サイト内
ウェブ

創立100周年、今も息づくバウハウスの精神

  • 2019年10月17日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 ポケットの中のiPhone。イケアのシンプルな本棚。ガラス張りの四角いオフィスビル。それらが持つ流れるような美しい線と機能性を重視したデザインは、100年前に起こったデザイン運動の賜物だ。

 1919年に創立されたドイツの美術学校バウハウスは、建築とデザイン革命の火付け役となった。それから100年、「より少ないことは、より豊かなこと」という哲学や、直線の縁と装飾をそぎ落としたデザインへのこだわり、芸術と商業の融合は、集合住宅からスマートフォンまでいたるところに見ることができる。

 第一次世界大戦が終わると、ドイツの建築家ヴァルター・グロピウスは、芸術が社会的役割を果たすべきであると考え、ドイツ中東部の町ワイマールに自らが創立した学校で、純粋美術とともに建築や活版印刷といった応用美術も教えた。グロピウスの目標は、「職人と芸術家の間に傲慢な障壁を築かないよう、階級の区別がない職人たちの新たなギルド(組合)を作ること」だった。

 グロピウスの考え方は間もなく、パウル・クレーやワシリー・カンディンスキーといった画家や、書体デザイナー、家具職人、織物職人、衣装デザイナー、振付師など、幅広い分野の芸術家から支持を得た。こうした動きは、デザインへのアプローチの仕方に劇的な変化が起こっていたことの表れだった。象徴的なワシリーチェアや、ミース・ファン・デル・ローエが手がけたバルセロナ・パビリオンの軒天井といった画期的デザインの登場により、余計なものをそぎ落とし基本的な構造だけを残した新たな世代のデザインや建築が数多く生まれた。

 当時としては過激なアプローチは多くの反感を買い、バウハウス(ドイツ語で「建築の家」の意)は創立当初から論争に巻き込まれていった。そしてわずか数年でワイマールから近くの町デッサウに移転を迫られ、その後ベルリンへと移転。1933年には、ナチスによって学校は完全に閉鎖された。

 だが、そのモダンな考え方と運動の美学は生き続けた。「バウハウスの重要性は、形ある物としての遺産だけでなく、形のない遺産も残し、それらが今もなお影響を与え続けている点にあります」と、ベルリン芸術大学の美術史家ニナ・ヴィーデマイヤー氏は言う。

 ドイツは今年、国を挙げてバウハウスの開校100周年を祝っている。9月からベルリンギャラリーで特別展が始まり、試作品や初期の学生たちによる一点ものなど、千点以上のバウハウスオリジナル作品が展示され大きな反響を呼んでいる。だが、バウハウスが起こした運動の影響は、ベルリン以外にも世界中で見ることができる。その代表的なものを、ここで紹介しよう。

次ページ:ドイツのほか、イスラエル、シカゴにも

ワイマール

 バウハウス運動発祥の地。ドイツ東部の町ワイマールで、100年前にバウハウスは誕生した。2019年4月、町の中心地のすぐ近くに、運動を記念した新しい美術館が開館した。ミース・ファン・デル・ローエのバルセロナチェアや、ピーター・ケレル作のシンプルな図形と原色を組み合わせたゆりかごなど、バウハウスのオリジナル作品が展示されている。1920年代のドイツにとって、この学校がいかに前衛的であったかがわかるだろう。

 創立当時のバウハウス校舎も見学可能だ。今もデザイン学校として使われている。校内にあるグロピウスのオフィスは復元されたものだが、当時の状態を忠実に再現している。ワイマール自体、ドイツ史のなかで重要な位置を占めており、ドイツの詩人ヨハン・ゲーテとフリードリヒ・シラーの博物館や、ブーヘンバルト強制収容所がある。徒歩ツアーで街を案内してくれるのは、バウハウス大学の現役学生たちだ。100年間の伝統を受け継ぐ建築家、デザイナー、芸術家の卵によるツアーは、きっと素晴らしい体験になるだろう。

デッサウ

 ワイマールに近いデッサウは、緑豊かな人口7万人の町。バウハウスの校舎を含め、ユネスコ世界文化遺産を2件有する。ワイマールの次にグロピウスが設計したバウハウスの校舎は、今もデザイン学校として使用されている。訪れた人は、学生寮に宿泊することも可能。かつてバウハウスの学生たちは、ここで世界を変えるデザインを夢見ていたのだろうか。

ベルリン

 ヴァルター・グロピウスが1960年代に設計したベルリンのバウハウスアーカイブ(資料館)は、現在改修工事のため閉鎖されているが、ベルリンの町にはバウハウス様式の建物が数多く点在している。そのうち6棟が、モダニズム集合住宅群としてユネスコ世界遺産に登録されている。

 なかでも特に有名な馬蹄形ジードルング(集合住宅)は、1920年代に労働者のための安い集合住宅として建てられた。当時の住宅棟の一室が、キッチンと庭付きで一般公開され、1920年代のベルリンでのバウハウス生活を垣間見ることができる。

 夜は、町の西側にあるミニマリスト様式の低料金ホテル、クーダム101に宿を取ろう。ここも、バウハウスの影響を受けた建築家ル・コルビュジエのデザインをモチーフにしている。

テルアビブ

 1933年にナチスが権力を握ると、バウハウスを代表する多くの芸術家が国外へ移住し、バウハウスの教えを世界中に広めた。バウハウス様式の建築物が最も多く残されている町のひとつが、イスラエルのテルアビブだ。町の中心部には、4000棟以上のバウハウス建築が立ち並び、ユネスコの世界遺産に指定されている。その多くは、1930年代にナチスの手を逃れたドイツ系ユダヤ人による設計だ。

 目の肥えた人なら、テルアビブに見られる建築の重要な違いに気づくだろう。ドイツのバウハウス建築の特徴であるガラスをふんだんに使った設計は、ここでは地中海の暑い太陽を防ぐために、より小さな窓にとってかわられている。バウハウスセンターには、「白い町」テルアビブのモダニズムを記念したギャラリーと美術館が入っている。週に一度、ここから徒歩ツアーが出ているが、ツアーがなくても音声ガイドを借りて自分で回ることも可能だ。

シカゴ

 バウハウスで教えたラースロー・モホリ・ナジは米国へ移住し、シカゴに落ち着くと、1937年に新たな学校ニュー・バウハウスを設立した。1938年に、建築家のルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエがここへ加わった(現在は、イリノイ工科大学の一部になっている)。これをきっかけに、シカゴはモダニズム建築とデザインの中心地へと発展し、ファン・デル・ローエの格言「より少ないことは、より豊かなこと」を示す典型的な例となった。シカゴに近いイリノイ州プレイノのファーンズワース邸を含め、ファン・デル・ローエが設計した多くの建物は、一般公開されている。

 冷たく人間味がないと評されることもあるバウハウス建築は、すべての人に愛されるスタイルではないかもしれない。だが、創設から100年の時を経て、グロピウスがドイツで始めた小さな学校がモダンデザインに多大な影響を与えてきたことは、揺るぎない事実だろう。

あわせて読みたい

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。

掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。
(C) 2019 日経ナショナル ジオグラフィック社