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ウクライナの伝統 豪華な花の冠の人気が復活した理由

  • 2020年7月11日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 花、鳥の羽、麻糸、貝殻、ビーズ、時には箔やワックスまで用いて、ウクライナの芸術家ドミニカ・ダイカ氏が作るのは、「ヴィノク」と呼ばれるウクライナの伝統的な花の冠だ。

 純潔と多産の象徴として、ウクライナでは昔から少女や若い女性が祭りや結婚式で頭に花の冠を載せた。その起源は、10世紀に東欧のスラブ世界にキリスト教が伝わる以前の異教の伝統にあるとされている。ウクライナでは今、この花の冠を含め、伝統的な文化を見直す動きが高まっている。誇りある民族の歴史を反映し、明るい未来への希望を込めて現代風にアレンジされた民族衣装は、今では日常生活の中にも溶け込んでいる。

 ヴィノクは、7月上旬に祝われる「イワン・クパーラ」という祭りで見られる。これも元々は異教徒の祭りだったが、それが後にキリスト教の洗礼者聖ヨハネの祭りに結び付けられた(ヨハネはスラブ語でイワン、英語でジョンのこと)。ウクライナだけでなく、ロシア、ポーランド、ベラルーシでも祝われている。人々は焚火の上を飛び越え、女性は花やその他の植物で冠を編み、それを川に流して恋愛運を占う。最近では、芸術祭や音楽祭でも花の冠が見られるようになり、さらにそれはミュージックビデオやソーシャルメディアの投稿にまで広がっている。

古い伝統から現代アートへ

 ダイカ氏は、ウクライナの町リヴィウにあるトレッティピビニ・ワークショップで、スタイリストやメイクアップアーティスト、フラワーアーティストらとともに、ひときわ豪華で美しいヴィノクを制作する(トレッティピビニとは、ウクライナ語で「第3の雄鶏」という意味だ。ダイカ氏によれば、朝3番目に鳴いた雄鶏、つまり新しい一日の始まりを象徴するのだという)。デザインは、美術館に所蔵されていた古い写真をデジタル化したものや、アーティストたちが集めた古い家族写真が基になっている。

「昔から使われてきた材料を使っています」。ダイカ氏は、掘り起こされた歴史に新たないのちを吹き込み、「現代の写真を通してウクライナの民族衣装を広く知ってもらい、古い写真が与えるビンテージとか色褪せたイメージを払拭したいです」と話す。

 彼女の作品を頭に戴いたモデルの誰ひとりとして「冷たく、世離れした」雰囲気でカメラに向かう者はいない。「身長や体型、年齢に関わらず、女性はすべて美しい。私たちの写真は、それを見せています」。ダイカ氏は、過去の伝統を色彩あふれる現代アートとしてよみがえらせ、人々にウクライナ人としての誇りを取り戻してほしいと願う。「この美しさを、たくさんの人に見てもらいたいと思っています」

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 美しい刺繍が施されたシャツやドレスなどの民族衣装とともに、ヴィノクの人気は「最近ますます高まっている」と話すのは、ウクライナ人とポーランド人のバンド「ダガダナ」のメンバー、ダガ・グレゴロウィッツ氏だ。ダガダナは、ダイカ氏のヴィノクを衣装に取り入れている。「長いこと、私たちは自分たちの衣装スタイルを模索していました。バンドのメンバーは隣国同士のポーランドとウクライナ出身で、私たちの音楽はこのふたつの国の伝統的な民族文化を融合させたものです。これに、ジャズ、エレクトロニカ、ロック、即興演奏といった現代的な要素も取り入れています」

 そんな時、ダイカ氏の創作物に出会った。「ずっと前からこうなる運命にあったように思えます。私たちの文化を世界に伝え、私たち祖国の女性たちの物語を伝えるために」。ダガダナの衣装は世界中の音楽祭で披露され、人々はポーランドとウクライナの豊かな文化に魅了されたと、グレゴロウィッツ氏は言う。

 ウクライナ国内では、ヴィノク人気のおかげで生花店が繁盛している。首都キエフで生花店を営むアナスタジア・プルシュコ氏は、赤ちゃんの洗礼式や誕生日パーティの招待客へのギフト、レストランの開店祝い、ファッションショーのアクセサリーの注文が増えていると話す。プルシュコ氏は、ヴィノク作りのクラスも指導している。

