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フィレンツェの伝統スポーツ コロナで2020年は開催の危機

  • 2020年6月27日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 イタリアの歴史的な都市の一つフィレンツェには、「カルチョ・ストーリコ」という伝統的な競技がある。イタリア語で「歴史的フットボール」を意味するこの競技は、フィレンツェの歴史的な町を4つの地区に分け、それぞれの地区を代表する4チームが、毎年数千人の観客の前で優勝をかけて戦うトーナメント式のイベントだ。ラグビーにやや似ているが、こちらは古代広場に設置された巨大な砂地のフィールドの中で、時代衣装を身に着けた選手たちが素手で殴り合い、大乱闘を繰り広げる様は、かなり独特だ。

 毎年6月24日の聖ヨハネの日、フィレンツェの人々は決勝戦に先駆けて行われるパレードを楽しみに待つ。4つのチームには、それぞれチームカラーが割り当てられている。サンタ・クローチェはアズーリ(青)、サンタ・マリア・ノヴェラはロッシ(赤)、サント・スピリトはビアンキ(白)、そしてサン・ジョバンニはヴェルディ(緑)だ。チームの応援は市民の義務のようなものであり、勇気と誇り、目的をもってチームカラーを代表するカルチアンテ(選手)に選ばれることは、この上ない栄誉なのだ。

 カルチアンテには、レストラン経営者やベーカリーの店主、建築現場の作業員、会社役員もいる。しかし、ひとたびフィールドに足を踏み入れれば、職業も年齢も関係ない。彼らに共通するものは、このスポーツへの愛のみだ。その昔、優勝賞品は食用の子牛1頭だった。それが今では、無料のディナーと記念の垂れ幕に変わった。出場選手たちは、金銭的報酬もトロフィーも受け取らない。脳震とうになっても、血を流し骨が折れようとも戦い続けるのは、それがフィレンツェの人々が昔からやってきたことだからだ。

 新型コロナウイルス感染症の世界的大流行で、20年6月の開催は絶望的となり、フィレンツェの町は打ちのめされた。だが、すぐに気を取り直した人々は、完全にキャンセルするのではなく、形を変えてでも開催できないかと知恵を出し合い始めた。

カルチョ・ストーリコの魅力

 カルチョ・ストーリコの魅力はいくつもある。まず、競技前の壮麗なパレードや、選手が着る美しいストライプの時代衣装が、見る者の目を楽しませてくれる。また、試合そのものが持つ単純さも、大きな魅力だ。27人から成る2チームが、フィールドの両側にある細長いゴールにボールを入れてポイントを獲得する。試合時間は50分だが、深い砂に足を取られて動きが鈍った選手たちを見ていると、時間が長く感じられる。それでも、アクションはひっきりなしに起こっている。フィールドのいたるところで、選手たちはぶつかり合い、選手がなだれ込んで乱闘が始まる。

 一応、決まったポジションはある。選手たちは大まかに3本のラインに分かれ、「イナンチ」と呼ばれるランナーが相手チームのフィールドへ攻め込んでカッチャ(ゴール)を決める。パスは難しく、多くの選手は敵にユニフォームをつかまれないよう腰にテープを巻き付けているが、それでも常にどこかでつかみ合いが起こっている。前半戦が終わる頃には、選手たちは汗と砂にまみれ、フィールドには布の切れ端が散乱し、熱狂した観客はチームへ熱い声援を送る。

次ページ:戦力を奪うのが鉄則。選手交代は認められない

 殴り合いは延々と続くが、これがカルチョ・ストーリコの戦略なのだ。敵を殴り、蹴り、なぎ倒し、頭突きや足蹴りを食らわせ、その他あらゆる手を使ってできるだけ相手チームの戦力を奪う。ルールでは選手交代は認められないため、誰かが倒れて試合ができなくなれば、そのチームはひとり欠けたまま戦い続けなければならない。まさに弱肉強食の世界だ。

 1試合だけで6〜7回(または8〜9回)選手が担架で運ばれることも珍しくない。念のために言っておくと、これだけ激しい競技ではあるが、近代のカルチョ・ストーリコでは死者は1人も出ていない(脾臓(ひぞう)摘出という憂き目にあった選手はいた)。

 審判はいても、ただのお飾りのような存在にすぎない。彼らの主な仕事は、選手ひとりに対して相手チームが束になって攻撃していないかを見張ることだ。審判は、衣装の一部として剣を下げてはいるものの、抑止効果はなさそうだ。2017年には、アズーリチームの選手数人が3人の審判を襲ったため、警官が割って入ったことがあった。

