公開から半月以上経過して、やっと『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』と向き合う準備ができた気がします。
時間がかかった理由は、捕鯨やイルカの追い込み漁について学ぶために資料を読み漁り、自分なりの考えをまとめる必要があったから。
というのも、公開前日本向けプロモーションが品川のAQUA PARKで開催され、イルカショーを見たジェームズ・キャメロン監督が立腹していたというニュースを受けて、もうこの話題を避けて通ることはできないし、環境保全ではなく、エンタメに関わる人間側からも考えを発信しないといけないと思ったんです。
そして私はひとつの考えに辿り着いたんですよね。「日本はもっとイルカ漁や捕鯨について話したほうがいいと思う」って。
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の大きなテーマは“環境”で、特に反捕鯨に対するキャメロン監督の強い姿勢が窺い知れます。クジラに似たパンドラの生き物タルカンを狩るシーンでは、善悪のポジションがはっきりと描かれています。仕留められたタルカンは、脳から天然物質を抽出されて残りはすべて破棄されます。
これは日本の捕鯨や調査捕鯨のやり方とは異なるもの。かつて、鯨油を得るためだけにアメリカなどがクジラを乱獲していた頃への自戒になっていると考えられるでしょう。しかし、大きなくくりで捉えると、反捕鯨のメッセージであることに変わりありません。
本作には、イルカに似た「イル」という海洋生物も登場します。イルは海辺に住むメトケイナ族にとって、移動手段であり家族のような存在。大海原を自由に泳ぐ一方で、メトケイナ族が呼べばやってきてくれる、理想の関係を築いています。
プロモーションにイルカショーが選ばれた理由はわかりませんが、おそらくこのメトケイナ族とイルの描かれ方が、水族館のイルカとトレーナーの関係を彷彿させたのだと思います。
しかし、キャメロン監督が描いていたのは、自然に生きる動物と人間の理想の関係であり、飼育されたイルカと人間の関係は、作品に込められたメッセージとは相反するものだったと考えられます。
ここ10年ほど、環境保全や動物愛護の活動家を中心に、動物の解放や権利を積極的に見直す機会が増えてきました。動物愛護の活動そのものの歴史は長く、近代的な動物愛護精神の走りとなったのは1800年の「牛いじめ防止法案」だと言われています。
その後、イルカと人間がコミュニケーションを図る実験をきっかけに、『わんぱくフリッパー』(1963年)というイルカが大活躍する映画やドラマが制作されたり(その時のドルフィントレーナーのリック・オバリーが、後に手段を選ばないイルカ保護の活動家になったり)、クジラの声を録音した環境CDが爆発的に売れて捕鯨反対運動が活発化したりといった流れがありました。
そして2009年には和歌山県にある人口3,000人ほどの小さな町、太地町で行なわれているイルカの追い込み漁を取り上げたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』が公開されます。
その描き方が一方的に印象操作されているのは置いておくとして、作品としてみればスリリングで面白く、かつ人々に強烈な印象を与えたため、世界中でイルカやクジラを食べる日本=敵の図式が形成されていきました。
イルカショーはイルカの追い込み漁とは無関係だと思われるかもしれませんが、『ザ・コーヴ』の舞台となった太地町は、イルカの追い込み漁で捕獲した野生のイルカを水族館に販売している数少ない地域のひとつでもあります。
広大な海を自由に泳ぐイルカをプールに入れて、芸を仕込むことは “虐待”だと主張する活動家も多く、水族館の存在意義に反するという視点からイルカショーの廃止を求める声は日増しに高まっています。
2014年には、World Association of Zoos and Aquariums(世界動物園水族館協会、WAZA)が日本動物園水族館協会(JAZA)に対して、太地町からイルカを買い続けるならWAZAから除名すると発表し、2015年にはJAZAはWAZAへの残留を決定(=イルカの購入を停止)しました。
