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Vol.23 日本の伝統美が息づく「秩父銘仙」
企画コーディネーター/横川峰生さん

  • 2012年12月1日
企画コーディネーター/横川峰生さん

企画コーディネーター/横川峰生さん

Profile
1973年埼玉県生まれ。1995年日本大学文理学部卒業。6年間印刷会社へ勤務し、主に広告代理店のお客様を担当。美術館や劇団のグッズ開発などにも関わる。印刷物以外にもインターネットコンテンツの製作、社内システムの構築などに関わる。2001年フリーに。印刷物やネットコンテンツの製作を柱に、グッズ・ノベルティ類の製作をオプションとして継続しつつ、大手システム会社と共同で印刷発注のシステム開発や現場コンサルなどのプロジェクトにも関わる。2010年頃より出身地である埼玉県秩父の織物文化にたまたま出会ったことから、商品開発やPRに関わるようになる。現在、タイムカプセル代表。

日本の伝統美が息づく「秩父銘仙」 都心から約70kmの距離にある埼玉県秩父は、四方を山に囲まれ、東京湾へと流れ込む荒川の上流に位置している街。そこには大正から昭和にかけて当時のオシャレ敏感女子たちの普段着やおしゃれ着として絶大な人気を博した着物「秩父銘仙」という織物文化が…。
 今回ご紹介する横川峰生さんは、企業などの広報ツールを作る仕事をされていて、あることがきっかけで出身地・秩父の織物文化を再認識し、そして深く携わることに。その織物文化「銘仙」とはどんなものなのでしょう。


秩父の織物文化につながった

秩父銘仙の着物姿の女性たち
秩父銘仙の着物姿の女性たち
 横川さんの元々の仕事は、企業などの広報ツールを作るということ。企画部分から相談に乗り、必要なものが何かを見極め、不必要なものは作らないという根本的なところからスタートします。「作ること」ありきで「伝えること」が後回しになっているということがよくあるので、飾りすぎず、その内面にあるストーリー(物語)、ヒストリー(歴史)、フィロソフィー(哲学)の3点をしっかりと理解することを最も大事にしているという横川さん。
 「“伝えること”を行うには、その物事のルーツのようなものを、まず自分が理解しないことには何も始まらない。場合によってはその思いを込めるために製品開発までお手伝いさせていただいています」


花をモチーフにした秩父銘仙のデザイン

花をモチーフにした秩父銘仙のデザイン
花をモチーフにした秩父銘仙のデザイン
 ある時、挨拶用の手ぬぐいを作りたいという要望を受け、「まずは都内にある染工場へ行き、お話を伺っていました。東京の染め方は注染という染め方で手ぬぐいの染め方としては一般的なものです。しかし、この注染という技法は大胆な絵柄を染めることには向いていますが、細かい絵柄を染めることは難しいのです。そんな中でふと秩父にも染めの文化があったことを思い出しました。埼玉の秩父は私の出身地です。秩父の捺染(なっせん)という染め方は、細かなデザインや色使いの自由度が幅広く対応でき、応用が効きます」

 秩父の染め文化のルーツは大正から昭和にかけて流行した秩父銘仙。銘仙とは平織りの絹織物で、普段着として広く流通していました。銘仙の柄はすべて当時の秩父の自然の花や風景をモチーフにして生まれました。銘仙の大柄で鮮やかな柄を可能にしたのが、この捺染の技。北関東には銘仙の生産地がいくつかありますが、その中でも秩父銘仙の生産出荷量は、生産地として常にトップを争っていたようです。
 秩父銘仙は「ほぐし織り」という、縦糸を仮織りした状態で染め、一旦解したあとにもう一度織り上げるという技法で、単純な縞模様や文様絣の表現が中心だったデザインから、植物や動物を取り入れたものなど、大柄で大胆なデザインを表現していました。「ほぐし織り」は見る角度によって色合いが変わるという独特の風合いもあり、魅力の一つです。

 横川さんが一番注目したのはそのデザイン性でした。銘仙が一番盛んに作られていたのは昭和初期の頃。残されていた写真資料を整理し、現代でも通用すると思われるデザインをピックアップすることから初めました。


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