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11年ぶりに運転再開!「只見線」の復旧区間を再訪してみた〈前編〉

  • 2022年10月22日
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〜〜JR只見線 復旧工事前後を比較レポート(福島県)〜〜

 

福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶJR只見線。2011(平成23)年7月の豪雨災害の影響で、福島県の一部区間が不通となっていたが、復旧工事がようやく完了し、10月1日に11年ぶりの運転再開を果たした。

 

複数の鉄橋が崩落するなど、大規模な復旧工事が必要となった只見線。工事着工1年後と、運転再開後に再訪し、変わった只見線を比べてみた。観光客の来訪の様子も含め、復旧の悲願を達成した沿線を2回にわたりレポートしたい。

*取材は2019(令和元)5月31日、6月1日、2022(令和4)10月15日に行いました。

 

【関連記事】
夏こそ乗りたい! 秘境を走る「只見線」じっくり探訪記〈その2〉

 

【只見線を再訪した①】満員の列車到着で賑わっていた只見駅

只見線の起点は会津若松市の玄関口、会津若松駅。会津若松市は福島県会津地方の中心都市であり、旧会津藩の城下町としても良く知られている。起点の会津若松駅から終点の小出駅まで、全線135.2kmとその距離は長い。所要時間も4時間半ほどだ。全線を走る列車は1日にわずか3往復といった具合だ。それにもかかわらず只見線は鉄道雑誌などのローカル線の人気投票で、常にベスト3位に入る人気路線となっている。

 

そんな只見線を悲劇が襲った。2011(平成23)年、全線開通40周年のお祝いが行われたわずか数日後の7月26日から30日にかけて「平成23年7月新潟・福島豪雨」により、大きな被害を受けた。一部区間の復旧は果たしたものの、会津川口駅〜只見駅27.6km(営業キロ)間では複数の橋梁が流されるなど被害が大きく、長期間の不通を余儀なくされる。4年にわたる復旧工事が進められ、この10月1日に運行再開となった。

↑会津若松駅発、只見駅9時7分着の〝始発列車〟が到着した。駅のそばの水田ではかかしたちが「お帰り只見線」とお出迎え(上)

 

筆者は復旧してから2週間後の只見駅を訪れた。そして9時7分着、会津若松発〝始発列車〟の到着を待った。この列車は会津若松駅6時8分発だ。

 

1両編成のキハ110系、小出駅行きがホームに入ってくる。見ると車内は立って乗車する人が多いことが分かる。只見駅に到着すると、多くの人たちが下車してきた。乗客は老若男女、先生が付き添う小学生の一団も見られた。運転再開して2週間がたつのに、その乗車率の高さに驚いた。

 

この小出駅行き列車は、只見駅で23分間の休憩時間を取る。この駅で乗務員が交代、乗客たちもホームで、また駅舎の外へ出て一休みしている。このあたりローカル線ならでは、のんびりぶりである。

 

乗客のうち只見駅で下車する人は1割ぐらいだったろうか。次の小出駅行きが16時31分発までなく(まれに臨時列車が走る日も)、また会津若松方面に戻るにしても、次の列車は14時35分(臨時列車運行日は13時40分)といった具合なので、日中に只見の町で過ごそうという人は見かけなかった。

 

出発時間が近づくと列車に戻り、また只見駅から乗車する人も加わり、多くの人たちがそのまま終点の小出駅を目指して行ったのだった。

 

【只見線を再訪した②】只見線の宝物といえば渓谷美と鉄橋

復旧後に全線を通して走る列車3往復の時刻を見ておこう。

 

〈下り〉会津若松駅→小出駅

423D列車:会津若松6時8分発→只見9時7分着・9時30分発→小出10時41分着

427D列車:会津若松13時5分発→只見16時21分着・16時31分発→小出17時47分着

431D列車:会津若松17時00分発→只見19時52分着・20時2分発→小出21時26分着

 

〈上り〉小出駅→会津若松駅

426D列車:小出5時36分発→只見7時1分着・7時11分発→会津若松10時32分着

430D列車:小出13時12分発→只見14時25分着・14時35分発→会津若松17時24分着

434D列車:小出16時12分発→只見17時30分着・18時00分発→会津若松20時55分着

 

ほかに区間限定で運転される列車と、ごく一部の週末に運転される臨時列車が走る。ダイヤを見ると夜間に運転される列車を除き、日中に走る列車は2往復のみで、なかなか利用しづらいというのが現実だ。ちなみに、不通となる前も全線を走る列車は1日に3往復しか走っていなかった。

