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11年ぶり全区間で運転再開!「只見線」各駅の「喜びの声」と「興味深い変化」をレポート

  • 2022年10月29日
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〜〜JR只見線 各駅と沿線スポット情報(福島県)〜〜

 

2011(平成23)年7月の豪雨災害の影響で、福島県の一部区間が不通となっていたJR只見線。復旧工事が完了し、10月1日に運転再開を果たした。

 

本サイトでは前回、被害を受けた橋梁の工事中と運転再開後の姿を中心に紹介したが、今回は再開を祝う駅を中心にレポートしたい。やはり線路が結ばれることによる効果は大きかったようだ。

*取材は2019(令和元)5月31日、6月1日、2022(令和4)10月15日に行いました。

 

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【再開後の駅めぐり①】お祝いムード一色の只見駅と只見町

只見町は福島県の南会津郡の南西部に位置し、北および西は新潟県に接する。日本有数の豪雪地帯とされ、年間降雪量は平均で1233cm(1991〜2020年の平均)にも達する。町内には田子倉ダム、只見ダムという水力発電用の大きなダムがあり、発電した電気は、東北や首都圏へ供給されている。人口は3854人(2022年9月1日現在)で、産業別就業者の割合は建設業、製造業、農業を主体にしている。

 

豊かな自然に囲まれる只見地域は2014(平成26)年6月にユネスコエコパークに指定された。ユネスコエコパークとは、自然保護と地域の人々の生活とが両立し持続的な発展を目指しているモデル地域で、日本国内では10か所が指定されている。只見地域のブナの天然林は国内最大規模とされ、豪雪地帯が育んだ自然と文化が共存する地域として、世界的にも貴重と評価された。

 

そうした只見町は町の名前が付いた只見線への思い入れが強い。運転再開後に訪れてみると、一部区間が不通だった頃とは様子がだいぶ変わり、活気が感じられた。

↑駅前通りには大きな横断幕がかかる。朝の会津若松駅始発列車が到着するころには駅前駐車場も満杯に

 

駅前通りには「祝 JR只見線全線運転再開!」の横断幕がかかる。只見駅周辺には「全線運転再開」の幟(のぼり)が数多く立ち、華やかな印象に変わっていた。

 

福島県の会津川口駅、さらに会津若松駅からの直通列車の再開が大きいのだろう。列車の到着時間が近づくと駅前の駐車場も満車になっていた。以前は、駅舎内に只見町の観光問い合わせ窓口「只見町インフォメーションセンター」があり観光客に対応していたのだが、全線運転再開に合わせて移転していた。

↑只見駅前には「おかえり10.1」の案内や幟が立つ。再開日まであと何日と表示したデジタルは再開から何日目かに切り替えられた(右上)

 

「只見町インフォメーションセンター」は、10月1日の運転再開日から、駅のすぐ目の前へ移っていた。前は駅舎内ということで、やや手狭な印象だったが、全面ガラス張りの明るい建物となり広くなっていた。ちなみに只見町ではすでに観光協会が解散しており、その業務は只見町インフォメーションセンターに引き継がれている。

 

「只見町インフォメーションセンター」の菅家(かんけ)智則さんは、「運転再開後はそれまでとは大違い。いらっしゃる方が増えて只見も変わりました」と明るい表情で話す。話をうかがう間にも、問い合わせ電話が鳴りやまず、多くの観光客が入館する。只見の観光案内だけでなく、センター内では地場産品や、新鮮な採れたて野菜なども販売しているので、かなり忙しそうだった。

 

「鉄道ファンの方には只見線グッスが人気ですよ」とのこと。只見線グッズのコーナーが設けられ、そこには只見線キャラクターの「キハちゃん」のイラストが掲げられている。ポストカードやカレンダー、気動車のイラスト入り菓子などの商品が置かれ、鉄道好きならばつい手に取りたくなるようなものも多かった。

↑移転した「只見町インフォメーションセンター」。センターには一休みできるコーナーや駐車場もある。右下は只見線グッズコーナー

 

