直しに一役買った。

 19世紀初頭の米国では、女性が付き添いなしで旅行することはほとんど考えられなかった。社会は性別によりほぼ分け隔てられており、中上流階級の白人女性が旅行や都市生活に関心を持つことは望まれておらず、家庭が活動の場と考えられていた。それでも旅行する場合、楽しむことは許されず、できるだけ早く私有地に入らなければならなかった。

 おまけに、ほとんどの公共の場では、女性は眉をひそめられるだけでなく、実際に出入りを禁止されていた。都市は女性に適さない不道徳な場所とされ、外で働く女性は危険でふしだらな存在と見なされていた。そんな中でも労働者階級や移民、有色人種の女性は家を出て、多くの場合住み込みの家政婦として働いていたが、それでも疑惑の目を向けられた。

 しかし、時代は変わり、階級の低い女性が仕事を求めて都市に集まるようになる。すると、上流階級の女性は働く女性の貞操を心配し、住居の費用を負担して住宅危機の解決に動いた。こうした女性専用の宿泊施設は、賃金が安く、わずかな生活費で暮らす女性にとって魅力的で、中流階級の道徳を学ぶ機会でもあった。歴史家のニナ・E・ハークレーダー氏はこうした住居を「モラルホーム」と呼んでいる。働く女性たちは完全に1人で暮らしていたわけではなく、年配の「寮母」に見守られ、また行動を監視されていた。

 女性専用の宿泊施設は全米の都市部に次々とつくられ、米労働省によれば、1898年の時点で46都市に働く女性のための住居があった。そのほとんどがキリスト教団体によって運営され、一時的な住居として利用されていた。

 女性労働者の急増を受けてキリスト教女子青年会(YWCA)が1891年に建設した、ニューヨークのマーガレット・ルイーザ・ホームもその一つだ。労働省のリストによれば、帽子職人から家庭教師、図書館員、販売員まで、さまざまな職業の女性が暮らしていた。入居条件には「善良な性格」「自立していること」「立派な振る舞い」などが含まれていた。

 その後、女性参政権運動や世界大戦における女性の活躍もあり、社会規範は目まぐるしく変化する。と同時に、中上流階級の女性も働くようになり、女性専用ホテルは一般化していった。必要最低限の設備から華やかなものまでさまざまなホテルがあった。女性たちはメイドや食事のサービスを受け、滞在者同士で交流しながら、数日から数年にわたってホテルで暮らした。

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 マーサ・ワシントン、アラートン、バルビゾンといった名前のホテルが新世代の女性たちを迎え入れた。母親の世代と異なり、大学教育を受け、結婚するまでキャリアを積む意思がある女性たちだ。1920〜1970年代の全盛期には、こうしたホテルは野心的な女性が気の合う友人を見つけ、都市生活を始動し、充実した暮らしを送る場所となっていた。

「女性専用ホテルは自由を意味する場所でした」と 作家で歴史家のポーリナ・ブレン氏は話す。ブレン氏には女性専用ホテルの盛衰を描いた『The Barbizon: The Hotel That Set Women Free(バルビゾン:女性に自由を与えたホテル)』の著書がある。

 バルビゾンはニューヨークに初めて足を踏み入れた女性たちの安住の地となり、活動の拠点となった。電子メールや携帯電話、安価な長距離電話が普及する前の時代、都市にやって来た人は事実上、それまでの社会的ネットワークから切り離された。女性専用ホテルの滞在者は新しいネットワークを築き、打ち解けた雰囲気で安全に暮らしていた。

 ほとんどのホテルが厳格な入居条件を定めていた。バルビゾンで暮らすには、「若くて、意欲的で、魅力的で、しかも白人である必要がありました」とブレン氏は説明する。バルビゾンにはモデルや女優、キャリアウーマンが集まっていた。大部分が容姿端麗の裕福な女性だった。入居者は推薦状を持参しなければならず、精力的にキャリアを積むことを求められていた。上階への男性の立ち入りは禁止されていた。

 ただし、上階には寮のような雰囲気が漂っていた。一部の入居者にとって、バルビゾンは実際に寮だった。キャサリン・ギブスの秘書養成学校に通う学生たちが下宿していたからだ。入居者同士が大学生のようにふざけ合うことも多かった。グレース・ケリーがトップレスで廊下に出て踊ったエピソードのほかにも、ホテルの歴史は秘密のパーティー、不倫、深夜のジョークで彩られている。

「女性たちはバルビゾンに閉じ込められていたというわけではありません」とブレン氏は話す。「外はユニセックスな世界でした」。ホテルの制約に不満を持つ入居者もいたものの、外の世界ではセクシャルハラスメント、ジェンダーバイアス、差別的な雇用慣行が横行していた。

 女性の貞操を心配してつくられた女性専用ホテルは最終的に、女性は自立した、そして野心的な社会の一員であるという考え方を定着させた。しかし、女性の権利が拡大を続け、避妊の合法化によって性的な価値観が変わるとともに、女性専用宿泊施設の人気は廃れていった。女性たちは男性との交流、さらには生活を求めるようになり、結婚を望まない女性も増えた。

 1970年代までに、ほとんどの女性専用ホテルが廃業した。バルビゾンは営業を継続したが、1981年には男性を受け入れ始めた。2006年に高級マンションに生まれ変わったときには、長期滞在中の女性は14人しかいなかった。

「女性専用のプライベートな住居には、豊かで価値ある何かが確かに存在します」とブレン氏は話す。現代の仕事を持つ女性はもはや、キャリアを始動する際に「保護」を必要としない。現在、「私たち女性は形式にこだわらず、そのような空間を自分たちでつくり出しています」とブレン氏は言う。とはいえ、全盛期は過ぎ去ったかもしれないが、歴史上の女性専用ホテルに見られた自由な空気や仲間意識は今も求める価値がある。

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