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ダーウィンに学ぶ「イノベーションの鉄則」4箇条

  • 2017年4月26日
  • ライフハッカー[日本版]


Inc.:チャールズ・ダーウィンが進化のアイデアを思いついたと信じている人は多いのではないでしょうか。でも、それは間違いです。実際は、彼が登場する前から多くの人が進化について考えていて、数多くの説が提唱されていました。たとえば、ジャン=バティスト・ラマルクは、1801年に進化論に関する本を出版しています。1859年に『種の起源』を書いたダーウィンは、単に有効な仮説を初めて提唱した人物にすぎません。

最近では、ダーウィンの説が予期せぬ分野で存在感を放っています。影響力が大きい医学分野だけでなく、物流からエンジニアリングに至るまで、ありとあらゆるところで、ダーウィンの功績に基づくアルゴリズムが使用されているのです。Pedro Domingos氏は、著書『The Master Algorithm』において、ダーウィンの説は人工知能にも大きく貢献していると記しています。

ダーウィンは間違いなく、人類史上もっとも影響力のある科学者の1人です。『種の起源』から150年以上たった今もなお、彼の説ほど普及していて欠かせない科学的ツールはないのですから。それに、彼の功績はそれだけではありません。彼のイノベーションプロセスから、私たちは多くのことを学べるのです。

1. 探求の価値


イノベーションについて考えるとき、アジリティや起業を思い浮かべる人が多いでしょう。野心のある若者がスタートアップに参加し、ヒット作を生み出すべく、独自のやり方を反復します。あまりお金がかからない早い段階で失敗し、そこから教訓を得て、お金が続くうちにうまく行くビジネスモデルを思いつくことが目標です。それでもうまく行かなければ、別のスタートアップに参加して再挑戦する。そんな姿でしょう。

ダーウィンは、まったく異なる道を歩みました。あまりぱっとしない学生ながら、地質学と生物学への情熱を抱いていた彼は、博物学者として1831年に英国船ビーグル号に乗船し、南米と大西洋を5年かけて探求する旅に出ました。彼が画期的なアイデアを思いついたのは、その航海中のことです。

それは、地質学的な発見から始まりました。山々の高いところに帯状の貝殻を見つけたのです。その光景は、当時彼が考えていた「世界は昔からこの状態だったのではなく、何百万年もかけてこうなったのだ」という説を裏付けるものでした。今ではあたり前のこのアイデアも、19世紀初頭には急進的と考えられていました。

さらに彼を惹きつけたのは、驚くほどの生命の多様性でした。英国から出たことがなかった彼にとって、陸塊、小島、環礁ごとにまったく異なる種の植物や動物が生息していることは大きな驚きでした。このときの体験が、何よりも彼の説に貢献していることは間違いありません。


2. イノベーションとは、組み合わせである


ビーグル号での長い航海は、ダーウィンにとって読書の時間でもありました。特に影響を受けたのが、Charles Lyell著『Principles of Geology』でした。そこに記されていた新説が、山の上の貝殻を見つけたダーウィンの解釈を助けたのです。

英国に帰国後、彼はThomas Malthusによるエッセーに出会います。それは、動物の個体数は、それを支える手段よりも速く成長するという内容でした。これが最後のピースとなり、彼の自然選択説が完成しました。

Lyell氏が言うように世界が常に変化していて、Malthusが示したように支える手段よりも常に多くの生命が存在するのだとしたら、常に生存競争が存在するに違いない。そのような状況では、特定の環境に適した特徴を持つ生命のみが生き残り、そうでないものは死滅するのだろう。

つまり、ダーウィンの説は、Lyellの地質学のアイデアとMalthusの個体数に関する見解、そして航海中に彼自身が綿密に書き記した探求の記録の組み合わせなのです。どれか1つでも欠けていたら、ダーウィンの説は誕生しなかったに違いありません。


3. 完璧な説などない


今でこそ科学史上世界でもっとも成功を収めた説として認められていますが、当初はそうではありませんでした。実際、最初の説には重大な過ちがありました。たとえば、子は両親の特徴の平均を引き継ぐという融合遺伝の考えなどです。

これは失笑を誘うほどの間違いで、ダーウィン自身も本を出してすぐに気が付きました。親の特徴がそのように引き継がれるのであれば、時とともに多様化が進むことはなく、誰もが似通ってしまうはずです。自然選択説では多様性によって適応が進むと考えており、融合遺伝の考えは、ダーウィンが考えていたその説を真っ向から否定するものだったのです。

この間違いは大きく、その後ダーウィンは「パンゲン説」などでギャップを埋めようと試みますが、あまりうまくいきませんでした。皮肉にも、無名のオーストリアの司祭、グレーゴール・メンデルが、1865年に遺伝の法則を発見しています。それはダーウィンが『種の起源』を出した直後でしたが、2人がお互いの功績を知ることはありませんでした。


4. 複雑なものは小さな部分ごとに対応する


ダーウィンの時代の暮らしを想像してみると、彼の説が途方もないほどに複雑な話をしていることがわかります。当時の人々は、生まれたところからほんの数キロの範囲で生きていました。男性の3分の1、女性の半分が文字を読めず、読めたとしても、本は高価であり、買える人はほとんどいませんでした。

そんな人々にとって、変化する環境で生き残る無数の生物種のアイデアなど、とうてい想像の範疇を越えていました。ダーウィンがそれをできたのは、彼が未知の世界へと旅立ち、謎を解き明かそうと決め、見つけた生命体を1つ1つ丁寧に書き記していったからなのです。

複雑性理論を研究するSam Arbesman氏は、『Overcomplicated』にこう記しています。私たちが経験する複雑性の多くは、私たち人類自身が生み出したものである。科学技術者で、コンピュータシステムの1つか2つの側面より多くを理解している者はほとんどいない。熱心な弁護士ですら、法典のほんの一部しか習得できないのと同じであると。

Arbesman氏はおそらく、現代の複雑性の問題に、ダーウィンのようにアプローチすることを勧めているのでしょう。生態系の小さな部分をコツコツと書き留めていくことで、いつか完全な説が出現するのです。メンデルの功績とダーウィンの功績が出会ったとき、全体の絵が完成したように。

つまり、イノベーションには探求が必要です。ダーウィンの航海と同じで、出港してみなければ何が見つかるかはわかりません。唯一確実なことがあるとするならば、それは、動かなければ何も学べないということだけなのです。


4 Innovation Lessons From Charles Darwin | Inc.

Greg Satell(訳:堀込泰三)

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