会津若松駅発の始発列車は朝9時7分着で、この時間は同センターが混みがちだ。この列車が9時30分に小出駅へ向けて出てしまうと少し落ち着くのだが、週末の臨時列車(不定期)が走る日は同センターに立ち寄る人も多く、只見駅の周辺は賑わいを見せる(臨時列車は只見駅12時36分・もしくは40分着、折返し会津若松駅行きは13時40分発)。

 

開通したばかりに加えて紅葉時期ということもあり、列車で訪れる人に加え、車を利用する観光客も増えていて、只見の町はかなり賑わっていた。

 

【再開後の駅めぐり②】会津蒲生駅では黄色いハンカチで歓迎

只見駅の賑わいをあとに、復旧した区間の各駅をまわってみた。只見駅と会津川口駅の間には6つの駅があり、只見町内の駅が2駅、東隣の金山町内の駅が残り4駅となる。各駅では住民の熱い思いが伝わるような飾り付けが見られた。本稿では駅近くのおすすめ施設や、只見線の撮影スポットにも注目した。

 

まずは只見駅の隣りの駅、会津蒲生駅(あいづがもうえき)から。

↑会津蒲生駅前には黄色いハンカチがはためく。住民の思いが伝わるようだ。なお同駅周辺は道が狭く車進入禁止なので注意

 

写真を見るとおり、駅前広場には黄色いハンカチの飾り付けが行われ、穏やかな風にハンカチが揺れていた。ここで念のため黄色いハンカチのいわれを少し。黄色いハンカチは、山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』にちなんだものだろう。映画は1977(昭和52)年10月公開で、「自分を待っていてくれるなら、家の前に黄色いハンカチを揚げておいて欲しい」という主人公の思いに応え、妻が家の前に黄色いハンカチを揚げるというあらすじ。映画では何十枚もの黄色いハンカチが風にたなびくシーンが感動的だった。

 

会津蒲生駅の駅前で風にたなびく黄色いハンカチ。ようやく再開された列車でやってきた人たちを祝福する住民の熱い思いが感じられた。

 

会津蒲生駅と次の会津塩沢駅の間の撮影ポイント情報を一つ。両駅間には第八只見川橋梁がかかる。国道252号の寄岩橋から遠望できて美しいのだが、橋上での駐車はもちろん禁止、また橋の上は横幅が狭く歩道もなく、さらに大型車も頻繁に通行するので、長居の撮影はおすすめできない。

 

【再開後の駅めぐり③】感謝の言葉が目立った会津塩沢駅

国道252号の寄岩橋の近くに次の会津塩沢駅がある。会津蒲生駅と同じくホーム一つの小さな駅だが、ホームの目の前には、幟が多く立っていた。そこには赤い丸の中に白い文字で「感謝」そして「只見線全線再開通 塩沢老人会」とある。地元の老人会の会長を中心に、開通する前の工事の期間から長い間、只見線に関わってきた思いと、路線復旧に携わってきたあらゆる人々(鉄道ファンを含め)へ感謝の気持ちに込めたそうだ。

↑会津塩沢駅の前には数多くの幟が立つ。近くの河井継之助記念館紹介の幟の他に「感謝」という文字が入る幟が立つ(左上)

 

駅前の農機具を入れる倉庫の壁には「祝 おかえり只見線 万歳」とあり、下に「塩沢十島住民一同」と大きく掲げられていた。「感謝」「万歳」と、長年この地に住んできた方々のあふれる思いが伝わってくるようだった。

↑会津塩沢駅の目の前の農家の倉庫には「祝 おかえり只見線 万歳」とあった

 

【再開後の駅めぐり④】只見町で注目の観光施設といえば

この会津塩沢駅から徒歩10分ほどの場所に「只見町河井継之助記念館」があり、只見町で最もおすすめの観光施設としてPRしている。

 