というのも、動物園や水族館は、「種の保存」「教育・環境教育」「調査・研究」「リクリエーション」という4つの役割をになっており、特に「種の保存」は世界中の動物園・水族館との連携/協力が必要不可欠なのです。
WAZAから除名されるというのは、連携と協力が得られなくなることを意味しています。日本は、水族館よりも動物園の数が多いため、WAZAの提示した条件をのんで残留するしかなかったはずです。
そして、JAZAのメンバーである水族館は太地町からイルカを購入せずに、水族館で繁殖させる技術を磨いて環境を整えなければならなくなりました。とはいえ、水族館におけるイルカの繁殖は難しい。つまり、できない水族館はいずれイルカの飼育が難しくなるということを意味しています。
一連の流れを受け、社会情勢が変化してきていることもあり、都内で初めてイルカショーをおこなった水族館として有名なしながわ水族館は令和9年に行われるリニューアルでイルカショーを終了することが決定。最近では、世界大手旅行サイトのエクスペディアも、イルカショーを組み込んだツアーの販売中止を決めています。
ジェームズ・キャメロン監督はヴィーガンとして知られています。日本では、完全菜食主義という意味合いで語られることが多いのですが、海外におけるヴィーガンは、動物愛護精神に裏打ちされていることが多く、動物由来のものは全て生活に取り入れない、徹底したものでもあります。
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』はキャメロン監督が構想してから13年かけて作った作品だと言われています。それは海を舞台にする物語を作るだけの映像技術が必要だったからこそ待った時間だそう。
13年前といえば、『ザ・コーヴ』で世界中が反捕鯨・反イルカの追い込み漁に沸き立っていた頃です。
『ザ・コーヴ』は日本でも上映されましたが、国内における反対運動が発生し、上映中止になっています。確かに、日本や太地町に住む人たちへのリスペクトはないし、見ていて複雑な思いを抱きます。
できるだけ感情的にならずにインタビューに応じる日本人官僚の姿は、そのポーカーフェイスっぷりがハリウッドにおける昔ながらのアジア人悪役を彷彿させることもあり、上映中止を求めたくなるのも理解できます。
日本人からしてみたら、『ザ・コーヴ』の後に日本人監督が作った『ビハインド・ザ・コーヴ 〜捕鯨問題の謎に迫る〜』(八木景子監督)と『おクジラさま ふたつの正義の物語』(佐々木芽生監督)のほうがよっぽど太地町に生きる人たちの真の姿や日本の歴史を伝えていると思うし、反捕鯨の活動家やフェアな目を持って事実を知りたい第三者をとらえていると思います。
でも、どんなにフェアでいい作品だったとしても、両作に『ザ・コーヴ』が人々に与えたインパクトを消すほどの威力は、残念ながらないでしょう。新たな視点を与えてくれて、冷静さを取り戻させてくれるだけです。
日本は『ザ・コーヴ』に対して大々的に反論してこなかったし、SNSを使って世論に訴えかけることもしなかった。まるでSNSの炎上問題が鎮火するのを待つように黙ったり、「日本の文化だ」と言って掘り下げずにきてしまったのではないでしょうか。
『ザ・コーヴ』公開後に太地町に押しかけてきていた外国人活動家は、東日本大震災でめっきり減りました。過激な活動をしていた外国人は入国できなくなりましたし、2014年、15年のJAZAのWAZA残留決定で一区切りついたようにも思われます。
ところが今でも、イルカの追い込み漁への反対活動は続いているし、活動に賛同する人たちの数は増えています。その理由のひとつに、NETFLIXの環境ドキュメンタリーがあります。
『SEASPIRACY 偽りのサステイナブル漁業』では捕鯨や太地町のイルカの追い込み漁について触れられており『ザ・コーヴ』とは異なるインパクトを人々に与えました。
日本国内では大きく取り上げられていなくても、目的も手段も変化しながら、日本の海洋生物を取り巻く状況はSNS上でかつてないほど活発にやり取りされています。
2021年のコロナ禍、太地町の定置網に混獲されたミンククジラが「ホープ」と名付けられ、その動向が連日ネットにアップされました。漁師らはどうにかミンククジラを逃そうと努力しましたが、最終的に捕獲されることに。
