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ダ・ヴィンチが変革、正確で美しい500年前の地図

  • 2020年8月13日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 20年近くミラノ公国に仕えたレオナルド・ダ・ヴィンチは、16世紀初頭、青年期を過ごしたフィレンツェに戻った。

 まもなく50歳を迎えようとするこのころ、ダ・ヴィンチはすでに革新的なカタパルト(投石機、1485年頃設計)や壁画「最後の晩餐」(1495〜98年)などを手がけており、科学の世界でも、芸術の世界でも絶大な名声を博していた。

 現実をありのままにとらえようとし、観察を重視するダ・ヴィンチは、「サペレ・アウデ」(勇気を持って知識を得よ、という意味のラテン語)の原則を様々な分野の探求に適用した。

 1502年、ローマ教皇アレクサンデル6世の息子で野心家のチェーザレ・ボルジアが、ダ・ヴィンチの後援者になった。ダ・ヴィンチに与えられた最初の任務のひとつは、ボローニャ近郊の都市イーモラの地図を作成することだった。

 ボルジアは1499年にこの町を攻め落としていた。濠をめぐらし、堅固に要塞化されたイーモラは、このカリスマ的な若き指導者にとって最も重要な占領地だった。そこでボルジアは、町の地理を把握し、支配を確実にするため、ダ・ヴィンチの明晰な頭脳から生まれる地図を求めた。

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原点からの距離と角度を測定

 16世紀当時の町の地図は、たとえば宗教建築が実際より大きく描かれるなど、象徴的に描かれることが多かった。ダ・ヴィンチが作成した「イーモラの都市計画図」は、この伝統を根底から覆した。地理的な現実を反映し、より実用的な地図を目指していたのだ。

 ダ・ヴィンチは、フィレンツェの人文主義者レオン・バッティスタ・アルベルティが開発した地図作成技術を応用した。アルベルティは、原点からの距離と角度を使って平面上の点の位置を表す「極座標」を利用して町の地図を作ることを提唱した人物だ。この手法を出発点に、ダ・ヴィンチは目標物の間の距離、比率、関係をより正確にとらえられるよう、技術的な改良を加えた。

 地図を見ると、町の中央広場を座標の中心として、そこから8つの主方向に放射状の線が引かれている。歴史家らの考えでは、ダ・ヴィンチはこの中心点から出発し、コンパスと手押し車式の走行距離計を使って道や目標物を測定することにより、地図の基になるデータを収集した。それから幾何学を用いて、地図の残りの部分を描き入れた。

 こうした技術により、まるで上空から見下ろしたかのように精緻な地図が生まれた。おそらく現在最も一般的に使われているタイプの地図だ。ダ・ヴィンチによる測量は、現在も有効だ。歴史家らによれば、「イーモラの都市計画図」は、500年を経た今も、この町の道案内に使えるほどだという。

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