河井継之助(かわいつぐのすけ)と言われても、ぴんとこない方も多いと思うので、紹介しておきたい。河井継之助は幕末の越後長岡藩の家老を務めていた人物である。卓越した先見性があり、他藩に先駆け西欧の軍備を積極的に導入した。中でも注目された銃器にガトリング砲が挙げられる。ガトリング砲とは今の機関銃に近い装備で、戊辰戦争のさなか奥羽越列藩同盟に加わった越後長岡藩に相対した官軍を大いに苦しめた。

 

とはいえ、圧倒的な物量を誇る官軍には太刀打ちできず、長岡城は落城し、継之助ほか残る藩兵は会津に落ち延びようとした。しかし、継之助は戦闘中の傷を負い、長岡から峠の八十里越(詳細後述)はしたものの、只見川沿いの集落で治療にあたる。傷の治療むなしく、破傷風のため42歳で、塩沢地区の民家で亡くなった(同民家はダム湖下に水没、今は「河井継之助記念館」内に移築)。

↑只見線の線路のそばに建つ「只見町河井継之助記念館」。継之助の人となりや、この地で亡くなるに至るまでを紹介している。入館料350円

 

河井継之助の一生は小説や映画でも描かれている。筆者は継之助に以前から興味があり、展示内容をじっくり見た。すると、そこに従者の藩士・外山脩造(とやましゅうぞう)に関しての紹介が。この外山脩造は後に衆議院議員、実業家になった人物で、阪神電鉄の初代社長でもあった。幼名は寅太で阪神タイガースの愛称はこの名にあやかったという説がある。継之助は只見で亡くなったが、偉才は後に生きる人々に引き継がれ、新たな時代を創造していったわけである。

↑只見町河井継之助記念館の駐車場前に只見川が流れる。ダムで水位が上がったが、以前はこの川の下に塩沢集落があった

 

【再開後の駅めぐり⑤】会津大塩駅は再開前のほうがきれいだった

会津塩沢駅までは只見町内の駅で、次の会津大塩駅からは金山町へ入る。会津大塩駅でもなかなか興味深い変化があった。下記は列車が不通だったころと、運転再開した後の会津大塩駅の様子だ。待合室はきれいに作り直されていて、ホーム上の白線も引き直されていた。しかし線路内は列車が不通だった時のほうが、雑草が刈り取られてきれいだった。

 

地元には「会津大塩駅をきれいにしたい会」というグループがあり、ボランティアで列車が不通だった時にも、駅の掃除を続けていた。筆者も不通だった時に訪れると、線路端の雑草取りに励む方を見かけたのだが、こうした地元の人たちが駅をきれいに守り続けていたのだろう。

 

しかし、さすがに列車が動き出すと線路内に立ち入って雑草を取るわけにはいかない。そのためこうして、逆に雑草が目立つことになったようだ。

↑会津大塩駅の3年前(左上)と復旧後(右下)。復旧後の待合室はきれいに整備された一方で、不通だったころの方が線路上の雑草が無くきれいに見えた

 

この会津大塩駅の近くには「滝沢天然炭酸水」と「大塩天然炭酸場」と2か所の炭酸泉が涌き出し、井戸も設けられている。近くの住民だけでなく、他県から汲みに訪れる人もいるそうだ。駅近くには滝沢温泉、大塩温泉の宿や共同浴場もあり、「天然サイダー温泉」が楽しめる湯として親しまれている。

 

鉄道ファンには会津大塩駅から約1kmの第七只見川橋梁がおすすめだ。

 

この第七只見川橋梁に平行して四季彩橋が架かっていて、その橋上から鉄橋の撮影ができる。この四季彩橋の下流側に第七只見川橋梁が架かり、また反対の上流方面の眺めも良く、紅葉の名所ともなっている。橋を通る車も少ない。

↑四季彩橋から望む只見線第七只見川橋梁。ちょうど臨時列車が走る。同写真の右側奥の道路上も撮影スポットとして人気

 

