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ストーンヘンジの起源に新説、石はリユース品だった

  • 2021年2月16日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 世界で最も有名な遺跡の1つ、英国のストーンヘンジ。4600年前にイングランド南部のソールズベリー平原に造られたこの遺跡は、今も多くの謎に包まれている。

 最新の研究で、このストーンヘンジの始まりについて新たな物語が提唱された。2月12日付けで学術誌「Antiquity」に発表された論文によると、ストーンヘンジはオリジナルな創造物ではなく、ウェールズにあるさらに古い遺跡がその前身であるかもしれないというのだ。

 その遺跡とは、ウェールズにある「ワイン・マウン」というストーンサークル(環状列石)。ストーンヘンジと同等の大きさで、石の配置と太陽との関わりも似ている。さらに、一部は同じ材料を使っているようにも見える。ストーンヘンジとの違いと言えば、現在のワイン・マウンには石がほとんどないことだ。

 研究チームは、ワイン・マウンの建設者たちはが約5000年前にこれを解体し、その石の一部を280キロ東のソールズベリー平原まで運び、ストーンヘンジの建設に使ったのではないかと推測している。彼らは何のために、恐ろしく手間がかかり、実用的でもないそんな作業を行ったのだろうか?

 そのカギになるのが、ストーンヘンジに移設されたとされる重さ3トンの石「ブルーストーン」だ。古代ブリトン人にとって、ブルーストーンは「貴重品だっただけでなく、自分たちが何者であるかを示す本質でもあったのでしょう」と、今回の論文の筆頭著者である英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のマイケル・パーカー・ピアソン氏は語る。氏の研究にはナショナル ジオグラフィック協会も支援している。

 ワイン・マウンでの発見は、実に刺激的な仮説につながると氏は考えている。ストーンヘンジのブルーストーンは、この地に移住してきた彼らの先祖やその記憶を示すものだったという説だ。新石器時代のブリトン人は、文字通り先祖の重みを背負って大地を横断していたことになる。

 しかし、現段階で結論を出すのはまだ早いと、論文の著者らも認めている。「ストーンヘンジについていつも面白いと思うことの一つは、おそらく永遠に答えの出ない問いがたくさんあることです」と、「レスキュー英国考古学トラスト」の副会長ケイト・フィールデン氏は言う。なお氏は今回の研究には関わっていない。「私は、謎があるということが好きです」

古代の伝説に手がかりが?

 考古学を支える科学の進歩のおかげで、過去数十年でストーンヘンジがどのように造られたかについての可能性は絞り込まれてきている。夏至と冬至に合わせて石が配置されていることからは天文学的な関連が、また多数の火葬人骨からは死者や祖先崇拝とのつながりが示唆されている。

 ストーンヘンジは短期間で完成したわけではない。5000年前に建設が始まり、その後何百年もかけてさまざまな形に変化していったが、最終的には2種類の石から造られている。馬蹄型に並ぶ中央の巨石部分と外側の円を構成するのは、20トンもの板状のサーセン石(砂岩の一種)。それらの間に円弧を描くように配置されているのが、ブルーストーンである。

 解析により、サーセン石はストーンヘンジ近くのウェストウッズから採取されたと示唆されている。対してブルーストーンは、300キロ近く離れたウェールズ南西部のプレセリ山地から、はるばる陸路で運ばれてきたと考えられている。パーカー・ピアソン氏らは最近、ウェールズの2つの採石場で、ストーンヘンジのブルーストーンと完全に一致する特徴を発見した。

次ページ:ストーンヘンジの前身が実在するのか?

 ブルーストーンがたどった旅路は、とある古い伝説を思い起こさせると論文の著者らは指摘する。12世紀にジェフリー・オブ・モンマスが著した『ブリタニア列王史』によると、魔術師のマーリンが、アイルランドの古代のストーンサークル「ジャイアンツ・ダンス」をばらばらにし、1万5000人を使役してソールズベリー平原に造り直させたという。

 この興味深い伝説は、現実にはほとんど根拠がないとされている。しかし、ブルーストーンの採石地がアイルランドに近いウェールズであるという事実は、伝説に一抹の真実が含まれているかもしれないとの思いを一部の研究者に抱かせた。

 ストーンヘンジの前身が、西のどこかにあるのだろうか? パーカー・ピアソン氏の調査チームは、挑戦せずにはいられなかった。考古学者、地質学者、航空写真測量の専門家、そして年代測定の専門家からなるチームは、過去10年の大半を費やしてそれを解明しようとしてきた。

ストーンヘンジの前身を探して

 ワイン・マウン遺跡は、2010年にストーンヘンジとの関わりが指摘されたものの、現在はさほど注目されていない。4つのブルーストーンが円弧らしき形に配置されているだけだ。2011年には、考古学者らがリモートセンシング技術を使って遺跡の地下を探索したが、興味深いものは何も見つからなかった。

 研究チームは直感を信じて2017年にワイン・マウンに戻り、弧の両端に小さな溝を掘ったところ、かつて立石があったことを示す2つの穴を発見した。「もしかしたら私たちはついに正しい道を歩んでいるのかもしれない、と思った瞬間でした」とパーカー・ピアソン氏は振り返る。

 やがて研究チームは、この土地には磁性や導電性をもつ岩石が少なく、リモートセンシングの装置が設計通りに機能しないと気付いた。「最新のハイテク技術では無理だったのです」とパーカー・ピアソン氏は語る。「昔ながらのやり方で、すべて手作業で行うしかない、ということになりました」

