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釣り人垂涎の巨大魚 絶滅回避へ「最後の砦」

  • 2019年7月25日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 世界の釣り人たちがあこがれる幻の魚がいる。ゴールデンマハシールというコイの仲間だ。大きなものは体長270センチにもなり、その体は金色に輝くウロコに覆われている。

 釣り上げるのが困難な魚としても知られ、英国の作家ラドヤード・キプリングは、ゴールデンマハシールに比べれば、釣り人の勲章とされる大型魚ターポンすら「ニシンのようだ」と書いている。しかし、食料として乱獲され、生息地の大部分が失われていることから、南アジア一帯でこの魚の数は大きく減っている。

 ただし、ヒマラヤの山中にあるのどかな王国、ブータンだけは別だ。「川のトラ」とも呼ばれるゴールデンマハシールは、本物のトラ、シロハラサギ、ゴールデンラングールといった危機にひんしている動物たちと同様、ブータンの精力的な環境保護と人々の信仰心に守られ、その生を謳歌している。

「ブータンは、ゴールデンマハシールにとっての最後の砦となりました」と言うのは、世界自然保護基金(WWF)ブータン事務所の所長、デチェン・ドルジ氏だ。「この魚の保護や生態の研究は、私たちの手にかかっているのです」

「国民総幸福量」という政策理念を掲げたことでも知られているブータンは、インドと中国に挟まれた小国で、人口は百万人に満たない。ゴールデンマハシールを守るという大任は荷が重いように思えるかもしれないが、ブータンは自国が環境保護の先駆者であることを証明しようとしている。つまり、絶滅が危ぶまれている野生生物の保護に積極的に取り組んでいるのだ。

 中でも差し迫っているのが、淡水生物の保護だ。国連の直近の報告書によると、種の絶滅は人類史上かつてないほどのスピードで進んでいる。英国のロンドン動物学会がWWFと協力して管理している「生きている地球指数(Living Planet Index)」というデータベースによると、淡水に生息する生物の数は1970年に比べて83%減少している。これは、他のどのグループよりも大きい数字だ。ゴールデンマハシールのような巨大魚には、河川の生態系の変化による影響が特に強く表れている。

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国王が主導する保護活動

 ゴールデンマハシールは、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧種(endangered)に位置付けられている。この魚の自然分布域は、西はアフガニスタンから東はミャンマーまで広がるが、乱獲と生息地の喪失により、生息数は少なくとも半分以下にまで減っている。

 ゴールデンマハシールは雑食性の最上位捕食者だ。大きいものは体長270センチにもなるとされるが、最近は120センチを超えるものすら珍しくなった。

 ブータンでは、マハシールを釣る行為はかなり前から禁止されている。これには、ゴールデンマハシールだけでなく、もう少し小柄だが、同じようにうろこが光るチョコレートマハシールも含まれている。ブータンでは、川が神聖視されているだけでなく、マハシール自体もチベット仏教の8つの吉兆の1つとされ、幸運のシンボルと見なされている。

 1970年代には、当時の国王が兵士たちにマハシールの産卵場所を食料目的の密漁者から守るように命じたこともあった。また、1995年には、「森林および自然保護法」によってマハシールが保護対象となった。

 それ以来、ブータンでのマハシールの生息数はほとんど変化していない。しかし、マハシールに関する科学的調査もほとんど行われてこなかった。米国の水産資源保全財団(Fisheries Conservation Foundation)の会長で魚類学者のデビッド・フィリップ氏は、「いつもそのような神秘性の中で語られるので、実証研究や学術研究の対象になることはなかったのです」と言う。

 それに変化が生じたのは2015年だった。あがめられてはいたものの、生態はほとんど知られていなかったマハシールについて、現国王はもっと知りたいと考えた。その国王の命を受けたブータン政府とWWFが連絡したのがフィリップ氏の財団だった。