【再開後の駅めぐり⑥】会津横田駅も黄色いハンカチの飾り付け

第七只見川橋梁が望める四季彩橋から約1.5kmで会津横田駅へ着く。この駅も他の中間駅と同じホーム一つで、ホーム上に待合室がある造りだ。

↑会津横田駅近くにはかつて鉱山があり貨物輸送に使われた側線が残る。ホーム前には再開を祝した手作りの立て看板が立つ(左上)

 

まずはホームの前に手製の「祝 只見線」「おかえりなさい只見線全線再開通」の立て看板が立つ。さらに集落内には国旗を掲げる柱に、黄色いハンカチが結ばれていた。柱の元には「祝おかえり10.1」の看板と、幟が立ち並ぶ。駅からはコスモスと黄色いハンカチ、背景に青い屋根の家が見える。映画のような風景がそこに再現されていたのだった。

↑会津横田駅近くに建てられた黄色いハンカチ。ちょうどコスモスの花が咲いていた

 

会津横田駅は1963(昭和38)年8月20日に開業した。この開業は只見線の会津川口駅〜只見駅間の延伸開業に合わせたものだった。ところが次の会津越川駅(あいづこすがわえき)の開業は1965(昭和40)年2月1日だった。この時、他に本名駅、会津大塩駅、会津塩沢駅も、合わせて開業している。

 

会津越川駅の入口にはそうした経緯が記された案内板が立てられている。そこには「当時の国鉄に陳情を重ね、昭和40(1965)年2月に新設された請願駅です。会津越川駅の建設費は越川区と金山町で負担して造られました」とあった。住民の願いと資金を出しあって造られた駅だったのだ。

 

会津越川駅のホームの前には全線再開を祝う幟が立てられていた。掃除が行きとどいたホーム上には植物のプランターが並ぶ。越川地区の人たちが、会津越川駅を自分たちの駅と捉えている思いが伝わるようだった。

↑会津越川駅のホームと待合室。駅の入口には只見線と会津越川駅の誕生の経緯を記した案内板が立っている(右上)

 

【只見線を再訪した⑦】迫力の第六只見川橋梁近くの本名駅

会津越川駅周辺までは集落が連なるエリアだが、この先、民家がない地区が続き、只見川沿いを只見線と国道252号が寄り添うように走っていく。第六只見川橋梁を渡れば本名駅(ほんなえき)だ。本名駅では運転再開を祝う幟がホーム前に立てられ、植木がきれいに整えられていた。他の駅に比べればささやかなお祝いに感じられたが、それでも再開を祝す人々の気持ちが十分に感じられた。

↑10月1日に再開した駅のなかで、最も会津川口駅側にある本名駅。ホーム前の植木がきれいに整えられ開通を祝う幟が立てられていた

 

本名駅の近くには第六只見川橋梁が架かる。ここは撮影スポットとしても人気だ。ダムの下とダムの上、両方から撮影ができる。

 

まずダムの下へは駅から徒歩450mほどで、国道252号を渡り川への道を下りて行く。一方、本名ダムのダム上へは徒歩10分ほどだ。ダムの上を旧国道が通るが、やや道幅が狭く車の往来もあるので注意が必要となる。一方、下から見上げる側の道は工事車両と農作業の車が通るぐらいで、道にも余裕があり安心してカメラを構えやすい。とはいえ好天日は午後になると逆光になりがちなので注意したい。

 

 

↑本名ダムの前に架けられた第六只見川橋梁を渡る下り列車。同写真はダム下から撮影したもの、ダム上から撮る人も多い

 

【再開後の駅めぐり⑧】会津川口駅にも立ち寄る人が増加傾向に

10月1日に再開した区間の中で、最も会津若松側の駅となる会津川口駅。こちらは駅舎に「再開!只見線」の幟などがささやかに掲げられるなど、お祝いの様子も静かなものだった。

↑金山町の玄関口でもある会津川口駅。駅前の飾りは再開を祝した幟や垂れ幕(左楕円)を含めて控えめな様子だった

 

