社会の変化が大きい今、未来を生きる子どもたちにはどんな力が必要とされるのでしょう。また、子どもたちがすこやかに成長するために、周囲の大人ができることとは?子どもの幸せを願うすべての大人へ、哲学者の小川仁志さん、自然体験の教育効果を研究する青木康太朗さんの特別対談をお届けします。
――子どもたちと接していて、いま、お二人が「課題」と感じることはありますか?
小川:子どもたち、若者の思考力の低下は、課題だと感じますね。インターネットで検索すればパッと答えが出てくる、コピー&ペーストもできる。
最近では生成AIも登場して、テクノロジーの進化はめざましい。自分で考えるより、便利なツールに頼ったほうがラクなのは当然ですよね。
青木:私も、「正解を求める子が多い」ことを危惧しています。正解を覚え、与えられた課題をこなすことは得意でも、自分で考えることは苦手。
学生に「このレポートって、どういう結論を書いたら正解なんですか?」と聞かれることも少なくありません。
小川:学習指導要領が改定されて、最近ようやく「思考力が大事だ」と言われるようになりましたね。でも、これで本質的な思考力が育めるかというと疑問で、私には「思考力っぽいもの」の詰め込みに映ります。
青木:「っぽいこと」になってしまっているのはなぜかというと、実生活に結びついていないからなんですよね。
子どもの学びの過程には大きく3つあって、まず土台となるのが「体験」です。何かを体験すると、必ずそこには驚きや発見、疑問などが生まれます。
その理由を考え、学び、知識を身につけていくのが、第2段階の「概念化」。そして、その学びを生活の場面で生かしていく。これが第3段階の「実践化」です。
ところが、学校の授業は、体験を飛ばして概念化から入ってしまう。そして、学んだことを実践する機会もない。
小川:本当の思考力って、危機にさらされながら必死になってあがいて身につけていくものなんです。自然での体験というのは、そういう意味でもとても大切なものですね。
青木:たとえばキャンプでの野外炊事の定番といえばカレーですが、カレーの作り方を全部教えて作るのであれば、それは単なるカレー作り体験にしかならないんですね。
材料だけを渡して、どうやって作るかを自分たちで考えてみたり、もっと言うと、材料もくじ引きで振り分け、手に入ったものでいかにおいしいカレーを作れるかを試行錯誤することで、カレー作りを通して思考する機会が生まれます。
小川:おもしろいですね! 私だったら、さらにそこでもうひとつ「そもそもカレーってなんだろう?」と問いかけたいですね。カレーの本質ってなんだ、と。
青木:おお…‥! それ、ぜひやってみたいです。それこそ正解のない問いですね。
小川:みんなの頭のなかに「カレー」のイメージがありますからね。肉と野菜を煮て作る、茶色のアレ。だからこそ、その本質はなんだろう?ということですね。
小川:哲学とは、本質を考えて、追求すること。ただ、そのときに大切なのは、自分の常識を超えることなんです。常識を超えた結果、本質にたどり着く。
青木:疑ってみることって、すごく重要ですよね。
小川:日本の教育って、信じることばかりで疑うことを教えないですね。「教科書は正しい」「先生の言うことを信じなさない」。
でも疑うことをしないと、質問が出てこないでしょう。問いを立てる、ということができません。
――みんなが疑ってばかりいたら、物事がスムーズに進まない、なんてことはないですか?
小川:確かに「疑う」という言葉には、ネガティブなイメージもありますね。哲学では、「吟味する」と言います。
なんでもかんでも否定するのではなく、しっかり考えて吟味する。ただ、考えるのには、時間がかかります。
私はよく、「考える」というのは、「環返る」ことだと言っているんです。物事はパッと見ただけではわからない。ぐるぐる回って吟味しなければならない、それが「環」。
そして、気づいたことがあったら通り過ぎないで、振り返ること。ちょっと戻ること。それが「返」。これが本当の考える、だと思うんです。
青木:環返る、いいですね。AI時代に何が大切になるかというと、まさにこの「環返る」力だと思います。
青木:AIやインターネットが出してきた答えを鵜呑みにするのではなく、「本当にこれでいいのか」と吟味をする。また、どんな課題があるかと気づいて、AIに指示をする。これは人間にしかできないことです。
小川:でも、親も子どもも忙しくて、ぐるぐる吟味する時間も、立ち止まって振り返る時間もないのが現状ですね。
私は、そろそろ価値転換が必要だと思っています。「忙しいけれど、考える時間もとろう」というスタンスでは、一生考える時間はできない(笑)。
むしろ、考えること、環返ることが何より大事なんだと思えたら、優先順位が変わりますよね。
価値転換のために必要なのは、体験です。体験すれば、みんなわかる。考えるのは楽しいことだ、役にたつことだと思える体験をすれば、親子ともに優先順位が変わります。
青木:そうですね。親子で自然体験をしてみると、子どもに「これは何?」と聞かれるシーンがたくさんあると思います。
好奇心がくすぐられ、「なんだろう?」と考えて、探究していく。この過程が、実は学びのプロセスとしてすごく大事です。
小川:18世紀の哲学者、ジャン=ジャック・ルソーは、『エミール』と題した教育論のなかで、子どもは自然と体験のなかでどう生きるかを学ぶことが大事だ、と述べています。
すでにルソーの時代から、それが難しくなる兆しがあったのでしょう。
テクノロジーが発達し、生産性至上主義になっている現代では、より一層自然のなかでの学びが軽視されてしまっている。問題解決力、生きる力が育みづらくなっています。
青木:保育園、幼稚園までは、子どもたちは遊びを通して学びます。言葉にしても、時間や数の概念にしても、遊びや体験のなかで自然と学んでいきますね。
ところが小学校に上がると、途端に教科書での教育がすべてになってしまう。習い事や塾で忙しくて、放課後も休日もないような子どもたちも少なくありません。
小川:そういう意味では、日常が非日常になっている、とも言えますね。
小川:本来は自然体験なんて言わなくても、日頃の遊びが自然体験になったらいいし、哲学対話なんて言わなくても、近所の大人とあれこれ問答する時間があったらいい。
でもいまや、自然体験、哲学対話を「非日常」なものとして設定しないと味わえなくなってしまっています。
青木:意図的に場を設けないといけなくなってしまいましたね。
小川:日常ってつまり、ノーマルということでしょう? ノーマルがなくなったら、それは歪みが生じて当然ですね。
子どもが育つためには、自然と触れ合ったり、「これってどういうことだろう?」と考えたりする時間が必要で、それが日常であるべきだ、ということに立ち返る必要がありますね。
今日はおもしろいことに、「考えることが大事」という僕と、「体験が大事」という青木先生の二人の対話。それでひらめいたのですが、子どもという言葉に、「考動も」という字を当ててみるのはどうでしょう。考えること、動くこと、両方とも大事。
青木:ふふふ、いいですね。子どもは「考動も」、大人も「考動も」ですね。
(つづく)
小川仁志(おがわ・ひとし)●哲学者。山口大学国際総合科学部教授。京都大学法学部卒業後、社会人生活中に名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。徳山工業高等専門学校准教授、米プリンストン大学客員研究員を経て現職。『子どもテツガク』など著書多数。
青木康太朗(あおき・こうたろう)●國學院大学人間開発学部子ども支援学科准教授。大阪体育大学大学院修士課程修了後、北翔大学生涯スポーツ学部准教授、国立青少年教育振興機 青少年教育研究センター研究員等を経て現職。子どもの成長のための理論と実践を研究する。
取材・文/浦上藍子 撮影/瀬津貴裕(biswa.) ヘア&メイク/山下光理