 フィリップ氏は、研究パートナーで漁業生物学者のジュリー・クラウセン氏らとチームを組み、マナス川とその支流に複数の受信器を仕掛けた。川の流域であるブータン南部はジャングルに覆われているため、この作業は決して楽なものではなかった。その後2年をかけて、60匹以上のゴールデンマハシールと40匹以上のチョコレートマハシールを捕まえ、タグをつけて放すことを繰り返した。このタグから受信器にデータが送られることで、魚の場所や移動距離を把握できるようになった。

 王立マナス国立公園のレンジャーの責任者であるタシ・ドルジ氏は、この実験でマハシールのすばらしさを再認識した。「魚を食べることすらやめました」と彼は言う。フィリップ氏は、「ヒマラヤでいちばんマハシール釣りが上手い」のは公園の上級森林警備員であるデオ・クマル・“DK”・グルン氏だろうと言う。タグを付けるために何度もマハシールを釣っていたからだ。

 集めたデータから、ゴールデンマハシールがそれまで考えられていたよりも長い距離を速く移動していることがわかった。クラウセン氏は、「急流を24時間で60キロ、70キロ移動していたこともありました。このパワーには驚かされます」と述べている。

 さらに、雪解け水ではない温かい支流で産卵すること、毎年まったく同じ場所に戻ってくることもわかった。おもしろいことに、マハシールはブータンの水域内にとどまり、マナス国立公園のインド側まで下ることはほとんどなかった。

 この調査成果は、2018年末にティンプーで行われたマハシールの国際会議で発表され、ブータンの保護活動の最新実績をアピールする場にもなった。フィリップ氏は、「5年も経たないうちに、ブータンはこの一帯でのマハシール研究と魚の遠隔データ収集のリーダーになったのです」と言う。

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観光客向けの釣りが解禁へ

 そんなブータンでも、マハシールは安泰というわけではない。厳しい取り締まりで密漁を抑えられてはいるものの、完全になくなったわけではない。たとえば、研究でタグを付けた魚の半分近くが行方不明になっている。その一部は、食料目的の密漁者による可能性があるとフィリップ氏は考えている。

 もう1つの心配は、4つの新しい水力発電所による影響だ。水力発電はブータンの主な収入源で、電力の多くはインドに輸出されている。新しい発電所は、既存の発電所と同じく、いわゆる流水式で発電しており、ダムを作る方式に比べて魚に優しい。さらに、発電所が建設されるのは、魚が上ってくることがないと思われる高所だ。それでも、研究者たちは魚の回遊が阻まれる可能性があると警告しており、最近の政府の報告書もこれ以上ブータンに発電所を建設しないことを推奨している。

 フィリップ氏、クラウセン氏、ドルジ氏などの専門家は、養殖場で育ったマハシールを川に放すのもやめるべきだと警告する。病気が広まったり、野生種の遺伝子プールが薄まったりする懸念があるからだ。「ブータンのマハシールは、とても強力な遺伝子を持っています。養殖された魚と混じり合えば、その強さは失われてしまいます」とフィリップ氏は言う。インドなどの隣国では、生息数を増やすために、一般的にこのような放流が行われている。

 一方で、エコツーリズムによる収入を得るために、レジャーとしてのマハシール釣りがまもなく解禁される予定だ。ブータンは、環境や文化を守るために、消費額の多い観光客を少数受け入れる政策を長いこと維持している。観光客に対しては、1日あたり200ドルから300ドルの料金を定めており、それによって食費や宿泊費などの基本的な費用がまかなわれるとともに、65ドルが社会福祉基金に充てられる。海外の裕福なスポーツフィッシング愛好家は、理想的な観光客と見なされている。

 仏教は、娯楽のために動物を傷つけたり殺したりすべきでないと教える。そのため、スポーツフィッシングはブータンの仏教文化とは相容れないように思えるかもしれない。しかし、厳格な規則はあるものの、マスを釣って放流するキャッチアンドリリースはすでに認められている。一方で、ブータンの国土の半分以上を占める国立公園などの保護区域や、寺院のそばでの釣りは認められていない。なお、マハシール釣りは、マス釣りよりも厳しく制限されると見られている。

「マハシールと国民の両方にメリットがある方式を実現させたいと考えています」とWWFのドルジ氏は言う。「適切なバランスを見つけることが重要なのです」

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