とはいえ、駅前の駐車場スペースは満杯だった。駅には公共トイレもあり、全線運転が再開されたことと紅葉時期が重なったこともあって、立ち寄る観光客が多く見かけられた。駅内には金山町観光情報センターもある。週末ということもあり、問い合わせの電話が途切れることなくかかってきていた。

 

【再開後の駅めぐり⑨】この秋、盛況だった臨時列車の運行

運転再開後、只見線には毎週末のように臨時列車が運転されている。この臨時列車の運行は只見線を活気づける一つの要因になっているように見えた。只見線をこれまで走った臨時列車と今後の予定を見ておこう。

 

まず運転再開日の10月1日(土)、2日(日)に企画されたのが団体臨時列車「再会、只見線号」で、DE10形ディーゼル機関車+旧型客車3両で運行された。

 

10月8日(土)〜10日(月祝)、15日(土)・16日(日)、22日(土)・23日(日)にはキハ110系の快速「只見線満喫号」が運行された。また29日(土)・30日(日)にトロッコタイプ(只見線運転時は窓閉め予定)の「風っこ只見線紅葉号」が、キハ48形観光車両「びゅうコースター風っこ」により運転が予定されている。

 

さらに、会津鉄道の観光列車「お座トロ展望列車」も走る。ガラス窓がオープンするトロッコ車両と、展望車両が連結され、通常は週末を中心に会津若松駅〜会津田島駅間を定期的に走っている。この列車が10月7日(金)、14日(金)、21日(金)、28日(金)、11月4日(金)、11日(金)、18日(金)、26日(土)に団体ツアー列車「お座トロ展望列車で行く!只見線秋の旅」として運行されている。会津鉄道は福島県の資本も入る第三セクター経営の鉄道会社で、只見線も上下分離方式(福島県が線路を保有し、JR東日本が車両を走らせる)で再建されたこともあり、福島県のバックアップの色あいが強くなっている。

↑11月26日まで只見線に乗り入れ予定の会津鉄道「お座トロ展望列車」。写真は会津鉄道内を走っている時に撮影したもの

 

ちなみに「只見Shu*Kura」という列車名で、観光列車のキハ40系の「越乃Shu*Kura」が10月22日(土)・23日(日)に小出駅経由で、新潟駅〜只見駅間を走っている。

 

こうした臨時列車は、雪が降り観光のオフシーズンとなる前、ほぼ毎週のように運転されている。定期列車は1日に3往復しか走らない線区なだけに、日中はダイヤに余裕がある。地元としても来春以降は臨時列車に期待したいところだろう。

 

今のところは他社の車両、他エリアを走る車両が〝出張〟してきて走るだけに、将来は定期的に走り、名物となるような観光列車が造れないものだろうか。例えば、2010年代まで走っていた「SL会津只見号」を復活させることができないのだろうか、そのあたりも気になるところだ。

 

【再開後の駅めぐり⑩】車利用の観光客を惹き付けるためには

今は開通景気と紅葉時期のため賑わいをみせる只見線だが、先々どのようにすれば、継続的な誘客が可能となるのか、筆者なりに考えてみた。只見線は〝乗り鉄〟にとっては魅力的な路線であることに違いない。とはいえ、全線を巡るとなると1日必要になる。途中下車して過ごすとなれば、なおさら時間がかかる。臨時列車はどれも賑わっていたが、今後の定期運行が決まっていないだけに、これからが大切なように思われた。

 

只見線沿線を訪れる観光客、撮影に訪れる人はクルマの利用が圧倒的に多いように思われる。とすれば誘客に加えて、現地で物品を購入してもらうことが肝心になるだろう。一つの好例がある。

 

それは只見線の絶景の代表としてPRされることが多いのが第一只見川橋梁である。只見川に架かる橋をゆっくり走る気動車。風がなければ川面が水面鏡となり、列車が写り込んで絵になる。四季折々、晴天日だけでなく、霧の立つ日なども訪れる人が多い。

