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Vol.59 ある精肉店のはなし

  • 2014年5月22日

 大阪の貝塚市で、牛の屠畜から卸し、小売りまでを行う「北出精肉店」のドキュメンタリー「ある精肉店のはなし」を見てきました。制作に大きく関わっている「ポレポレ東中野」という映画館で半年に及ぶロングラン、その最終日に滑り込みました。監督は纐纈(はなぶさ)あやさん。前作「祝の島」は、シチリア環境映画祭で最優秀賞を受賞しています。

 海外の食肉工場や大規模農場を扱ったドキュメンタリー「いのちの食べ方」はすでに見ているのですが、より近いこの日本の街で、古くから食肉の現場に携わっている方たちの姿こそ、こうして見たいと思いました。

ある精肉店のはなし

 この映画のなかで、「と場」での牛の解体のシーンは、冒頭とラストのふたつに集約されていました。映画館の中からも張りつめた緊張感のようなものが伝わってきて、僕もじっと画面を見つめていました。

 最初に、北出家の長男・新司さんが、先の尖ったハンマーを牛の眉間めがけて振り下ろします。このときなるべく一発で仕留めてあげるのが、ここまで育った牛へのせめてもの愛なのだそうです。牛が気絶しているあいだにその眉間から脊髄にワイヤーを通し、痛みを感じない状態にさせてから頸動脈を切断、「放血」を行います。

 そこから鮮度のあるうちに、北出家の皆さんで牛を解体していきます。とても大変な作業には間違いないのですが、その職人としての手さばきが美しく、何度も息をのみました。そうやって見とれる前に、まず200リットルの舟(箱)2杯ぶんの内蔵がドボンと出て来たときは、違う意味で息をのみましたが。

 どうしても食べ物に使えない内蔵の脂は石鹸にするなど、牛の部位は無駄なくすべて使い切っているそうです。そして最初に剥いだ皮は、次男の昭さんの手によって「岸和田だんじり祭」の太鼓の皮に。塩漬け、毛抜き、裁断など10個の工程は、ひとつひとつが気の遠くなるような作業。僕としては、食のことだけでなく楽器の成り立ちまで垣間みれたことが、嬉しかったです。

 ロングラン最終日のこの日、監督をはじめ制作に関わった方々のアフタートークがありました。そのなかで「この映画はファミリードラマ、ある意味サザエさんのような、飽きない面白さがある」という制作統括の方の言葉が、印象的でした。たしかにここで映し出されているのは、北出家のありのままの日常。それでも、仕事に徹する姿となにげない家族の風景、そのふたつのコントラストがあまりにも魅力的で、あっという間に2時間が過ぎてしまうのです。

 もうひとつこの映画の重要な点は、江戸時代の身分制度に端を発した差別・被差別の歴史についても触れていること。かつては「職業」で人やその人格を否定する、異常な偏見があったことについては、知らない人も多いかもしれません。僕も、深く考えさせられました。

 生きとし生けるもの、やはり他の命を、その命が天寿を全うする前に奪わなければ生きてはいけず、それは相手が植物でも同じこと。まだまだ続く飽食の時代だからこそ、他者の「死」から目をそらさずに向き合って働く人の姿を、これからも探していきたいと思います。




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