サイト内
ウェブ

3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟化

  • 2020年9月16日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 現在のイスラエル北部にあるテル・カブリ遺跡には、今からおよそ3700年前の紀元前18世紀、カナン人の見事な宮殿があった。6000平方メートルもの巨大な建物は現代のショッピングモールよりも広く、壁画が描かれ、豪華な宴会場があり、倉庫には100個以上の大きな瓶(かめ)に詰めたスパイスワインが貯蔵されていた。

 ところが同世紀中に突然この宮殿は打ち捨てられ、以後1000年近くにわたり利用された形跡がない。

 西暦2009年から遺跡の発掘が始まったものの、考古学者たちは困惑していた。これほど壮麗な建物は、この地のカナン人にとっては間違いなく政治の中枢だったはずだ。利用されなくなる直前まで改修が行われていた形跡もある。それなのに、なぜ住人たちは逃げ出したのだろうか?

 テル・カブリ遺跡は、地震活動が活発な地域にあるため、放棄されたのも地震のせいだろうと憶測したくなる。しかし研究者たちは、その説を採用することに躊躇(ちゅうちょ)した。用途を説明できない遺物を何でも「祭祀用」としてしまうのは、考古学者の間でジョークになるほどやりがちなことだ。地震説は、それと同じく安易な道だと思われたからだ。

 そこで発掘チームは、調査を続けながら1つずつ可能性を排除していった。ナショナル ジオグラフィック協会からの支援を受けて実施された発掘調査で、チームは干ばつや洪水といった地震以外の自然要因があった証拠を探したほか、武器や焼かれた跡、きちんと埋葬されていない遺体といった暴力や戦闘を示唆する痕跡も探した。しかし、そうした証拠は何一つ見つからなかった。

 イスラエル、ハイファ大学のアサーフ・ヤスール=ランダウ氏は、カナン人の宮殿が地震によって破壊されたという説を受け入れるまでに6年かかったという。氏は発掘調査の共同責任者で、共著者として執筆に加わった論文は9月11日付けで学術誌「PLOS ONE」に掲載された。

「そのような結論にたどり着く前に、全ての可能性を念入りに検討し尽くしたかったのです」と氏は話す。「派手な説に飛びつかず、丁寧に科学に取り組む姿勢が非常に大切です。そうしないのは、科学だけでなく私たちの社会にとって本当に良くないことなのです」

次ページ:宮殿跡を横断する溝

宮殿跡を横断する溝

 2011年に発掘チームは、宮殿跡をまっすぐ横切るような溝を発見した。当初、この溝は現代のものと考えられた。周辺に広がるアボカド畑の灌漑用か、1948年の第1次中東戦争で掘られた塹壕かもしれないと思われたのだ。

「1948年に、道路のすぐ向こう側で戦闘があったんです」と話すのは、もう1人の発掘責任者、米ジョージ・ワシントン大学のエリック・クライン氏である。そこで氏はこの溝について、「調査メモに“現代の対戦車壕”と書き残しました」

 しかし何年も調査を続けるうちに、不思議な点がいくつもあることがわかってきた。例えば、壁がわずかにずれて段ができている。床が波打ったり、妙な角度のスロープになっていたりする。上から何か重いものが落ちてきたようなくぼみがある。

 2019年までに長さ30メートルの溝が姿を現し、壁の石積みが3段分、溝に崩れ落ちている様子が明らかになった。

「その時点で、互いに顔を見合わせました。それから、そのエリアの監督者が『これは現代の溝ではなく、古代の溝だと思う』と言いました」。クライン氏はそう振り返る。「仲間の1人が『ええと、地震とか?』と言うと皆、うん、そうかもしれない、マイケルに連絡しよう、ということになりました」

 マイケルとは、ハイファ大学の海洋地質学者で、今回の論文の著者であるマイケル・ラザー氏のことだ。氏は2013年にワインの貯蔵庫が発掘された際、現場を訪れたことがあった。

「屋根が崩落して粉々に割れた瓶をたくさん目にしました」とラザー氏は回想する。「アサーフが『どう思う?』と聞くので、地震ですね、と答えました。するとアサーフは、『そうじゃないだろ、本当は何が原因だったと思う?』と言いました」

証拠が示す地震説

 だがそれから6年経ち、研究者たちは、溝は地震によって生じた亀裂なのだろうと考えるようになっていた。おそらく地面の液状化によるもので、近くで起きた地震によって直接引き起こされたか、あるいは間接的に、遠くで発生した地震によって地下水面が上昇して生じたのだろう。

 宮殿の床を覆っていた堆積物の粒子を分析したところ、崩れたしっくいや壁の破片が乱雑に入り混じったものであることが判明した。それも、たった一度の出来事でそうなったようだった。泥土が見当たらなかったことから、この堆積物によって覆われる前の床は、全く風雨にさらされていなかったこともわかった。つまり宮殿はゆっくり朽ちていったのではなく、一瞬で崩壊したのである。

次ページ:現代の地震リスクも浮上

 ずれた壁、床のスロープと穴、割れた数々の巨大な瓶、ミクロな地質学的証拠、宮殿を真っ二つにする亀裂。これら奇妙に思われた点も全てつじつまが合い始めた。しかも、死海の堆積物の調査からは、紀元前1700年頃にこの地域で地震が発生したことがわかっている。ちょうど宮殿が放棄された頃のことだ。地震こそが唯一ありえそうな説明だった。

「これが考古学です」とクライン氏は言う。「ピースが徐々に1つに合わさっていきます。仮説を捨て、よりもっともらしい仮説を考え出し、最終的には自分の中のシャーロック・ホームズを呼び出さなければなりません。ありえない説は排除して、残ったものを検証するんです」

現代の地震リスクも浮上

 米ミズーリ大学カンザスシティ校の地質学者ティナ・ニエミ氏も、発掘された証拠は地震が原因だったらしいことを示していると同意する。ただし震源がどこだったのかについては、さらなる調査が必要だと話す。なお氏はテル・カブリ遺跡の発掘には関わっていない。

 震源は、現場近くにある小さなカブリ断層だったのか、もしくは40キロメートル東にある、より大きく危険な死海断層だったのか。宮殿内を走る亀裂の断面を発掘することで、そうした疑問への答えが見つかる可能性があるとニエミ氏は言う。

 ヤスール=ランダウ氏は、もはや地震説を疑っていない。「5年も取り組んできたプロジェクトですから、この問いに対する答えを得られて本当に良かったです」

 一方でラザー氏にしてみれば、今回の発見は、今この地に住む人々にとっての新たな脅威が発覚したということでもある。特に宮殿崩壊の原因がカブリ断層だったとすればなおさらだ。

「イスラエルで地震と言えば、皆すぐに死海断層を思い浮かべます」と氏は述べる。「つまり、死海断層から離れた場所には大した危険がないかのように思われているのです」

 ラザー氏によれば、カブリ断層は最近、活断層マップから除外された。しかし、地質学的に言えばほんの一瞬でしかない3700年前に、カブリ断層が地震を引き起こしたのだとすれば、同断層が今後再び活動する可能性は排除できない。

「災害の危険性を評価するにあたって重要な情報です。カブリ断層はもう一度、活断層として地図に掲載されるべきです」

あわせて読みたい

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。

掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。
(C) 2020 日経ナショナル ジオグラフィック社