 

こうした絶景が写せるビューポイント(JRで紹介された絶景ポイント)と遊歩道が整備されており、そこに行く観光客が多い。すぐ近くには「道の駅 尾瀬街道みしま宿」(福島県三島町)があり、週末ともなると駐車場スペースも満杯で物販も好調のようである。

↑第一只見川橋梁の一番低い位置の撮影スポットB地点から撮影したもの。さらに上がったC地点、D地点まで遊歩道が整備される

 

ちなみに第一只見川橋梁のビューポイントはB・C・Dの3カ所ある(Aは遊歩道の入口でビューポイントではない)。道の駅から最短のビューポイントB地点までは徒歩で5分もかからない。Bの上にあるC地点、さらに奥のD地点まで行けば、広大な景色が楽しめる。また、各地点には列車が橋を渡る時間が掲示されていてありがたい。ただし行きは上り坂、帰りは下り坂となるので注意して歩きたい。

 

↑国道252号沿いの「道の駅 尾瀬街道みしま宿」(三島町)。第一只見川橋梁のビューポイントは右奥の山の傾斜部にある

 

↑道の駅にある只見川ビューポイント遊歩道の案内図。Aから入りB、C、Dの順にポイントがある。各場所から写真も掲載される

 

筆者が訪れた時はビューポイントへ向かう人も絶え間なかった。訪れる人は、こうした只見線の絶景を一度はカメラやスマホで撮っておきたいという人ばかり。ただし道の駅のPRサイトなどの記事はあまり分かりやすいとは言えず、少し残念に感じている。

 

只見線には他にも絶景ポイントがあるので、そちらも第一只見川橋梁のように、撮影ポイントを整備すればよいのではないかと思った。

 

少し先になるが2026(令和8)年には只見への新ルートが開通する予定だ。新潟県の三条市と只見町を結ぶ国道289号の県境部が全通する予定になっている。この国道が八十里越(前述の河井継之助が越えた道)とも呼ばれる峠道で、このルートを使うと三条市〜只見町が79分で結ばれる。冬期も通行が可能との情報もあり、新たなルート誕生にも期待したい。

 

【再開後の駅めぐり⑪】実は豪雨災害の後に廃止された駅があった

「平成23年7月新潟・福島豪雨」後、只見線で唯一、営業休止のままとなり、10月1日の全線開通時にも再開しなかった駅がある。田子倉(たごくら)という駅だ。

 

田子倉駅は只見駅〜大白川駅間の駅で、県境となる六十里越の福島県側、只見町内の田子倉湖畔にあった。1971(昭和46)年8月29日に只見駅〜大白川駅間の開通に伴い開業した。

 

利用者が1日に0〜3人だったこともあり、2001(平成13)年12月1日からは3月まで冬期休業となり、普通列車が停まらない臨時駅となっていた。2011年(平成23)年7月30日、豪雨災害の影響を受けたその日に営業休止、後に只見駅〜大白川駅間が復旧したものの、2013(平成25)年3月16日に正式に廃駅となった。

 

旧田子倉駅の入口棟は国道252号に面していたものの、駅のホームは入口を下りた湖畔のスノーシェッドの中にあり、今は入口も閉鎖されホームの様子を見ることはできない。なお、駅の周辺に民家は一軒もない。近くに田子倉無料休憩所があり、ここをベースに奥只見の山々へ登る人も見られるほか、釣り客も訪れる。

↑旧田子倉駅の入口棟の様子。国道252号沿いにあり、この建物から下のホームへ下りていった

 

↑入口を塞ぐネットから中をのぞくと階段などがきれいに残されていた。右にわずかに見える階段から下に降りたようだ

 

もし「平成23年7月新潟・福島豪雨」により路線が不通になることがなかったら、駅はどのような運命をたどっていただろうか。〝秘境駅〟を訪れる人は今も意外に多いし、ユネスコエコパークのベースとしても利用されていたかも知れず、少し残念なところである。

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