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Vol.161 終了したばかりのツアーですごく実感したこと

  • 2014年12月11日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 ゴスペラーズは、“ハモれメロス”と題して、9月から11月までかけて全国をツアーしてきました。今回は古今東西の名曲を歌って、ポップスの歴史を演劇仕立てで紹介するというステージなんですが、客席を見ると親子2世代で来てくださった方も少なくなくて。僕らのライブを観に来てくださるのは、基本的には20代から40代くらいの方が多いと思うのですが、その方たちが、お子さんや親御さんと一緒に来てくださっている印象です。つまり、僕らの親世代の方もけっこういらっしゃったということですね。その方々の前で、このツアーで初めて歌った、あるいは曲自体を初めて知ったというような60年代の曲を歌っていると、その親世代のお客さんがしっかり歌詞も覚えていて、うっとりウキウキしながら聴いてくださっているということがありました。そのうっとりウキウキしている感覚というのは、例えば僕らの世代が「ロビンソン」を聴いたときと変わらないだろうし、あるいはいま20代半ばのゴスペラーズ・ファンが「永遠に」という曲を聴いたときの感覚とも変わらないだろうと思うんです。鍵しかも、その60代の人のなかのキラキラした感覚が今では色あせてしまっているかと言えば、決してそんなことはない。つまり、気持ちがウキウキするということについては、世代によって鍵の種類が違っているとしても、鍵穴があり、ドアがあるという意味において同じだということだと思うんです。同年代でも鍵の種類は違ったりするわけなので、世代間での違いというのは思っているよりも小さいかもしれない。そのことを、今回のツアーで本当に実感しました。

 そう思って自分を振り返ってみると、10歳のときの自分、20歳のときの自分、30歳のときの自分は、それぞれ違う部分も確かにあると思いますが根本は変わらないなあと思うんです。「三つ子の魂百まで」という話ではないですが、何にワクワクするか、どんなことがうれしいのか、どういうことを目にすると無邪気になるのか、そういったことというのは変わらないんですよね。

 ということは、20年経ったら、自分は今のまま20歳年をとるということですよね。多少のことには動じなくなってるかもしれないし、知識も増えているかもしれない。仕事上の高い技術も身につけているかもしれないし、家族が増えているかもしれない。それでも、自分は別人にはならないんですよ。そそっかしい人はそそっかしいままなんです(笑)。もちろん、多少は落ち着き度合いが増えるかもしれないけど、でもみんな一様に落ち着いていくわけだから、相対的にはそそっかしい人はずっとそそっかしいんですよ。朝寝坊する人は、朝寝坊しても大丈夫なように工夫して人に迷惑をかけることは減るかもしれないけど、でも朝寝坊はやっぱりするんです。

 ここで、前回の話につながるんですが、自分が目指している“あの人は成功した人だ”と思っている人たちのイメージが今の自分とかけ離れてしまっている場合には危機感を持ったほうがいいと思うんです。というのも、自分が成功したら“成功した人”たちと同じ場所に立ち、その場で生きることが自分の現実になるわけですけど、その場所にいるのは今の自分と変わらない自分なのですから。

 もちろん、その場所に行くのにはある種の飛躍があります。それは時間の経過であったり経済状況であったり、あるいは知名度であったり、いろいろだと思うんですが、それにしてもその場所が自分が今立っているところと地続きに見えていないと、成功しても、というか成功することによってケガをすることになるんじゃないかなと思うんです。で、一人だとそうなるとした場合に、じゃあグループだったらどうなんだ?という話になりますよね。グループにおいては、一人ひとりに違いがあるということは当然で、その違いの有り様も変化していきます。それを、そのグループの構成メンバーがお互いに共有できるグループが強いんじゃないかなあと思いますね。

 いずれにしても、つまり個人でもグループでも、夢というものを自分が今居るところと離れたところに置くのはかまわないと思うんです。なんと言っても、それは夢であるわけだから。ただ、それが今の自分と断絶してしまっているのはちょっと危険に感じます。夢の場所に自分をはめ込んだときに、その自分から糸を垂らしてみたらちゃんと今の自分に通じるかどうかということをちゃんと意識していないと、成功しても“こんなはずじゃなかった”ということになるんじゃないでしょうか。

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