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第29回 女性起業家/温井和佳奈さん
途上国女性のデザイン力を生きるチカラへ

  • 2013年11月29日
女性起業家/ 温井和佳奈さん

女性起業家/温井和佳奈さん

Profile
東京都生まれ。大妻女子短期大学国文学科およびボストン大学国際関係学部卒業。証券会社勤務を経て1998年「女性起業家コンテスト」にて第3位となり株式会社ティスを設立。Webデザイナーやディレクターをまとめるプロデューサーを12年経験。当時、学生から社会人になった社員が入社7年目にWebデザイナーとしてグランプリを受賞。2009年9月に「アジア女性の夢をカタチにする」株式会社ブルーミング・ライフを設立し、アジア女性が夢をかなえながら経済的自立を実現できる事業を開始。2010年ドリーム・ガールズ・プロジェクト発足、2012年8月に同組織をNPO法人化しデザイナー育成やデザインを通じたビジネスを創出できる女性リーダーたちの育成を目指す。

 

 「人生ミッションはアジア女性の夢をかなえること」それが温井和佳奈さんの夢。途上国女性の自立に興味のある温井さんは何年かかけて途上国を訪ねていた。2009年、カンボジアは意外にも目覚ましい経済発展をしていた。そんな時、まるでショーウィンドウのようなガラス張りの部屋で、女性たちが番号札をつけていた。「別に知らなかったわけではない。でも実際にその光景をみるとショックだった。女性は売り物じゃない。途上国で女性の地位を上げるためには、経済的に自立する女性のリーダたちが必要だと強く感じた」という。

 

バブル時代と途上国への想い

途上国女性の自立に興味を持つようになったのは何か理由がありますか?

カンボジア、アンコールワットの日の出
カンボジア、アンコールワットの日の出
カンボジアの家族 4人二階建ての家。一階のキッチンは壁がない
カンボジアの家族 4人二階建ての家。一階のキッチンは壁がない
 私は子供時代、内気な女の子でした。封建的な父は「俺がカラスの頭を白だといったら『はい、そうです』と言え」という豪傑。ある日、母と私がある約束をしていたのですが、その約束は果たされることがなかったのです。なぜなら父がそれに反対をしたからで、私は母に「ママには自分の意志というものがないの?」と怒りにまかせて言うと、母は「パパがダメだといったらだめなのよ。ごめんね」と泣いてしまったのです。幼いながら私は女性の生き方というものを考えさせられました。父に従う母と途上国女性が少し重なったのかもしれません。

 男性に頼る生き方は、貧困が加わると大きな差を生む。そんな想いがあった私は、お金を稼いでから途上国の仕事をやりたいと思っていました。でもまずは留学をしたかった。父の話せない英語を話せるようになりたい。門限のある家から出たい。ならば、自分で稼ぐしかないと証券会社に入社しました。

 私が短大を卒業した頃、日本はバブルまっただ中で、銀座ではおじいちゃんがよく屋台でワインを売りに来ていました。その時のワイン1本の金額は高いもので200万円。毎日何十万、時に一晩で100万円も私たち証券レディにごちそうしてくれるようなお客さんもいました。ワンレン、ボディコンの服がはやり扇子をもってお立ち台で踊る女性たち。とにかく何かやれば右肩あがりでお金はどんどん入ってくる時代で、この時代のおかげで私は、留学資金を自分で作ることができました。そして、私はこれが社会なのだと錯覚していました。

 

憧れの留学と会社設立

証券会社時代に得た資金で留学されたのですか?

工場ワーカーの人たちはこんなトラックで通勤
工場ワーカーの人たちはこんなトラックで通勤
カンボジア、タプロム遺跡。みんなで未来に向かって
カンボジア、タプロム遺跡。みんなで未来に向かって
 渡米した瞬間、憧れていたアメリカは思ったよりもはるかに地味でした。その1ヶ月後に日本でバブルがはじけ、もしあの時、出発していなかったら私の資金はバブルと共に消えていたでしょう。

 そして国際関係学を専攻し卒業間際に行ったボストンでの就職フォーラムで驚きました。入りたかった国連や世界銀行は最低でも3カ国語以上話せなくてはダメ。当時は日本には目立ったNPOがあまりなかったように思います。私にとってのチョイスは海外青年協力隊か世銀/国連でした。

 剣道三段の私としては体力には自信があったものの、頭がバブルだった私は起業を安易にとらえて28歳で会社を設立しました。第四の情報インフラとなり得るインターネットが日本に入ってきたばかりでした。これを仕事にしたら稼げる、きっと途上国支援にも役に立つのでは?そんな気がしてWeb構築会社を設立しました。一時は儲かったもののバブル後の日本での起業は甘くはありませんでした。40を過ぎた頃、私は会社の資金繰りに追われていて、もう、人生でやりたかったことや夢の実現など考える暇もなく、そんな時、経営の恩師に言われたのです。

 「君は一体、何がしたいんだ? 君にはビジョンというものがないのか?」 「あります。でも今は資金繰りで精一杯です。ビジョンだけでは食べていけませんから。1つでも多くの利益のでる仕事が必要なんです」「このままお金を追いかけたら君は失敗する。社会の利益が先だ。次に自分がやるべき事業であるかどうか。そして会社の利益だ」「はい?自分の会社がつぶれそうなのに、その順番ですか?」「そうだ。ビジョンを実現しながら必ず稼げる。でも順番は忘れるな」

 そうか。やりたいことと稼ぐ仕事は別と思っていた私は、この時、今まで見えなかった道が見えた気がしました。「夢への道は存在する」カンボジアの女性たちも私と同じだ。日々に追われて、夢への道が見えていない。そこで私は決意したのです。「必ずカンボジアに戻る」と。

 

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