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熱帯のヒカリボヤ、北太平洋で大発生、前代未聞

  • 2017年6月16日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

 前例のない高温が3年続いた米国西海岸沿いの海は、2017年にようやく元の水温に戻った。エビのような太ったオキアミが戻ってきて、再びサケのごちそうとなっている。飢えて痩せこけたアシカなどの海洋哺乳類が、海岸に打ち上げられることもなくなった。物事は正常な状態に戻りつつあるように見えた。

 そのとき、彼らは現れた。

 始まりは今年の春だ。クラゲのような奇妙な海中生物が無数に発生した。原始的な姿で、光を放ち、なかには長さ60センチを超えるものもいる。これが調査用の網をだめにし、釣り針に掛かり、西海岸の浜に怒濤のごとく押し寄せ始める。

 細かい突起を生やしたゼリー質のその物体は、ヒカリボヤという円筒形の生きものだ(厳密には尾索動物の仲間で、円筒形の状態は「個虫」が集まった群体)。普通は熱帯で見られるが、カナダのブリティッシュ・コロンビア州のような北方の海でもまれに目撃される。だが今春、ヒカリボヤたちは過去に例のない大集団で現れ始め、米オレゴン州からアラスカ湾にかけての太平洋北東部に満ちあふれている。

 米オレゴン州立大学ハットフィールド海洋科学センターの研究アシスタントであるジェニファー・フィッシャー氏は、「本当に不思議です」と首をかしげる。「こんな現象は見たことがありません」

 研究生物学者、リック・ブロジャー氏も同様だ。オレゴン州にある米海洋大気局(NOAA)の一機関、北西漁業科学センターに所属するブロジャー氏は、クラゲなどゼリー質の生物を北米太平洋側北西部で30年研究しているが、このような事態は経験がない。

「こんなに大量のヒカリボヤがいるとは、ただただ信じられません」とブロジャー氏。

 あるときは、調査用の網に5分で6万匹のヒカリボヤがかかった。アラスカ州シトカ近郊では、漁師たちがサケ漁をやめてしまった。円筒形の妙な生物が必ず針にくっついてしまうからだ。ヒカリボヤは海面から100メートル近い深さまで支配してしまったが、その経緯も理由も、誰にもわからない。

「ここにやって来たヒカリボヤは繁栄を極め、とんでもない量になっています」とフィッシャー氏は言う。「ですが、奇怪な現象です。なぜここなのか、なぜ今なのか、何もわかりません」

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生態は謎だらけ

 通常、ヒカリボヤが見られることは非常にまれで、海洋の現況について年1回の報告書をまとめるカナダの研究者は名前を聞いたことすらなかった。西海岸の科学者は、学術論文にわずかな情報を見出せた程度だった。大半の科学者は生態系において重大な意味があるのではと疑っているが、その有無は明らかではない。どんな影響があり得るか、予測は不可能だ。

 学名の pyrosome が「火の体」を意味するヒカリボヤ属は、普通はコートジボワールや地中海、オーストラリアやフロリダ沖といった海域で見つかる。大きいものは長さ9メートルを超え、チベットの長いホルンさながらの不気味な姿になる。小さいものは繊毛(せんもう)という微細な毛を動かして、海中を上下している。キュウリのように硬く、細かい突起で覆われているが、触られるとゼラチン質の粘液をしみ出させる。

 2014年と2015年に、暖かい水塊が一時的に太平洋東部に押し寄せ、あらゆる種類の生きものが、本来の生息域ではない場所に現れた。暖かい海域のサメやマグロがアラスカで水揚げされた。熱帯のウミヘビがカリフォルニア沖に姿を見せた。期間も毒性も記録上最長、最大となる藻類の大発生が起こり、カニ、カタクチイワシ、アザラシ、アシカを苦しめた。そして、数匹のヒカリボヤが浜に打ち上げられるようになった。

 水温が下がり始めると、海の生きものたちは元の状態に戻っていくように見えた。だがしかし、なぜかヒカリボヤが増え始めた。今年の春までには、ヒカリボヤは海面から100メート前後の深さまでの大部分を支配するようになっており、特にアラスカ沖合で顕著だ。

「中深海のキングサーモン(マスノスケ)を獲るのに、トロール漁の漁師は釣り針が50個ついた仕掛けを使っていました。それを引き上げると、ほとんど全ての針にヒカリボヤが付いていたのです」と話すのは、アラスカ州漁業狩猟局のレオン・ショール氏だ。「事実上、漁が不可能なところまで来ています」

 ショール氏によると、ある漁師がヒカリボヤをいくつかバケツに入れてみたが、結局は海に投げ捨てた。後になって初めて、バケツが光っていることに気付いたという。

 同局のアーロン・ボールドウィン氏も、「水中はヒカリボヤで埋め尽くされています」と話す。

 ちょうど2週間前には調査のためトロール網船が出され、オレゴン州の数百カイリ沖で、科学者たちは万単位のヒカリボヤを確認した。

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今後の影響も未知数

 この生物が何を食べているかははっきりしないが、それが大量だということだけは確かだ。

「おそらく、たくさんの餌を食べているはずです。一般には微細な粒子を食べますが、ここまで増えるためには大量に食べなければなりません」とブロジャー氏は言う。

 ヒカリボヤを食べる生物がいるのかも定かではない。ギンダラを捕獲している科学者は、数匹がヒカリボヤを吐き戻しているのに気付いた。他の研究者は、キングサーモンの体内に小さなヒカリボヤが数匹いるのを確認している。しかし、これらの魚はヒカリボヤを食べたのか、それとも単に避けられなかっただけなのだろうか。

 一部の科学者は早くも懸念を抱いている。これほど多くのヒカリボヤが海中にいれば、その死骸が分解されていく過程で大量の酸素が消費され、沿岸にすむ他の海洋生物に危険を及ぼす可能性があるという。

 やはり北西漁業科学センターの生物学者であるローリー・ワイトカンプ氏は、「この辺りでは全く前例がありません。これほどの生息密度に非常に困惑しています」と言う。「誰もが頭を悩ませています」

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