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(Boulder)vol.5 自然界のバランス

  • 2007年8月1日

エコサイクルの輪で共存

曇り空と晴天

 地球上のあらゆる動きが引き金となって天候は動き始め、一定の地域で一定の時間に顕著な感情を表すことがあります。その動きさえも、前述の森のサイクルのように自然を潤滑に動かしバランスをとっている流れだと思います。そのように大昔から営まれてきた変化、変動が現在に至るまでの均衡を保ち、それらの中で生活する生物が適応、順応しながら生きながらえてきています。

 人が物事を考え解釈する時に、主語が「人間(自分たち)」となる場合が多いのではないでしょうか。「我々」という主語が使われる場合、それは「人間たち」という使われ方が少なくありません。息とし栄えるもの全てが、微生物から巨大な動物、樹木や森に至るまで、与えられた環境下でエコサイクルの輪の中で共存しているという認識を持つべき時代に来ているのではないでしょうか。そして、自然があきらめることなく「我々」に伝えようとしている訓戒を聞き理解し、行動に移る時は今なのだと思います。

 微妙なバンラスで保たれている自然。それぞれが、それぞれの存在の意味を持って存在しています。我々も我々の存在の意味をしっかりと理解して古代からの当たり前の自然の一部としての役割を見つめなおしてはどうでしょう。

街路樹

 アンバランスに思われている近年の気象現象は異常気象とか温暖化現象という表現で騒がれていますが、自然の立場から見てみると騒ぐべきものなのでしょうか。人間が崩し形状を変えた地形や、大気中に撒き散らしたものや以前は少量だけあったものが多量な状態になって起こっているアンバランスを、折れた枝で空いてしまったスペースを埋めてバンラスをとるように、地球が調整をしているだけなのだろうと思います。しかしながら、その調整が完了する時に、人類が生き残りえるスペースが残されているのかどうかということだけは、我々には分らないのでしょう。

 大地を削れば水の流れが変わり、風の流れも変わります。土壌の質が変わればバクテリアや小動物や昆虫類が変わり、それに従ってそれらを捕食する虫や鳥、動物も変化していくでしょう。人間が古代から恐れ敬ってきた自然に対する畏怖心は、自分たちはその一部であるという無意識の、それでいて強い認識の元に築かれた感情だと思います。そしてそれは自己防衛、生存、種の保存本能と繋がり、環境・自然と「協調」して共存することが最善であると見なして生きてきた中での一つの感情だと思います。文明が進み物事が便利になる一方で、我々は自分たちの置かれている命の位置を忘れかけているような気がしてなりません。


小池清通

■ 筆者紹介
小池清通…写真家。
コロラド在住25年、ロッキーの自然を撮り続け、自らもLOHASなライフスタイルを実践している。アメリカ人に引けをとらない体格だが、繊細な心の持ち主で、食に関する思いも深い。
今年春、日本で個展が開催された。
http://www.usa-japan.com/nature/


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