くぼみと石の断面が一致

 何カ月もかけて土を掘り、質感や色、地形にわずかな違いがないか調査した結果、さらに多くの穴が発見された。これらの「石のソケット」は、元々は直径110メートルの円の一部となっていた。ストーンヘンジを囲んでいる溝と同じ直径だ。もし、ワイン・マウンの石がすべてソケットに立ったままであれば、夏至の日の出に合わせて配置されていることになる。やはり、ストーンヘンジと同じだ。

 次に研究チームは、遺跡から採取した木炭の放射性炭素年代測定と、光刺激ルミネセンスを用いた土の分析を行った。これにより、ソケットに詰まった石英に富んだ土が最後に日光に当たった時期を知ることができる。その結果、ワイン・マウンは5000〜5600年前に建設されたらしいことがわかった。ストーンヘンジよりも前である。

 では、ワイン・マウンの石はどこへ行ったのか? ストーンヘンジにあるブルーストーンの一つが手がかりとなった。ワイン・マウンのソケットの一つと断面が一致する石があったのだ。さらに、ワイン・マウンのソケットの底にある石の破片は、ストーンヘンジ特有のブルーストーンと地質学的に一致していた。専門的には、無点紋のドレライト(粗粒玄武岩)と呼ばれるものだ。

 過去に行われたストーンヘンジの人骨の分析では、死者のなかにウェールズ西部の出身者がいたという化学的証拠が見つかっている。これらのデータを合わせると、ドラマチックで予想外のストーリーが見えてくる。ワイン・マウンのストーンサークルは、それを造った人々の手で解体され、石の一部はソールズベリー平原に運ばれて、同様の設計のストーンヘンジの材料として使われたのだ。

次ページ:異なる地域の人々がストーンヘンジに集まっていた

 今回の論文の著者らは、これを強力ではあるが暫定的な説だとしている。この説に賛同する他の専門家もいる。ウェールズにあるカーディフ大学の考古学者リチャード・マジウィック氏は、ストーンヘンジの基になる石が少なくとも1つはウェールズにあったという考えには「かなり説得力がある」と述べている。

 しかし、まだ十分な証拠があるとは考えていない専門家もいる。

「ジェフリー・オブ・モンマスが書き残した口承の証拠を探すというのは興味深いアプローチですが、これまでにワイン・マウンで発見された痕跡は、この時代のストーンサークルから想定されるものとは一致していません」と、英ボーンマス大学の考古学者ティモシー・ダービル氏は話す。「この主張を立証するためには、明らかにもっと調査が必要です」

異なる地域の人々がストーンヘンジに集まっていた

 ストーンヘンジに現存する44個のブルーストーンのうち、ワイン・マウンにあったと自信をもって言えるのは(今のところ)1個だけだ。このことから研究チームは、これらのブルーストーンが、この地域の複数の場所から持ってこられた可能性があるとしている。もしそうだとすれば、ストーンヘンジはそこへ移住してきた人たちにとって特別な重要性を持っていたことが考えられる。なぜだろうか?

 複数のDNA調査により、5000年前にソールズベリー平原周辺に埋葬された人々は異なる起源を持っていたことが明らかになっている。石造りの墓を建てるウェールズ西部やアイルランドから来た人々もいれば、死者を長い墳丘墓に埋葬するイングランド東部から来た人々もいた。「これらの地域はまた、伝統的に生と死の様式が異なっていたと言えます」とパーカー・ピアソン氏は話す。

 ストーンヘンジはこれらの地域のちょうど中間に位置している。そのため、新石器時代の異なる集団の人々が文化的な違いを統一させることができる一種の「中立地」として機能したのではないか。パーカー・ピアソン氏はそのように考えている。

 マジウィック氏が率いた最近の研究も、この考えを支持している。ストーンヘンジ近くの新石器時代の遺跡「ダーリントン・ウォールズ」で、多数の豚の骨が発見された。化学分析の結果、豚は英国全土から運ばれ、大規模な饗宴で消費されたことが明らかになった。ブリテン諸島の人々が、自分たちのアイデンティティと経験を共有するために集まったのだ。

石に刻まれた先祖の記憶

 特定のブルーストーンがなぜウェールズからソールズベリー平原に運ばれたのかは、定かでない。しかし、世界の反対側にある岩が、そのヒントになるかもしれない。

 1990年代にパーカー・ピアソン氏は、マダガスカルの巨石建造物の研究者と一緒に仕事をしていた。マダガスカルでは、現在もそうした建造物が造られている。石は先祖のためのものだと、マダガスカル人研究者は説明した。木は腐るが、石は永遠に残る。巨石は死者を象徴するために、そして彼らの記憶を永遠に生かしておくために用いられるのだ。

 同じことが、ウェールズから運ばれたブルーストーンにも当てはまるかもしれない。ストーンヘンジに設置されたこれらのブルーストーンは、その時代に建てられた多くの墓と同様に、やはり永遠の存在である太陽の動きに合わせて配置された。ストーンヘンジは、多くの文化が集まる場所であるだけでなく、記憶のモニュメントでもあったのかもしれない。

 私たちは彼らと5000年の歳月を隔てて生きているが、先人を不滅のものにしたいという彼らの思いには容易に共感できる。ブルーストーンは3トンもあるが、私たちが亡き人から受け継ぐ写真、手紙、小物などの小さな形見と同じだったと言えるのだ。

 そして、古代ブリトン人がそうしたように私たちも、そうした大切な品々を引っ越し先に持って行くだろう。

「先祖が何者であり、その結果として自分が何者であるかを示すものを、私たちはともに持って行くのです」とパーカー・ピアソンは語る。

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