ことしは関東大震災から100年の節目の年。最近は各地で地震災害が相次いでいることもあり、これを機に防災グッズを見直そうと思っている人も多いのではないでしょうか。
では、いったい何を準備すればいいのか?
震災を経験した人たちの声に耳を傾け、いざというときに体と心を守ってくれる、自分にとって「本当に必要なもの」を考えてみませんか?
今回は、被災時に欲しかったものやあって助かったものについて、被災者の方々にお聞きしました。
*こちらで紹介するグッズや商品は、一部の被災者が必要だと感じたものです。被災内容や環境によって、必要になるものは異なります。
▶︎お話を伺ったのはこちらの方々
yuccowさん
被災当時:教員助手として小学校に勤務。住まいのあった宮城県仙台市では、震度6強を記録。夫、高校生だった子どもと住むマンションは半壊。電気は3日間、水道は1週間、ガスは3週間停止。出張中の夫は地震発生から3日目に帰宅。
Sさん
被災当時:住まいのあった熊本県熊本市では、震度6強の揺れを記録。夫、6歳と4歳だった子ども2人と住むアパートは全壊。当時の地震の備えは、非常用持出袋のみ。避難所生活は約1カ月半続き、その後は旧宅近くの賃貸住宅に入居。
しのあや紅里さん
被災当時:看護師として総合病院に勤務。住まいのあった北海道札幌市では、震度6弱の揺れを記録。夫、中学生と小学生だった子ども2人と住む戸建て住宅に被害はなく、水道、ガスも異常なし。地震の備えはほぼなし。
地震被災者が実際に感じたこと
実際に震災を経験しなければわからないことも多数。まずは被災者の声をご紹介しましょう。
「コンビニ弁当ばかりの食事がつらくて...。カセットこんろがあればと何度も思いました」
「数日ぶりの温かい食事で生き返った心地に」
「スマートフォンの充電を忘れたことをどんなに悔やんだか…」
「地震のショックで食べ慣れたものしかのどを通らないんです」
「隣家からもらったクラッカーに助けられました」
「やらなければいけないことが山積みで、ラジオを手回ししているヒマなんてない」
「ラジオから聞こえてきた「一緒にがんばりましょう」ということばに「一人じゃない!」と思えたんです」
被災時、切実に欲しかったもの&あって助かったもの
地震の被害に遭ったとき、リアルに役立ったもの、これがあれば…と痛感したものを、震災経験者にリサーチしました。役立つものは防災グッズだけではないようです。
■カセットこんろ&カセットボンベ
「避難所の食事はカップ麺やコンビニ弁当が多く、ありがたいと思いながらも毎日はさすがにつらくて。カセットこんろがあれば、料理をしたり、レトルト食品を温めることができたのにと、何度も思いました」(Sさん)
■電池式ラジオ
「手回し充電のラジオを持っていたのですが、被災直後は家の中を片づけたり、とにかくやらなければいけないことが多いんです。そんな中、ラジオを手回ししているヒマなどなく、結局一度しか使いませんでした」(yuccowさん)
■食べ慣れたビスケット菓子
「火が使えず、水も限られた被災直後、お隣さんからいただいたクラッカーに本当に助けられたんです。被災時は食べ慣れたものしか体が受けつけないことも分かったので、被災以降は『ビスコ』などを常備」(yuccowさん)
■カッターと油性ペン
「支援物資の入った段ボールを開封したりと、避難所ではカッターが何かと役立ちました。欲しかったのは油性ペン。支給された支援物資に名前を書くとき、いちいち借りていたので、あれば便利だったなと思います」(Sさん)
■パックご飯
「停電時、鍋でご飯を炊いたら大失敗。パックご飯は湯せんもOKなので常備するように」(しのあやさん)
「パックご飯の容器って、お皿代わりにもなるんです。レトルトのおかずを食べるときも食器いらず」(Sさん)
■水 (給水袋)
「地震発生の翌日、近くの公民館で水がもらえることに。でも家には水を入れる容器がペットボトルしかなくて、1時間半並んで手に入れたのはペットボトル2本分の水だけ。とても悔しい思いをしました」(yuccowさん)
■常備薬
「避難所での生活中は4日に1回しか入浴できなくて、子どものアトピーが悪化。とはいえすぐに病院に行くこともできず、皮膚科を受診できたのは地震から2週間後のことでした。常備薬の備えは必須だと痛感」(Sさん)
私も、電池不要の方が便利に思えて手回し式のラジオを用意していましたが、「手回ししているヒマなどない」にハッとしました。
被災後にどのような生活が待っているか、想像することは難しいもの。被災された方の経験をしっかり聞いて、防災グッズの準備に役立てましょう。
イラスト/oyasmur 取材・文/恩田貴子