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Vol.107 宇宙開発の最先端で行われていることから、自分たちの生活を考える

  • 2012年10月4日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 今回もVol.105の内容を受けての話です。Vol.105で、「世の中にはいろいろある。その違いを認めよう」という前提が失われているのに、ひとつになろうという圧力だけがあるのがいまの状況なのではないかと書きました。その背景にあるのは、「ひとつにまとめることで効率が上がる、そしてそれは善いことだ」という考え方だと思いますが、そういう考え方に触れるたびに僕が思い出すのは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の方に伺った話です。

宇宙開発の最先端で行われていることから、自分たちの生活を考える 彼らはある課題に関して、明らかに成果が出るであろうという解決策には興味を向けないんだそうです。なぜなら、そういうことは他の誰かが必ずやるから。彼らが取り組むのは、成果が出るかどうか、あるいはどんな成果が出るのか、よくわからないものだ、と。しかもそういう事柄10コくらいに同時並行で手をつけて、そのうちのひとつかふたつ成果をあげればそれはかなりの成果である、という考え方で研究開発を進めているそうです。宇宙開発という分野において何かブレイクスルーを果たすためには、そういうスタンスが必須であるということでした。

 その考え方、あるいは作業の進め方は、一見すると、ずいぶん効率が悪いように思えます。限られた予算の中で10コもの項目に同時並行的に取り組むよりも、どれかひとつに絞ったほうが人的資源も予算も多く投入できるじゃないかと、誰もが考えるでしょう。二兎追う者は…、ということわざもありますからね。確かに、答えがあらかじめわかっている場合、結果が決まっている場合には、その通りだと思います。でも、効率というのは、そのことが行われる環境がまったく変化しないという前提があって初めて成り立つ理屈なんですよね。でも、現実の暮らしのなかでは、たとえばある二人の人間の関係性が精神的にも身体的にもまったく変化しないということは有り得ないし、自然との付き合いにおいては、それこそ想定外のことが起こるものだと考えるべきであることはいまや誰でもすぐに納得できるでしょう。
 とすれば、予想できる範囲で最大限効率化することに専念し過ぎて予想外のことが起こったときにいろいろと台無しになる社会と、不便と共存しつつ“なんだかよくわからないこと”に積極的に取り組んでいくような“遊び”を残して予想外のことに対処していく社会と、どちらが住みやすいと言えるでしょうか。もっと端的に言えば、どっちの社会に住みたいですか。

 宇宙開発についての話というと、なんだか自分たちの暮らしとはまったく縁遠い世界のように感じますが、逆にそういう人類の英知が結集したようなところでどういうことが行われているかということが、じつは僕たちの暮らしがどれくらい安定しているのか、それほどでもないのかということを象徴しているのかもしれません。

 ところで、効率を重視する発想というのは、ひらたく言えば、「そのほうが楽でしょ」ということだと思うのですが、個人的には“楽なのが、そんなにいいのかな?”と思います。いまの世の中は、北山風に言えば、脳の効率化が非常に進んでいる社会という感じがしていて、それはつまり「脳をこういうふうに刺激すれば、こういうふうになるでしょ」ということがすごく細かく正確にプログラミングされているような感じがするということです。おかげで、僕らは気持ちのいいことやおいしいものをずいぶん手軽に、安価で手に入れられるようになっているわけですが、とは言ってもみんながみんなすごく幸せになっているわけでもないですよね。この話、ネズミの脳(ドーパミン神経系)に電極を射し込んで、スイッチを押すと電流が流れるようにしておく、という実験を連想することもないではありません。スイッチを一度押してしまうと、ネズミはそのスイッチを疲れ果てるまで押し続けます。なかには、食欲や睡魔も忘れて押し続け、そのまま死んでしまったものもいたそうです。それでも、それは良い/悪いという単純な話でもないと僕は思っています。そういう社会で満足を得ている人もたくさんいるわけですから。要は、いまの世の中はずいぶんと入り組んでいるということだと思いますが、だからこそ「ぼんやり考える」ということが有効なんじゃないかなというふうにも思います。


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