↑第一只見川橋梁を渡る下り427D列車。会津桧原駅〜会津西方駅間にある橋梁を望む展望台は紅葉期ともなれば大変な人出に

 

あらためて只見線の魅力はと問えば、列車の本数が少なく貴重な体験が楽しめること。また第一只見川橋梁のように、只見川に架かった橋と、周囲の山々が織りなす景観の素晴らしさが挙げられるだろう。第一只見川橋梁は国道252号沿いに展望台が設けられていて、近くにある「道の駅 尾瀬街道みしま宿」から徒歩で5分程度と近い。ただし展望台へは若干、山の上り下りが必要となる。

↑本MAPは只見線の不通区間だった会津川口駅〜只見駅間を中心に紹介。人気の第一只見川橋梁と、第五〜第八橋梁の位置を図示した

 

【只見線を再訪した③】希少車やラッピング車両に注目したい!

ここで只見線を走る車両を紹介しておこう。只見線といえば長年キハ40系が走っていたが、残念ながら2020(令和2)年7月に運用終了となっている。現在走っている車両は以下の2タイプだ。

 

◇キハ110系

↑紅葉期に合わせて10月の連休や週末に運転された「只見線満喫号」。150年前の客車をイメージしたレトロラッピング車両が走った

 

JR東日本を代表する気動車で、只見線を走る車両は新津運輸区に配置される。筆者が訪れた日には、臨時列車(快速「只見線満喫号))の増結用として、「東北デスティネーションキャンペーン」にあわせ「東北のまつり」のレトロラッピングを施した「キハ110系リクライニングシート車」も走っていた。こうした臨時列車の運行時は増結車両に注目したい。

 

◇キハE120形

↑越後須原駅〜魚沼田中駅間を走るキハE120系。同車両は前後2扉が特長となっている。全線復旧後は小出駅まで乗り入れている

 

キハE120形は新津運輸区に配置されていた車両で、郡山総合車両センター会津若松派出所属に配置替え、2020(令和2)年3月14日から只見線で運用を開始した。

 

関東地方の久留里線や水郡線を走るキハE130系と形は似ているが、キハE130系の乗降扉が3扉あるのに対して、キハE120系は2扉で、両側に運転台を持ち、1両での運行も可能となっている。またキハ110系との併結運転も可能だ。製造されたのが8両という希少車両でもある。

 

只見線の全線運転再開に合わせて10月1日から1両のみ(キハE120-2)が「旧国鉄カラー」色のクリーム色と朱色の組み合わせラッピングで走り始めたが、運転開始日の始発列車で運用された時に、只見線内で車両故障のトラブルが起き、立ち往生してしまった。筆者が訪れた日にも残念ながらお目にかかることができなかった。

 

【只見線を再訪した④】只見川はふだん穏やかな川だが

ここからは、只見線と関係が深い只見川の話に触れておきたい。只見川は日本海へ流れ込む阿賀野川(福島県内では阿賀川)の支流にあたる。只見線は会津若松駅から会津坂下までは会津若松の郊外線の趣だが、会津坂本駅からほぼ只見川に沿って走る。只見駅の先、六十里越トンネルへ入るまで8つの橋梁を渡る。

 

戦前に会津宮下駅まで延伸開業していた只見線(当時はまだ「会津線」と呼ばれた)だが、戦後はまず、1956(昭和31)年9月20日に会津川口駅まで延伸。会津川口駅〜只見駅間は、当初は只見川に設けたダム建設用の資材を運ぶための路線として設けられ、1961(昭和36)年までは電源開発株式会社の専用線として貨物輸送が行われた。その後、1963(昭和38)年8月20日に同区間は旅客路線として延伸開業している。全通したのはその8年後で、1971(昭和46)年8月29日、只見駅と新潟県側の大白川駅間が開業し、全線を只見線と呼ぶようになった。

↑只見ダムによってせき止められた只見湖の上流には田子倉ダムがそびえる。このダムの先には巨大な人造湖・田子倉湖が広がる

 

只見線の車窓からも見えるが、只見川は上流にかけて計10のダムが連なっている。上流部のダムはひときわ大きく、田子倉ダム、さらに上流の奥只見ダムは全国屈指の規模とされている。水力発電により生み出された電気は、東北県内、また只見幹線と呼ばれる送電線により首都圏方面へ送られている。つまり、只見川でつくられた電気が広域の電気需給に役立っているわけだ。

 

