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第30回 極地建築家/村上祐資さん
宇宙より遠い南極…極地の暮らし方

  • 2014年7月11日
極地建築家/村上祐資さん

極地建築家/村上祐資さん

Profile
1978年生まれ。極地建築家。第50次日本南極地域観測隊・越冬隊員(2008-10)。日本火星協会・フィールドマネージャー。防災士。南極や宇宙など、厳しい環境のなかで培われる『美しい暮らしかた・極地建築』を探しに、13ヶ月間にわたり日本の南極観測基地〈昭和基地〉でミッションスペシャリストとして地球物理観測に従事し、〈エベレストB.C.(2010)〉〈シシャパンマB.C.(2011)〉〈富士山測候所(2010,11,12)〉など多くのエクスペディションに参加。2004年にはJAXA筑波宇宙センター〈閉鎖環境適応訓練施設〉で行われた閉鎖実験に参加し、現在はNASA/ハワイ大学が計画する〈HI-SEAS(マウナロア火山、2014-15,15-16)〉ミッション、および米Mars Societyが計画する〈Mars Arctic 365(北極デヴォン島、2015-16)〉ミッションの二つの国際疑似火星居住実験のクルー選考に、最終候補者として残っている。宇宙のための野菜工場プロジェクト《ASTRO FARMER》、子どものためのワークショップ《秘密基地ヲ作ロウ。》を主宰。主な美術作品に《MISSION G : Sensing The Earth (ICC、2009-10)》《d.d.d.(ASTUKOBAROUH、2013)》《雪の御堂(雪堂美術館、2014)》など。ウェブサイト:http://www.fieldnote.net/

 

 極地建築という名称で、人間と建物の係わり方を研究している村上祐資さん。宇宙など極限環境での建物や生活についてリサーチを続ける村上さんの夢は、月面に基地を建てること。とてつもなく壮大な夢だが、そのヒントが南極にあるのではないかと南極へ。その後エベレストのベースキャンプや富士山測候所でも生活経験を重ね、いよいよ極地での建築設計構想に取り掛かろうとしている。極地の生活とは…

 

宇宙より遠い南極へ

極地建築とはあまり耳慣れない言葉ですが、南極に行こうと思ったのはいつ頃からですか?

南極・昭和基地の日の出
南極・昭和基地の日の出
 人間と建物の関係性をテーマに研究していますが、僕が訪れた南極などの極地では、その関係性が強く、自分を鎧わずに生きていけません。建物もすぐ朽ち果てます。山小屋を例にとると、人間が夏に来て、風通しを良くするだけで、建物は息を吹き返し、人間が住まなくなった山小屋は2〜3年でボロボロになります。極地の建物と人間は、お互い持ちつ持たれつの関係にある。だから、そこへ行くことで人間の本質が見えてきます。厳しい環境のなかにこそ、美しい暮らしかたがある。その本質が知りたいと思っているんです。
 大学で建築を学ぶようになって、同級生や先輩たちがこぞって賞賛し真似しようとする建築作品は、僕にとってあまり魅力のあるものに映らず、建築雑誌の中に並ぶ流行の建築作品の写真を眺めても、その中に「生きるという行為」を見出すことが難しかった。高校生時代に友人たちと共に時間を過ごした薄汚れたテントの方が、よっぽど建築らしい力強さを持っているじゃないかと思いました。

 

バイオスフィア2(撮影:村上祐資) バイオスフィア2(撮影:村上祐資)  そんな違和感を覚えながら過ごしていた僕の大学生活を一変させたのは、何気なく手に取ったSDのバックナンバー(SD0011 特集:ヒューマン・センター・デザインの可能性、鹿島出版会)の中にあった、ジョン・P・アレンのインタビュー記事でした。彼はアリゾナの砂漠で行ったバイオスフィア2プロジェクトのリーダーで、その記事の中でプロジェクトの経緯や、生きるという行為に対する彼の哲学を語っていました。ジョン・P・アレンとの出会いが、僕を極地建築へと導いてくれました。
 バイオスフィア2は、1990年代初めにアメリカで行われた、ガラスのドームのなかに、海や砂漠や熱帯雨林などの、地球にある自然環境を全部押しこんで、そこで男女8人が生活するという2年間続いたプロジェクトです。

 バイオスフィア2が頭にあるためか、どうしても極地に1年以上はいたい、という思いがありました。それくらいのスパンを設定してようやく、人間の心理状態の紆余曲折が記録できるのではあるまいかと。極限環境に身を投じることで、自分がどう変わっていくのだろうか、あるいは、自分はどこまで堪えられるのか。それが知りたかったのです。
 僕は月へ行きたいんですよ。人類が月へ行くためには、どうしたらいいか。そう考えたときに、僕にできることは建築なので、月面に基地を作ることだろうと。そしてそのためには月の生活と同じように基地に命を預けて生きていく経験を積むことが、僕自身に必要だろうと。だからまず南極経由して、そこから宇宙へ行こうと思うようになりました。

 

第50次隊として南極に行かれましたが、思い立ってすぐに行けたのですか。

マイナス38度、南極での村上さん
マイナス38度、南極での村上さん
ブリザードの光景
ブリザードの光景
 いやあ、4年掛かりました。建築の研究を名目にして行かせてもらえるのか、という問題もありましたし。国立極地研究所が派遣者の選定や研究計画を決めていますが、選んでもらうために、いろんなシンポジウムに顔を出しては自分の研究をプレゼンしてまわり、選ばれるために何でも身に着けようと、自主トレと称して重機の免許も取得したりして。

 南極へ派遣される前、宇宙飛行士の向井千秋さんとお話しする機会があり、そのとき、「宇宙より南極のほうが遠いからね」と面白いことを言われました。最初、「えっ?」となりました。普通の感覚なら、その逆ですよね。どうしてかと聞いたところ、緊急事態が起こったからすぐに帰還しなさいと地上から指令を出されれば、宇宙ステーションからは40分もあれば帰れるよ、と。でも、南極へ一旦行ってしまったら、翌年船が来るまで帰れない。万一、レスキューが必要になりセスナを呼ぼうにも、極夜のあいだは無理だし、日があってもブリザードが吹き荒んでいたりして、下手したら、3か月も待たなければいけない。だから、南極で生活することの困難さのレベルは異次元の域であると話されました。

 

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