この様子は海外でも報道され、再び太地町が注目を浴びましたが、日本でこの話題を取り上げた報道機関はほとんどなかったと思います。
自分たちの国が古くからやっていることに反対されたり、バッシングを耳にしたりするのは辛いです。でも、自分たちの本意にかかわらず、世界でどう見られているのか、どんなことが言われているのかを理解するのは大事なんじゃないかと思うんです。
話を『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』に戻します。イルカショーを見たジェームズ・キャメロン監督は、前述のリック・オバリーが率いるDolphin Projectをはじめとする活動家からバッシングを受けました。しばし沈黙を守っていましたが、約1週間後に関係者へ向けて以下のようなメールを出しています。
「ステージに上がったときに、それがイルカショーだと気づいた。すでにライトがあたっていて、ファンが拍手を送ってくれていたんだ。あの時、『ここのイルカたちがこのショーに出ることを承諾しているのだよね? 』といったようなことを話したと思う」
キャメロン監督のメールの内容は、「キャメロン監督は内心はらわたが煮えくりかえっていた」や「怒っていた」といった表現を加えられて紹介されている記事も散見されました。
監督は影響力のあるヴィーガンとしてドキュメンタリーの制作などに率先して関わってきた上に、今回のイベントについて反省の言葉を伝えているので、意図せずイルカショーを見てしまった人として同情されているようです。
Image: (C) 2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.私は、この記事で捕鯨(イルカも鯨類なのでひとまとめに捕鯨と書きます)に対して賛成も反対も言いません。調べれば調べるほど、日本と世界が求める妥協点が見つからないし、どちらの言い分もちゃんと理解して考えたいからです。
ただ、SDGsが世界の標準になりつつある今、時代を色濃く映し出す映画はより一層環境などをテーマにした作品を出してくるだろうと確信しています。そして、自分たちの考えが世界でどう見られているのかを個々人が把握したり、世界的な流れは理解しておく必要があるんじゃないか、と思っています。
イルカやクジラの問題は、想像以上に根深く複雑です。でも、イルカやクジラのことはもっと話し合わないといけない時期に来ているんじゃないかな、とキャメロン監督の一件を受けて感じました。
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は全国の映画館で上映中です。
参考文献:
「快楽としての動物保護『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ」(信岡朝子著)
「イルカと日本人」(中村羊一郎著)
「イルカ漁は残酷か」(伴野準一著)
「動物園を考える 日本と世界の違いを超えて」(佐渡友陽一著)
「イルカを食べちゃダメですか?〜科学者の追い込み漁体験記〜」(関口雄祐著)
「「動物の権利」運動の正体」(佐々木正明著)
「Animal Liberation」(Peter Singer著)
「おクジラさま ふたつの正義の物語」(佐々木芽生著)
「クジラコンプレックス 捕鯨裁判の勝者はだれか」(石井敦・真田康弘著)
「「イルカは特別な動物である」はどこまで本当か」(ジャスティン・グレッグ著 芦屋雄高訳)
「動物の値段」(白輪剛史著)
『ザ・コーヴ』(ルイ・シホヨス監督)
『おクジラさま ふたつの正義の物語』(佐々木芽生監督)
『ビハインド・ザ・コーヴ〜捕鯨問題の謎に迫る〜』(八木景子監督)
『SEASPIRACY 偽りのサステナブル漁業』(アリ・タブリジ監督)
『COWSPIRACY サステナビリティの秘密』(キップ・アンデルセン、キーガン・クーン)
Source: NHK, The Guardian, BBC, Dolphin Project, Facebook, News Rebeat, Yahoo!