ダムにより治水も行われ、ふだんは穏やかな只見川を暴れ川にしたのが、2011(平成23)年7月26日から30日にかけて降り続いた「平成23年7月新潟・福島豪雨」だった。その降り方は尋常ではなかった。筆者の従兄弟が、この地方の学校にちょうど赴任していたのだが、当時のことを聞くと、それこそ「バケツをひっくり返した」という表現がふさわしい降り方だったと話している。この時は本当に「降る雨が怖かった」そうだ。1時間に100ミリ前後の雨が降り続き、只見町では72時間の間に最大700mmの降雨を記録している。要は大人の腰近くまで浸かるぐらいの雨が、短時間に降ったのだから、その降り方は想像が付かない。只見川に多く設けられたダムも、この予想外の雨には無力だった。ダムの崩壊を防ぐためにやむなく緊急放水を行うことになる。

 

降水および放水により、急激に水かさを増した只見川の濁流が住宅や水田、そして橋を襲う。只見線では只見川にかかる第五、第六、第七、第八只見川橋梁が崩落し、また冠水して復旧工事が必要となった。

 

今、ふり返れば、雨が降る前から少しずつ放流していればと思うのだが、最近の豪雨災害は予想がまったくつかない。裁判も開かれたが、今の豪雨災害はダム管理者にとっても管理が非常に難しいというのが現実なのだろう。

 

【只見線を再訪した⑤】2018年に復旧工事が始まった

被害を受けてからその後の鉄道会社と自治体の対応は、詳細は省くとして、結論としては復旧した後は福島県が線路を保有し、JR東日本が車両を走らせ上下分離方式で運用されることが決定。復旧費用は約90億円とされ、そのうち3分の2は福島県と会津地方の17市町村、3分の1をJR東日本が負担する。線路の保有・管理費用は毎年約3億円とされ、これらは自治体の負担となる。

 

そうした負担や、今後の管理運営方針がはっきりしたところで、2018(平成30)年6月15日から復旧工事が開始された。

↑被害の軽微なところでは写真のように線路上も走れる油圧ショベルを使っての作業が行われた

 

復旧工事が始まって約1年後に現地を巡ったが、第六只見川橋梁の工事が特に大規模な工事に見受けられた。

 

第六只見川橋梁は、東北電力の本名(ほんな)ダムの下流部に架かっていた。この橋を復旧させるために、ダムの下に強靭な足場を造り、そこに大型クローラークレーンを入れ込んだ。新しい橋脚を造り上げるためだった。川の流れのすぐそばに持ち込まれた重機が動く様子を見ただけでも、難工事になることが容易に想像できたのだった。

↑第六只見川橋梁の復旧工事現場には、写真のような大型クローラークレーンが据え置かれて、橋脚の新設に使われていた

 

【只見線を再訪した⑥】それぞれの橋梁の復旧前後を見比べると

ここからは被害を受けた鉄橋が架かる箇所の、復旧前後の変化を見ていきたい。橋が濁流に飲まれたところでは、なぜ流されたのかが想像できないところもある。それほどまでに水かさが増し、流れが激しかったということなのだろう。

 

ちなみに、2021(令和3)年に只見線の橋梁や諸施設は「只見線鉄道施設群」として土木学会選奨土木遺産に認定されている。日本の土木技術を高めたとして、土木工学の世界でも大切とされているわけだ。

 

まずは第五只見川橋梁(橋長193.28m)から。この橋梁は中央部が曲弦ワーレントラスという構造になっていて、前後はシンプルな形のプレートガーダーで結ばれている。この第五只見川橋梁が架かるところは、川がちょうどカーブしているところで、流れがそのカーブに集中したようで、下流側のプレートガーダー部分が流されてしまった。第五只見川橋梁の復旧費用は約3億円とされているが、被害を受けた4本の橋梁のうち、もっとも少ない費用で復旧することができたとされる。

↑国道252号から望む第五只見川橋梁。穏やかな川面には橋を写しこむ水面鏡が見られた。会津川口駅側の一部分が被害を受けた(右上)

 

【只見線を再訪した⑦】水面上昇を考慮した新第六・七只見川橋梁

本名駅(ほんなえき)〜会津越川駅(あいづこすがわえき)間に架かるのが第六只見川橋梁(橋長169.821m)で、会津横田駅〜会津大塩駅間に架かるのが第七橋梁(橋長164.75m)となる。どちらの橋も迫力があり、渡る列車の車窓からの眺めも素晴らしい。

 

このうち第六只見川橋梁は本名ダムに平行するようにかかり、放流の際にも影響を受けないように、離れて設置され、水面からの高さも確保されていたのだが、それでも被害を受けてしまった。

 