 中でも一番多いのが、結婚する花嫁からの注文だ。「ウクライナのルーツと伝統ですから。それに、ヴィノクは刺繍入りのシャツやドレスにとてもよく合います」。刺繍が施されたウクライナの伝統的なシャツは、ヴィシヴァンカと呼ばれる。

 プルシュコ氏は、ヴィノクの衣装合わせを必ず自分でするようにしている。「リボンやタイを選ぶ段階から関わらないと、冠のボリュームが決められません。冠の傾き加減も重要です。前方または後方に傾けるか、それとも頭のてっぺんに載せるかによって変わってきます」

 ヴィノクには、科学、神秘、そして芸術の側面がある。植物が何を象徴するのかだけでなく、冷凍されたり乾燥させたりした場合、または「水なしでどのように変化する」かまで知っておく必要がある。生花を長持ちさせるために、ブドウ糖を染み込ませたコットンボールをアレンジメントにテープで貼り付け、花に吸わせる。ドライフラワーは脆く崩れやすいが、糊で簡単に貼り付けられる。冠自体、見た目は緩やかに、しかし花嫁がダンスしてもずれないように、しっかり固定する必要がある。そして、「花が肩を寄せ合って互いを支えているかのように、隙間なく並べます」と、プルシュコ氏は説明する。

 プルシュコ氏や他のアーティストたちによる作品は変わっても、それらが意味するものは歴史の中に深く根付いている。「結婚式の数日前に、花嫁が涙を見せたのです。私は花を輪に編んでいました。リボンの下に茎を差し入れていた時に、彼女は本当に結婚するのだと気づいたようです。胸が熱くなる思いがしました」

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祖国の誇り

 恋愛や結婚式だけではない。ヴィノクは愛国心の象徴でもある。

「2004年、大統領選に抗議して始まったオレンジ革命をきっかけに、ヴィノクの人気が高まりました。この革命で国民の意識が高まり、人々は自分たちのルーツを見直し、伝統の素晴らしさに気付いたのです」と、プルシュコ氏は言う。

 2014年、ロシアの干渉をめぐって再び騒乱が起こり、伝統への回帰がさらに深まった。リヴィウで民族衣装の店を営むウリャナ・ヤウナ氏は、この騒乱の後でビンテージファッションが流行り出したと語る。「でも、ヴィノクはそれよりも早く、オレンジ革命の頃から役割を担うようになっていましたね。当時多くの女性が、何かの象徴のように花の冠を着けて抗議活動に参加していました」

 米フロリダ州にあるステッソン大学の歴史学准教授で、ロシア、ウクライナ、東ヨーロッパの文化史が専門のメイヒル・フォウラー氏は、ソビエト時代、連邦を構成していた共和国では伝統文化にある程度の制限が設けられていたと話す。「公認の民族衣装や民族の踊りはありましたが、それは上から押しつけられたものでした」

 ヴィノクのような花の冠は長い間結婚式の伝統とされてきたが、ソビエト時代の結婚式は、ほとんどが役所の建物など民族や宗教色のない場所で行われていた。その土地の伝統を祝うのではなく、より大きな政治的環境の一部に組み込まれるようにというメッセージだった。「そこから大きく外れることはできませんでした。決められたレールの上を歩み、反ソビエト派に見えるようなことは一切避けなければなりませんでした」

 それが今、芸術家たちは多様な伝統を学び、民族モチーフに影響を受け、それらを現代芸術に作り替える自由が与えられている。例えばフォウラー氏によると、「ヒップスターのようだけれど刺繍の入ったシャツを着たり、以前はお祭りでしか着なかったヴィシヴァンカが、モダンでセクシーな普段着になったりしています」という。

 音楽祭では、花の冠を頭に載せて、ビールを飲み、仲間と過ごす女性を多く見かけるようになった。キエフにあるショップ「オール・アワー・オウン」では、デザイナーが店に展示スペースを持ち、地元産の服を求める消費者へ販売している。「ウクライナ人とは何であるかに人々は気づき始め、消費という世界のなかでそれを喜び祝っているのです」と、フォウラー氏は言う。「また、民族的なモチーフを使って今の時代を表現しています」

 ダイカ氏の作り出すヴィノクも同様だ。伝統的に、結婚式のヴィノクは一生に一度だけと決まっていたが、新しいエネルギーを一つひとつ丁寧に編み込んだ現代のヴィノクに魅了された女性たちは、少しばかりルールを破っても構わないと思っている。「今では既婚女性も、若く美しい気分にさせてくれるヴィノクを、好んで着けるようになっています」

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