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Vol.67 365日のシンプルライフ

  • 2014年9月11日

 フィンランド発の映画「365日のシンプルライフ」を見に行きました。失恋を経験した若者ペトリ・ルーッカイネンが、自分の一人暮らしのアパートを見回してみて、あまりのモノの多さにある日愕然とし、貸し倉庫にすべての持ち物を預けようと決断します。そして本当に必要なものだけ、1日ひとつずつ部屋に持って帰り、それを1年続ける、というドキュメンタリー。

 5000〜2万点ほどあったという彼の持ち物。1年経っても部屋に残るのは365個。でも人生に本当に必要なのは、そもそも「モノ」なのか。自分は何によって生かされているんだろう。そんなことを考えさせられる映画です。

365日のシンプルライフ

 僕も今年は、聴かなくなったCDやレコード、楽器などを数多く整理するなど、モノを減らすという作業を加速させていて、シンプルに暮らす生活がちょうど気になっていたところでした。

 日本では断捨離という言葉がかなり一般化しましたが、それを実行する「ダンシャリアン」だけでなく、最小限の持ち物だけで暮らす人たちを最近は「ミニマリスト」と呼んだりもします。皆、お金をなるべくかけず、限られた良質なモノを長く使い、中古やレンタル品をうまく使いこなしています。

 そもそもフィンランドには、昔からあまりモノに執着しないものの、どんなモノでもこだわって長く使い続ける人が多いのだそうです。とくに夏に過ごす田舎のサマーハウスでは、使わなくなった家具や食器を再利用するのだとか。従来、質素に暮らすことを良しとしていた日本人と、ライフスタイル的には共通することも多いのでは。

 さて、ペトリは裸で冬の凍てつく街を駆け抜け、文字通り何もないところからスタートしました。僕が想像していたのは、「あれもこれも足りない」と感じながらモノが増えていくことに対する喜びや待ち遠しさだったのですが、映画に登場したのは、日数を重ねれば重ねるほど、果たしてこんなにモノが必要なのかという、主人公の「いらだち」でした。

 100個目が終わった頃、101個目は生活必需品ではなく、生活を楽しむためのものだとペトリは断言しています。僕の101個目はなんだろう、と考えたくなります。実際に1日ひとつずつ運ぶのは大変なので、何日分かをまとめて、友人たちの手も借りて、貸し倉庫から家まで運びます。さらに心配して協力してくれる母や祖母、弟。だんだん主人公が「モノ」ではなく「ヒト」に囲まれて生活していることが分かってきます。誰もが自分のことと照らし合わせて、考えるはず。

 自分の部屋と自分の気持ちは、繋がっています。仕事に対する姿勢と、デスクの上の状態もそうかもしれません。いろんなことがこんがらがってきたら、僕は考えを整理する前に、まず部屋のなかを整頓します。ふーっと気持ちを落ち着けて、シンプルな答えをひとつ見つける。そんな365日。ペトリはなにもない1日目の部屋で、すでに大きな答えを見つけていたような気がします。素っ裸だったけれど(笑)。




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