雑誌『レタスクラブ』で連載中の山崎ナオコーラさんのエッセイ「消えない家事」 をレタスクラブニュースでも特別公開!
家事に仕事に子育てに大忙しの毎日。実体験に基づいた言葉で語られるからこその共感や、生活を楽しむためのヒントが隠されています。
今回は、vol.30「おばさん大活躍」をお届けします。
お正月に子どもと一緒に『アナと雪の女王2』を映画館へ観に行って、それ以来、ディズニー映画にはまって観まくっている。
うちには長らくテレビがなかった。自宅仕事をしているとついテレビを観てしまって集中できないから、と十年ほど前から置かなくなった。でも、映画は観たくなって、数ヶ月前にとうとう購入した。ただ、テレビの線は繋げず、普段はカバーを掛けておきAmazonプライム・ビデオやディズニーデラックス、DVDなどで映画を観ている。
私はこれまでの人生でディズニー映画をほとんど観たことがなかった。それがこの数ヶ月で一挙に観て「なるほど人気が出るはずだ」と夢中になった。
「最近のディズニー映画は、ヒロインが王子様に頼らずに活躍するようになってきている」という噂は数年前から耳にしていた。
確かに、昔のディズニー映画は、性差別や人種差別に繋がるようなところが散見されて、ちょっと引っかかってしまう。現代に近づくにつれ、フェミニズムや多様性が意識された作りになってきて観やすくなる。
意外に面白かったのが、一九五九年公開の『眠れる森の美女』だ。『白雪姫』や『シンデレラ』では、ヒロインは物語の中心にはいても、自分で物語を動かすようなことはしないし、恋愛の際も、「王子様という存在と結婚したら自分の人生は何もかも変わる。だから、恋の相手は王子様という地位に就いている人だったら誰でもいい」と思っている節があって、現代の感覚からすると馴染めない。でも、『眠れる森の美女』の主人公であるオーロラ姫は、夢で会った人に似ているという理由ではあるが、一応、相手を自分で見定めていて、王子様だとは知らない段階で好きになっている。
『眠れる森の美女』で大活躍するのが、三人の妖精、メリーウェザーとフォーナ、そしてフローラだ。三人は、オーロラ姫を赤ちゃんの頃に預かり、森の小屋で協力して育てる。育児や家事をする十六年間は魔法を使わず、ただのおばさんとして過ごす。なんでも魔法を使って生きてきた三人は家事が苦手で、料理も裁縫も掃除も上手くできない。それで、十六歳の誕生日に我慢できなくなって魔法を解禁してケーキやドレスを作ったり部屋をきれいにしたりして、魔法の煙を煙突から上げ、魔女のマレフィセントに見つかってしまう。このシーンがものすごくいい。
『白雪姫』では、七人の小人が大活躍して物語を進めるのだが、こちらでは三人の妖精が推し進める。オーロラ姫のピンチも、王子様より妖精が活躍して救っている。妖精たちがドレスの色を青とピンクに交互に変えることで立ち上がる、ラストのうっとり感は、ディズニー映画屈指の出来栄えだと思う。
「わあ、おばさん大活躍」というのが私の感想だ。三人の妖精が、七人の小人ほど人気が出なかったのは、おばさんに感情移入する文化がなかったからなんじゃないかな、と思う。
最近の作品、『マレフィセント』『マレフィセント2』は、悪役であるマレフィセントがアンジェリーナ・ジョリー演じる主人公として魅力たっぷりに描かれた画期的な佳作なのだが、三人の妖精の魅力は下げられてしまっており、そこだけは残念だった。マレフィセントがいわゆる「母親役」になっているので、母親役は何人もいらない、という考えでそうなったのだろうと想像する。でも、母親が何人いたっていいじゃないか、三人の妖精もいい役にしてくれ、「良いおばさん」も魅力的にしてくれ、と私は思ってしまった。また、家事が苦手だからといって育児に向いていないとするのはどうなんだろう、家事をしない素敵な親はいるだろう、とも思った。
私もおばさんだ。おばさんに活躍の機会を、そして多様なおばさんを描いてもらいたい。
<レタスクラブ’20 6月号より>
文=山崎ナオコーラ イラスト=ちえちひろ デザイン/monostore