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密林の巨岩に築かれた「幻の空中宮殿」 写真7点

  • 2019年9月10日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 インドの南東に浮かぶ島国スリランカ。その中央部の密林にそびえる巨大な岩山のシーギリヤ遺跡は、5世紀の建造当時から恐らくそうであったように、今も堂々とした威圧感を放っている。

「ライオンの岩」という意味を持つシーギリヤは、1982年にユネスコ世界遺産に登録された。かつて王宮があった頂上へ行くには、巨大なライオンの前足の間を抜け、切り立った岩に刻まれた階段を上っていかなければならない。

 すぐに主のいなくなった王宮はやがて森にのみ込まれ、地元の村人以外に知る者はいなくなった。時ははるかに下り、古い仏教の文献に玉座をいただいた巨岩の記述を見つけた外国人たちは、幻の宮殿を探し始める。英国人の歴史家が見事な建造物とフレスコ画を発見したのは19世紀のことだった。

王国から植民地へ、スリランカの歴史

 シーギリヤは、スリランカを最初に支配したシンハラ人の王であるカッサパ1世によって、5世紀に建造された。だが、西暦495年にそのカッサパ1世が倒されると、シーギリヤの要塞宮殿はすぐに役割を終えてしまう。

 カッサパ1世の死後、スリランカでは国内の権力闘争やインドからの侵略者との争いが絶えず、新たな王朝が次々に興っては滅んでいった。

 首都もたびたび移動した。12世紀に入るとシンハラ人は次第に勢いを失い、ずっと統治してきた主要なラジャラータ地方をついに放棄して、南西部まで後退した。シーギリヤを含むかつての主要都市からも、人々の姿は消えた。

次ページ:古い年代記に手がかりが残されていた

 この地域の覇権を狙っていたヨーロッパ諸国にとって、島国スリランカの位置は好都合だった。1500年代半ばには、スリランカ支配者層の間で起こっていた対立を利用して、ポルトガル人が島の大部分を手中に収める。

 それから1世紀後、ポルトガルに代わってオランダが、さらにその後1700年代後半には英国がスリランカを植民地支配した。1815年、スリランカ最後の独立王朝だったキャンディ王国が、大英帝国の一部に組み込まれた。

古い年代記に手がかりが残されていた

 英国の植民地時代、ジョージ・ターナーという英国人がスリランカへ公務員としてやってきた。貴族で学者、熱心な歴史家でもあったターナーは、仏教の僧と協力して5世紀に書かれたスリランカの年代記『マハーワンサ』をパーリ語から英語に翻訳した。この『マハーワンサ』やその他の文献から、古代スリランカにアヌラーダプラとポロンナルワという首都があったことをターナーは突き止める。

 さらに、続く年代記『チューラワンサ』には、カッサパ王に関する物語が記されていた。それによると、5世紀の終わりごろ、シンハラの王子だったカッサパは、父親であるダートゥセーナ王を殺して王座を奪った。

 カッサパの弟は身の危険を感じてインドへ逃げ延びた。反撃を恐れたカッサパ王はシーギリヤに要塞宮殿を建造したが、後に戻ってきた弟に殺される。主の死とともに、シーギリヤは首都としての短い運命にも幕を下ろしたとあった。

 1827年、英スコットランドの役人ジョナサン・フォーブスがターナーと出会い、親交を持つようになる。ターナーからカッサパ王と宮殿に関する物語を聞かされたフォーブスは、そのありかを探してみようと思い立ち、1831年、地元の人々に教えられた場所へ出かけていった。

 フォーブスは、回想記『Eleven Years in Ceylon(セイロンで過ごした11年間)』のなかで、シーギリヤと思われる場所を発見したときの感想を次のように綴っている。

「周囲にどこまでも広がる森を、しかめ面で見下ろすシーギリヤの岩」。近づくと、岩肌に作りつけられた通路や壁画が見えた。同行した2人が途中まで登ってみたが、岩が崩れ、「はるか下にあった木々の間に落ち込んでいった」という。

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 ここが文献に書かれていたシーギリヤなのかわからないまま、フォーブスは探検を切り上げた。それから数年後に同じ場所へ戻ると、岩のふもとにあった庭園の周囲に堀の跡を見つけたが、岩には登らなかった。ライオンに関係するものは何一つ見つからなかったので、シーギリヤという名は本当にライオンと関係があるのだろうかと疑問を抱いたままだった。

スリランカ芸術遺産の最高傑作

 1851年になって初めて英国人の登山家が頂上へたどり着いたが、遺跡の調査が実施されたのは19世紀も終わろうとしている頃だった。セイロン考古学委員会のハリー・C・P・ベルによる調査結果は、それ以降に行われたすべてのシーギリヤ研究の基礎となっている。

 うたかたのごとく消えたカッサパ1世の王宮の跡を、ベルは一つひとつ丁寧にたどった。フォーブスは、要塞の入り口に彫られた巨大なライオンの前足をついに見つけられなかったが、ベルはこれについても詳細に記している。

 岩のふもとに作られた精巧な水の庭園や、岩壁に描かれた美しいフレスコ画にも注目した。現存する21のフレスコ画は、アプサラと呼ばれる天上界の歌い手や踊り子たちを描いたものと考えられ、スリランカ芸術遺産の最高傑作に数えられている。

 フレスコ画の近くの壁には、8世紀から13世紀にかけてこの場所を訪れた僧侶や巡礼者による落書きが今も1000点以上残されている。はるか昔の人々が時を超えて語りかけるメッセージは、現代人の心にも響くだろう。たとえば、そのひとつはこんなふうに書かれている。

「スリランカ島の驚きに満ちたシーギリヤに、幸せな気分に浸り、訪れるすべての人の心をとらえてやまない岩山があった」

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