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コロンブスの地図に隠されていた秘密、明らかに

  • 2018年10月11日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 1491年に製作されたこの写真の地図は、クリストファー・コロンブスが初の大西洋横断に挑んだ当時に認識されていた世界の姿を表した地図として、最も良い状態で残っているものだ。コロンブスは航海の計画を立てる際、実際にこの地図の写しを使っていた可能性が高い。

 この地図を描いたのは、ドイツの地図製作者ヘンリックス・マルテルス。地図には当初、土地にゆかりの伝説や解説文が大量にラテン語で記されていたが、その大半は時と共に色あせてしまった。

 しかし今回、最新の技術を用いた研究で、判読が難しかったそうしたテキストの多くが明らかになった。

マルテルスの地図とコロンブス

 当時のヨーロッパ人が認識していた世界の姿は、現代人が今知っている姿とは大きく違う。そのことはマルテルスの地図にも表れていると、研究を主導した地図研究者のチェット・ヴァン・ドゥーザー氏は言う。

 マルテルスの地図では、ヨーロッパと地中海は概ね正確に描かれている。しかしアフリカ南部は東につま先を向けたブーツのような形をしており、アジアも奇妙な形に歪んでいる。南太平洋に浮かぶ大きな島の位置は、実際のオーストラリアがある場所にかなり近いが、これは偶然の一致だろうとヴァン・ドゥーザー氏は考えている。ヨーロッパ人がオーストラリア大陸を発見するのは、それからさらに1世紀たった頃だからだ。マルテルスは太平洋南部に想像上の島々を配置しており、そこには何もない空間を嫌うという、地図製作者にありがちな傾向が見てとれる。

 マルテルスの地図にはこのほかにも間違いがあり、それがこの地図とコロンブスの旅とを関連付ける手がかりとなった。地図が製作された当時、ヨーロッパでは日本の存在は認識されていたが、その地理的な位置については知られていなかった。東アジアに関する情報源として当時最も信頼性の高かったマルコ・ポーロの日誌はあったが、肝心の日本の位置については何も言及されていなかったのだ。

 マルテルスの地図には、日本は北から南へ伸びる正しい形で描かれている。ただ、偶然の産物と考えるのが妥当だろう。当時存在したほかの地図には、日本を明確に同じ向きで描いたものはないからだ。コロンブスの息子フェルディナンドは後に、父親は日本が南北に伸びていると信じていたと書いており、これはコロンブスがマルテルスの地図を参考にしていたことを示している。

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 1492年10月12日に西インド諸島に上陸した後、コロンブスは日本を探し始めた。このときの彼は自分がアジアへの航路を見つけたと信じていたからだ。コロンブスがそう思い込んだのは、マルテルスの地図に示されている欧州・日本間の距離とほぼ同程度の距離を、自分が航海してきたからだと、ヴァン・ドゥーザー氏は言う。

 後年の航海で、コロンブスが中南米を海岸沿いに南下していったことを考えると、彼は自分がマルテルスの地図に描かれている通りのアジアの海岸を南下していると思っていたと推察できる。

タイムカプセルの修復

 マルテルスの地図のサイズは、縦1メートル、横1.8メートルほどだ。これほど大きな地図は贅沢品で、おそらくは貴族からの依頼で作られたものと思われるが、その貴族が誰かを示す紋章や献辞は見当たらない。地図は1962年に匿名の人物によって米エール大学に寄贈され、今も大学内のバイネキ稀覯本・手稿図書館に保管されている。

 時間の経過とともに、地図に記された文字の大半は背景と見分けがつかないほどに色あせ、判別できなくなっていた。しかし2014年、全米人文科学基金の助成金を得たヴァン・ドゥーザー氏が、協力者らと共に、マルチスペクトル画像処理という技術を用いて隠された文字の解明に着手した。

 この手法は、異なる光の波長を用いて地図の写真を何百枚も撮影・処理しながら、部分ごとに文字が最も読みやすい波長の組み合わせを探っていくというものだ(ヴァン・ドゥーザー氏の同僚が作成したインタラクティブ・マップはこちら)。

 地図に記された伝説の大半は、その地域やそこに住む生物に関するものになっている。「ここには『ヒポポデス』がいる。人間のような姿だが、馬の脚を持つ」。中央アジアの上に記されている、以前は読めなかったテキストにはそう書かれている。また別のテキストは、「人間に似ている怪物で、その耳は体全体を覆うほど大きい」と読める。こうした想像上の生き物の多くは、古代ギリシャ人が記したテキストにその起源を辿ることができる。

 驚くべき発見があったのはアフリカの内陸部だと、ヴァン・ドゥーザー氏は言う。マルテルスはアフリカの地図に詳細な情報や地名を数多く書き込んでおり、その情報源はどうやら1441年にフィレンツェを訪れたエチオピアの代表団だったものと思われる。15世紀に作られたヨーロッパの地図の中に、アフリカの地理についてこれほど多くの、しかもヨーロッパ人の探検家ではなく、現地のアフリカ人から得た情報を記しているものはほかにない。

 マルチスペクトル画像処理による調査ではまた、マルテルスの地図が、1492年にマルティン・ベハイムが製作した現存最古の地球儀、および1507年にマルティン・ヴァルトゼーミュラーが製作した、「アメリカ」という名を初めて用いた世界地図において、主要な情報源となっていたことも明らかになった。

 ふたつの地図を比較したヴァン・ドゥーザー氏は、ヴァルトゼーミュラーが、マルテルスの地図のテキストの多くをそのまま使いまわしていたことを発見した。こうしたやり方は当時としてはごく一般的なもので、マルテルスも自身の地図にある海の怪物の描写を、1491年に出版された百科事典から書き写していることがわかっている。

 ただマルテルスとヴァルトゼーミュラーの地図には、はっきりした違いがあった。マルテルスはヨーロッパとアフリカを地図の左端付近に描き、その向こうには海しか描いていない。一方、ヴァルトゼーミュラーの地図はさらに西へ伸び、大西洋の向こう側には新たな陸地が描かれていた。ヴァルトゼーミュラーの地図が製作されたのは16年後だが、その間に世界の姿は大きく変わってしまっていたわけだ。

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