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第28回 女性狂言師/三宅藤九郎さん
「日本の笑いの心」で、世界の架け橋に

  • 2013年4月18日
女性狂言師/ 三宅藤九郎さん

女性狂言師/三宅藤九郎さん

Profile
和泉流十九世宗家の次女。3歳で初舞台。大曲「奈須與市語」を12歳、「三番叟」を14歳で披く。15歳で祖父である人間国宝故・九世三宅藤九郎の指名を受け、三宅藤九郎の名跡を継承。17歳で姉・和泉淳子の史上初女性狂言師誕生記念公演と同時に十世三宅藤九郎襲名披露公演を国立能楽堂でなす。文部大臣より感謝状を受ける。
国内公演のほか、近年は文化庁委嘱事業や「三宅藤九郎の狂言出張授業」を展開し、小中学生のこころの教育にも精力的な活動を行なっている。海外公演や国際シンポジウムでは自ら英語での狂言解説・ワークショップを行う。海外公演は13カ国30数都市に及ぶ。2012年にはノースダコタ州立大学芸術学部より招聘、客員アーティストとして英語による狂言の指導ならびに公演の実施・演出・監督を行う。

 

 女性狂言師・三宅藤九郎さんは、狂言の国内公演のみならず、海外公演および英語での狂言解説・ワークショップを行うなどグローバルに活躍されています。国境も超えて観る人とコミュニケートできる狂言とは……早速伺ってみましょう。

 

「日本の笑いの心」・・・狂言とは?

狂言とは、そもそもどういうものなのでしょうか?

「末広かり」太郎冠者を演じる三宅藤九郎さん
「末広かり」太郎冠者を演じる三宅藤九郎さん
 狂言は室町時代に生まれ、言葉(セリフ)と仕草(所作)によって「日本の笑いの心」を伝え続けてきた芸能です。日本にはほかにも能や歌舞伎といった伝統芸能がありますが、その中で唯一、純粋な喜劇が狂言なのです。けれどもただ単に面白おかしいお話、というわけではなく、600年の伝統は、人間なら誰しもが持ち、かつ共感できる喜怒哀楽をはじめとした、本当に豊かな心を受け継いできた「笑いの芸術」なのです。

 伝統芸能ですから、昔から変わらぬ「型」という約束事を大切に守って伝えられています。ただし型と心の両方がそろって、初めて「芸」になるのだと教えられました。表現には決まった型があって、その型は歴史や国境も超えて観る人とコミュニケートできるいわば「共通言語」なのですが、みんながみんな同じ型を実践しても、逆に同じことをするからこそかもしれません、人それぞれの個性や心がちゃんとあらわれて違って見える。深いなあと思いますし、やはりどんな時でも心は隠せないのだなと思います。

 現在、狂言の流儀は二つ、大蔵流と和泉流です。

 

インド公演の舞台チェックをする弟の和泉元彌宗家
インド公演の舞台チェックをする弟の和泉元彌宗家
 和泉流は今から575年前に京都・山科で興りました。7代目の宗家までは京都に住んで宮中の御用を足しながら近衛家の庇護を受けて活躍していました。江戸時代に入ると尾張藩徳川家のお抱えとなり、今の愛知県名古屋市に100石の碌とお姫屋敷を拝領して、約260年間は尾張と京都を行き来して活動していたといいます。

 明治維新を迎えると、廃藩置県・東京遷都・・・と、歴史の教科書で見たことのある単語は、その時代に生きていた狂言師に大きな衝撃と変化を与えました。藩がなくなれば、藩の庇護もなくなります。とはいえ藩主が新しい都、東京へ居を移すのに際しては、抱えられていた各流の宗家も東京へ移ったといわれています。和泉流も16代目の宗家からは東京に移り、藩の庇護を受けるのではなく、広く多くのお客様に観ていただく芸能へと発展したのです。現在は20世宗家和泉元彌(弟にあたります)を中心に東京をはじめ全国各地・世界各国で和泉流の狂言をご覧いただいています。

 

 

弟さんは、20世宗家の和泉元彌さんですが、三宅藤九郎とは・・・?

 

12 歳、語りの大曲「奈須與市語」を披く
12歳、語りの大曲「奈須與市語」を披く
 私は3人兄弟で、弟は20世宗家和泉元彌、姉は史上初女性狂言師和泉淳子。私もかつては和泉祥子として舞台に立っていました。3歳で初舞台を踏み、姉とともに男性と変わらない修行をさせてもらうことができました。先代宗家の「男性、女性という前に一人の人間として、人間狂言師として舞台に立ちなさい。女性であってもきちんと修行をすればできる」という信念が、まだ幼い自分たちに大きな道を拓いてくれたことに、心から感謝しています。14歳の時に祖父である九世三宅藤九郎の指名を受けて、十世三宅藤九郎の名跡を継承しました。

 三宅藤九郎家は、加賀藩前田家のお抱えで和泉流の職分家(弟子家)筆頭とされる家格を持ち、代々名人上手が輩出されてきた…となかなかの重圧を感じさせる家柄です(笑)。

 当時中学校3年生でしたが、さまざまなインタビューやご質問に「自分が狂言師としてやるべきこと、芸を極めていくことは名前が何であっても変わりがないことなので、特別なプレッシャーは感じません」と答えていましたし、その気持ちは今も変わりません。もちろん、代々続いてきた家を守る、という責任と覚悟は一狂言師としての芸に対する思いとはまた別のものがあることもわかっていましたが、狂言師にとって、一番大切なのは何か?そこが揺らがなければ、他のことはどんなに大変であっても、なんとかなると。この楽観的なところも、狂言によって養われたのだと思っています。

 

 

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