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古代エジプト王のミイラ22体が引っ越しのパレード

  • 2021年4月6日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 エジプトのカイロで4月3日夜(日本時間4日未明)、古代エジプトのファラオのミイラ計22体が、映画スターや歌手、ダンサー、馬に乗った護衛などに付き添われて市内をパレードし、由緒あるエジプト考古学博物館から開館したばかりの国立エジプト文明博物館に引っ越した。

「ファラオの黄金パレード」と銘打たれ、ナイル川沿いの道で行われた派手な催しは、大々的にテレビ中継された。エジプトの豊かな遺産を讃え、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)によって失われた海外旅行客を呼び戻す狙いがある。

「このパレードによって、すべてのエジプト国民が祖国を誇りに思うことでしょう」と、考古学者で元エジプト考古相のザヒ・ハワス氏は語った。「コロナ禍の中で、人びとは幸せになりたい、祖先に誇りを感じたいと思っています。王に挨拶をしようと道路で待っているでしょう」

 ミイラのほとんどが、古代エジプト文明の黄金期とされる新王国時代(紀元前1539年頃〜紀元前1075年頃)のものだ。22人のファラオの中には、エジプトの最も名高い指導者もいれば、あまり知られていない王もいる。

 その中には、しばしば「最も偉大な王」と称され、旧約聖書の『出エジプト記』に登場するファラオともいわれるラムセス2世や、古代エジプトの数少ない女性ファラオのひとりで、強力な指導者であり、建築事業に力を入れたハトシェプストも含まれる。

 彼らほど恵まれてはいなかった王のミイラもある。10代で亡くなったシプタハ・アクエンラーは、ポリオを患っていたとみられる。セケンエンラー・タアは、戦闘用の斧、短剣、棍棒、槍などによる複数の裂傷を負っていたことが、ミイラのCTスキャンで判明した。

 ほかのファラオも、それぞれ魅力的だ。「私が一番好きなのは、セティ1世です」と話すのは、エジプト、カイロ・アメリカン大学のエジプト学者、サリマ・イクラム氏だ。「趣味が良く、大変ハンサムでした」

 夕暮れの空に21発の礼砲が鳴り響く中、ミイラを乗せた車がタハリール広場から出発してパレードは始まった。ナイル川に沿った約8キロの道を進み、花火や光と音のショーを背景に、ファラオを描いた壁画の前を通過した。

「ミイラは、二重になった保護ケースに入れて運ばれます」とイクラム氏が説明する。ミイラやミイラ化処理の専門家であるイクラム氏は、今回の輸送に関して相談を受けた。「完全な安全性を確保して、運ばなければなりません」

 密閉され、温度と湿度が調節されたケースは、かつてファラオの遺体を墓に運んだ葬送用のはしけを模して装飾された、平床式の軍用トラックに乗せられた。文明博物館では、エジプトのシシ大統領ら高官が到着を迎えた。

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旅するミイラ

 実は、ミイラが旅をするのはこれが初めてではない。約3000年前、ルクソールに近い王家の谷の豪華な墓に安置されたすぐ後に、多くのミイラは盗掘から守るため秘密の隠し場所に移されている。このような隠し場所が見つかったのは、1800年代後半だ。時には現地の盗掘者の力を借りることもあった。以降、ミイラは旅を続け、汽船に乗ってナイル川を下り、カイロの博物館に落ち着くことになった。

 1881年に、あるジャーナリストがその川の旅の様子を記録に残している。地元の村人たちが川岸に並び、高名な死者の旅立ちを嘆き悲しんだという。「女たちは髪を振り乱して川岸を走り、金切り声を上げて死者を悼んだ。男たちは厳かに整列し、空に向けて発砲して通り過ぎるファラオを迎えた」

 ちなみに、カイロに到着した王族の上陸は、検問に阻まれている。税関職員が市に持ち込める物品のリストに「ミイラ」が載っているのを見落としたためだ。結局、職員が荷札を「ミイラ」から「魚の干物」に書き換えてファラオを通した。

 この川の旅以来、22体のミイラは4つの博物館に収められていた。あるものはガラスケースで展示され、あるものは人目に触れない、鍵のかかった収納室で保管された。ラムセス2世は、1976年に修復のため飛行機でパリに運ばれている。

 現エジプト考古相のカーレド・エル・アナニ氏がパレードを開催しようと思いついたのは、このラムセス2世のパリへの旅がきっかけだった。子どもの頃、カイロのフランス語学校の生徒だったエル・アナニ氏は、ラムセス2世がパリに到着したときの映画を見ていた。

「大勢の記者やテレビカメラがパリの空港に詰めかけ、大統領か王様のようにラムセスを迎えるのを見て驚きました」とエル・アナニ氏は述べている。そこで氏は考古相になると、「何か大きなことをしよう。比類のないパレードを行って、人類の文化遺産でもある、我々の祖先に対する敬意を示そう」と決心した。

座礁や列車事故はファラオの呪い?

 世界中でパンデミックによる試練が続く中、パレードによる「お祭り気分」を楽しみにしていたエジプト人は多かった。でも、中にはこのミイラの移動が不運を招く原因になるのではないかと心配する人もいる。

 最近起こった、多くの死傷者を出したエジプト中央部での列車衝突事故、カイロのビル倒壊事故、スエズ運河での信じられないような座礁事故など、すべて今回のパレードに関連する「ミイラの呪い」のせいだというのだ。しかし、考古学者のハワス氏は気にしていない。「呪いなんてものはありません」と笑う。「迷信深い人が多いだけです」

 懸念の声も上がっている。この華やかな行列が、人間の遺体を展示することに対する倫理的問題が議論されている中で行われたからだ。近年、博物館の多くで、ミイラを覆ったり、遺体の展示を完全にやめたりする方向で進んでいる。

 エジプトの当局は、この問題について数十年にわたって討議を重ねてきた。1974年にハワス氏がエリザベス女王の妹、マーガレット王女に付き添って考古学博物館を回ったときのこと。乾燥した、ぞっとするようなラムセス2世の姿を見て王女は尻込みし、目を覆った。「まるで、『なぜこのようなことをするのですか? とても見ていられません』と思っていらっしゃるようでした」とハワス氏は回想する。

 しかし、新しく作られた文明博物館での展示では、王たちはしかるべき敬意を払って埋葬されると、エル・アナニ考古相は述べている。

「見学者は、まるであの世に向かうかのようにスロープを降りていきます。壁は黒く、照明も非常に抑えられています。各展示室は埋葬室を模しており、ミイラは副葬品に囲まれて棺に納められます」

 とはいえ、22体のミイラは文明博物館で永遠の安息を得る前に、超大作スペクタクル映画のようなショーの主演を務めさせられた。このようなイベントに使われることについて、本人たちは何と言うだろうか?

「支配者というのは、人びとに記憶され、名前が永遠に残ることを望むものです」と言うのは、米アラバマ大学バーミンガム校の考古学准教授、グレゴリー・マンフォード氏だ。「であれば、自分の名や治世などが国や公衆に認められることは、全員ではないにせよ、多くの王のお気に召すのではないでしょうか」

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