 ずいぶんと物騒な話だが、カルチョ・ストーリコでは珍しいことではない。建築家であり、1972年から1988年までアズーリの選手として活躍したマウリツィオ・コンティ氏は、「いつも何かしら事故が起こっていました」と話す。なかには、試合中に耳を一部噛みちぎられた友人もいた。その時はショックを受けたが、友人はすぐに立ち直って相手選手を自分の店に招待したという。カルチアンテにとって、試合中に受けた傷は「勲章のようなもの」だから、とコンティ氏は言う。

20年の試合はいつ開催?

 新型コロナウイルス感染症が大流行している今年、他人の汗や唾液にまみれるカルチョ・ストーリコのようなイベントを安全かつ衛生的に開催することは不可能に近い。

 パレードやその他の式典を監督するフィリッポ・ジョバネリ氏は、何カ月も前から役員たちと協議を重ね、どうにか形を変えて開催できないか知恵を絞ってきた。

「もう、悲喜劇と言って良い状況です」。両手のひらを上に向け、お手上げという仕草をして、ジョバネリ氏は言った。「マスクをしたパレードなんて無理ですし、取っ組み合いなしに試合はできません。でも、何かやれることがあるはずです」

 町の伝統を監督するアンドレア・ヴァヌーチ副市長も同様に頭を抱えるが、そんな時思い浮かぶのは、カルチョ・ストーリコの歴史だという。その起源は1400年代後半に遡るとされている。とくに有名なエピソードは1530年の試合だ。このときは神聖ローマ皇帝カール5世の軍がフィレンツェに押し寄せ街を包囲した。そんな状況にあってもフィレンツェの人々は試合を強行したという。

次ページ:どうしても守りたいもの

 その果敢な抵抗、たとえ攻撃を受けても伝統だけは守り抜くという強い意志が、カルチョ・ストーリコの尊厳を支えている。戦争であろうと何であろうとも、フィレンツェの人々に試合を止めさせることはできない。

「1530年、私たちの敵は軍隊でした。2020年、敵は軍隊ではなくウイルスです。市民は皆怖がっています。だからこそ私たちは、この町に再び希望を与えるために何ができるかを考えなければなりません」

 ヴァヌーチ氏は大げさな言い方かもしれないというが、今現在フィレンツェ市民が多くの不安を抱えていることは確かだ。観光収入について言えば、19年は5000万ドル近かった。それが20年はほぼゼロになる。

 それでも、カルチョ・ストーリコは街にとっては重要だ。レストランを経営するステファノ・ディ・プッチオ氏は、有名レストランの経営者とか市議会議員としてよりも、カルチアンテとしてのほうが名が知られているという。マーケティング会社役員のアンドレア・ピラス氏は、顔の傷跡を説明するために、会議や面接では必ず自分がカルチアンテであると明かすことにしている。すると、感心した人々にあれこれ質問されるのがうれしいと話す。

「子どもの頃の私にとって、カルチアンテは英雄であり、勇敢な男たちでした。今でも、多くの人にとって私たちはそうでありたいと願います」

 きっとそうに違いない。だからこそ、市の指導者たちは20年のトーナメントを完全にキャンセルしない方法を模索した。当初は、開催時期を秋の9月ごろに延期しようという提案もあった。

 パンデミックの第2波が懸念されている現在、2021年の2月に延期する案も出ている。現在は、こちらの方が現実的だろう。何より、先に触れた1530年の試合も2月に開催されており、先人に対するオマージュにもなる。

 だが、それまでに十分なトレーニングができるかは分からない。トレーニングができなければ、それだけ試合の危険性も高まる。また、多くの選手が仕事を失っている今、怪我でもすれば、あとが大変だという声もある。「負傷して次の仕事が見つけられなくなったらどうしますか。それを考えると、試合自体やるべきかどうかと考えてしまいます」と、ベーカリーを営むニコロ・イノセンティ氏は言う。

 では、試合はキャンセルすべきかと問われると、イノセンティ氏はしばし大きく笑った後、「とんでもない。もし試合をやるなら時期は関係ありません。自分の意見を曲げてでも出場しますよ」と言って肩をすくめた。

 もちろん、イノセンティ氏は出場するだろう。何しろ彼は「フィオレンティーナ」(フィレンツェ人)なのだから、選択の余地はない。

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