構造は第六、第七只見川橋梁ともに橋げたはプレートガーダーだったが、ボルチモアトラスという構造物(上路式トラス橋とも呼ばれる)が下に付く形をしていた。橋を強化するための構造だったが、水面が上昇した際に流木などが引っ掛かり、さらに当時はより橋脚も川の流れに近かったことも災いした。

↑第六只見川橋梁の架橋工事が進む。正面が本名ダムで手前の高い位置に橋が架かっていたが流されてしまった

 

↑復旧した第六只見川橋梁。川の流れに影響されないように橋脚は両岸の高い位置に設けられた。ちょうど下り列車が通過中

 

第六、第七只見川橋梁ともに流れの影響を受けないように、橋台・橋脚が強化され、また流れが届かない位置に設けられた。橋げたも長く延ばされている。また以前は線路部分の下に構造物が付いたボルチモアトラス(上路式トラス橋)だったが、上部に構造物がある下路式トラス橋に変更されていて、水面上昇に被害を受けにくい構造が採用されている。

 

第六只見川橋梁の工事は、地質条件が想定よりも悪かったなどの悪条件が重なり、工法を再検討するなど困難を極めた。工事の進捗にも影響し、復旧見込みの日程もずれることになった。復旧費用は第六只見川橋梁が約16億円とされる。

↑第七只見川橋梁の復旧工事の模様。橋脚・橋げたを含めすべて除去した後に、新たな橋脚工事から進められた

 

↑第七只見川橋梁を渡る快速「只見線満喫号」。水面が上昇しても影響を受けない下路式トラス橋という構造が使われる

 

この2本の橋梁の再建方法を見ると、水面が上昇し、水圧を受けたとしても、被害が受けにくいような構造および技術が採用されている。素人目に見てもタフな構造に強化されているように感じた。

↑磐越西線の開業当時の古い絵葉書。中央部がボルチモアトラス(上路式トラス橋)で今では国内4箇所のみに残る珍しい構造だ

 

【只見線を再訪した⑧】道路が平行しない場所の復旧工事では

被害を受けた4本の橋の中で予想を上回る復旧費用がかかったのが第八只見川橋梁(橋長371.10m)だった。この区間のみで約25億円がかかったとされている。この橋梁前後は盛り土が崩壊し、また橋梁が冠水した。上部にトラス構造が付く橋だったせいか、橋自体の流出は免れているが、さらなる被害をふせぐために、一部のレールの高さが最大5mにまで引き上げられた。

↑ダム湖の左岸にある第八只見川橋梁の復旧工事の模様。湖面上に重機を積んだ船が浮かぶ様子が見える(左)

 

↑復旧した第八只見川橋梁を遠望する。その先、路盤のかさ上げ工事が行われたようで、その部分が白く見えている

 

被害を受けた橋梁前後の路線距離があり、さらに国道252号の対岸で、線路に平行する道もない。そのため重機の持ち込みが難しく、対岸に船着き場を設けて、そこから船を使って重機を復旧現場に運び込む様子も窺えた。

 

もちろん重機を運ぶような船が当初からあるわけでなく、他所から運んできて組み立てたものだ。川岸での作業、またダム湖の水を放流しての河畔で作業を行うことが必要な時もあり、雨天の作業の際には慎重にならざるをえないような場所だった。ここが最も費用がかかったことも推測できる。

 

【只見線を再訪した⑨】列車が走ってこその駅だと痛感する

今回のレポートは最後に一駅のみ復旧前、運転再開後の姿を見ておこう。田んぼの中にある小さな駅、会津大塩駅の、〝ビフォーアフター〟である。3年前に訪れた時にはホーム一つに小さな待合室らしき建物があったが、中には入れないように板が打ち付けてあった。雑草が生い茂り寂寥感が漂った。運転再開後は、ホーム上の白線がきれいに引かれ、待合室も開放感あふれるきれいな造りになっていた。

 

訪れた時は人がいなかったものの、駅は列車が発着してこそ、駅として成り立つことを物語っていた。

↑列車が走っていない時の会津大塩駅。右は待合室の建物だが、板が打ち付けられて入室できない状態に

 

↑運転再開後の会津大塩駅。塗装し直されたばかりで小さいながらも清潔な装いに。近所の人たちが育てた植物のプランターも見られた

 

復旧した会津川口駅〜只見駅間では全駅を巡ってみた。そこには列車再開を祝う手作りの飾りが多く見られた。地元の人たちの心待ちにしていた思いが込められているようだった。変わる駅の様子、人々の歓迎ぶりや、今後への思いは次週にまたレポートしたい。

 

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