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池波正太郎のファンタジーから数学オリンピックまで—— 歴史小説家が選ぶ「オリンピック」の5冊

  • 2021年6月4日
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毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「オリンピック」。開催か中止か、はたまた延期か。世界を巻き込んだ論争となっていますが、こんな時だからこそ「オリンピック」についてじっくり考えてみませんか?

 

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今年の夏、オリンピック、パラリンピックが開催されるらしい。ほんまかいな、と慣れない大阪弁でツッコミをしたくなるのは、なにもわたしだけではあるまい。

 

わたし個人としてはオリンピック種目の中に好きなスポーツがいくつもあるし、できることなら観戦したいところなのだが、現状を思うと気が重くなる。オリンピック、パラリンピックを推し進めたい人々の気持ちも分からないではない。人はウイルスでも死ぬが、経済的な困窮でも死ぬ。オリンピック、パラリンピックを巡る混乱の多くは、煎じ詰めると異なる価値観、異なる人生観の衝突なのだろう。

 

人が不安や不快を感じるのは、目の前にあるものが未知の存在であったり、不可解なものだからである。それらの負の感情を取り除くためには、「知る」ことが何よりの処方箋となる。

 

というわけで、今回の選書テーマは「オリンピック」である。

 

古代と近代——2つの五輪の相違と相似

オリンピックと聞いてわたしたちの多くが思い浮かべるのは、いわゆる近代オリンピックである。このスポーツの祭典に元ネタがあるのをご存じの方も多いことだろう。そう、古代オリンピックである。では、その古代オリンピックがどんなイベントであったのか、おぼろげにしかご存じでない方もいらっしゃることだろう。

 

そうした方にお勧めしたいのが、『古代オリンピック 全裸の祭典』 (トニー・ペロテット・著、矢羽野薫 ・訳/河出書房新書・刊)である。本書は文学作品や考古資料、史書などから古代オリンピックの記述や痕跡を拾い上げ、古代オリンピックの諸相に迫った本である。

 

本書の描き出す古代オリンピックの姿は、驚きの連続である。古代オリンピックは近代オリンピックとは精神の在り方がまったく違う(詳しくは本書を手に取っていただこう)。一方で、片やギリシア世界における世紀の祭典であり、片や全世界における空前の祭典となった二つのオリンピックにはあまりにも相似点が多い。

 

繰り返しになるが、古代オリンピックと近代オリンピックは立脚点がまるで異なる。にも拘わらず、なぜこんなにも鏡写しなのか――。同じイベント名を冠したことによるものなのか、それとも――? そんな感慨に襲われる本である。

 

“いだてん”金栗四三の実像に迫る

次に行こう。皆さんは金栗四三(かなくりしそう/かなぐり・しぞうとも)をご存じだろうか。大河ドラマ『いだてん』をご覧になった方は中村勘九郎の好演を覚えておられる方も多いかも知れない。一般には、1912年のオリンピックストックホルム大会のフルマラソンに出場したものの行方不明扱いとされ、戦後になってストックホルム大会55年式典の際に金栗にゴールテープを切らせる企画が催され、54年8か月6日5時間32分20秒3という前人未踏のマラソン〝記録〟を打ち立てた、という、トリビア的な逸話で知られていよう(わたしもこの逸話で知ったくちである)。

 

だが、逸話は往々にしてその人物の実像を覆い隠してしまう。だからこそ、この本をおすすめしたい。『金栗四三 消えたオリンピック走者』 (佐山和夫・著/潮出版社・刊)である。本書は名前の通り金栗四三を主人公においたノンフィクションであり、ストックホルム大会とその後の55年式典に焦点を置いて語られがちな金栗の人生を丁寧に追っている。本書は金栗だけではなく、彼が生きた時代や当時の近代オリンピックの在り方、今でも金栗を顕彰し記憶に留め続けるストックホルムの街、彼と同時代に生きながら忘れ去られた選手にまで筆を伸ばし、金栗四三という一人のスポーツ選手・スポーツ教育者のみならず、近代オリンピズムの在処にまで迫っている。

 

池波正太郎のファンタジー小説!?

次は、こちらをご紹介しよう。『緑のオリンピア』 (池波正太郎・著/講談社・刊) である。池波正太郎といえば『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』などの代表作を持ち、歴史時代小説の黄金期を支えた一平二太郎の一角を占める作家として有名であるが、実は現代小説も上梓している。本書はそんな現代小説作品で、しかも、表題作はファンタジー作品である。

 

三段跳びの選手である「僕」が、昭和28年、18歳で迎えた全日本インターハイ大会で妖精(フェアリ)のセリナ・マネットと出会うところからこの話は始まる。……いや、嘘ではない。本当にこんな導入なのである!

 

だが、「僕」は決して恵まれた選手生活を送ったわけではなかった。家が貧しかったことや諸般の事情もあり、「僕」はデパートの店員に就職し、社会人の立場でメルボルンオリンピックを目指すことになる。しかし、仕事との両立に悩み、肝心の記録も伸びない。なのだが――。

 

この作品を読むと、妖精という怪力乱神が語られているにも拘わらず、いや、そうであるがゆえに、ディテール部分の土臭さが目立つ。「僕」の社会人としての苦衷などは、今、ビジネスパーソンとして過ごしている皆さんにも刺さるところがあるのではないだろうか。だからこそ、唯一のファンタジー要素である妖精セリナの存在が大きくクローズアップされる仕掛けになっている。

 

本作は、かつての日本人が抱いていたオリンピックの夢を閉じ込めた作品のようにも思える。現代っ子であるわたしにとっても、本作に描かれている「僕」のひたむきな夢は、実に眩しい。

 

「知のスポーツ」チェスを巡る冒険

皆さんは、オリンピックに選ばれそうで選ばれていない種目の一つに、チェスがあることをご存じだろうか。

 

日本においては盤上遊技と認識されているチェスだが、西洋においては知的スポーツとして扱われており、それゆえに、オリンピック種目化の議論が時折なされるようである。2018年の平昌冬期五輪においてデモ種目として採用されるという憶測が流れたこともあり、2024年のパリ夏季五輪でもデモ種目としての採用が一部で取り沙汰されているという。

 

新たな五輪種目となるかもしれないチェスを、やや内角攻めで知ることのできる一冊といえば本書だろう。『謎のチェス指し人形「ターク」』(トム・スタンデージ ・著、服部 桂 ・訳/NTT出版・刊)である。本書は18世紀、突如として西洋社交界に現われたチェス〝ロボット〟タークを扱った本である。

 

自ら手筋を計算してチェスを指すという触れ込みのこのターク、途轍もなく強かったらしい。西洋社交界を飛び回り、数々のデモンストレーションや勝負を繰り広げた。しかも、種も仕掛けもありません、とばかりに、タークの下にあった机を開けて見せ、中に人が入っていないことを証明してみせるのが常であったという。

 

無論、現代人であればこれがいかさまであることは想像がつくところであろう(本書の著者も中に人間が入って操作していたのだろうと推測している)。しかし、本書はこのタークの存在が、人間にあらざるものがチェスを指すというコンセプトを形作り、のちのチェスAIに結びついたと論じる。

 

18世紀に生まれた大きな嘘が、21世紀に夢として結実する。想像と夢を巡る一冊とも言えよう。

 

天才達が集う「数学オリンピック」に挑む秀才

最後は漫画から。『数学ゴールデン』(藏丸竜彦・著/白泉社・刊)である。本書は数学オリンピックを目指す高校生たちの群像を描いた青春漫画である。

 

若者たちが自分の能力や才能を燃やし、コンプレックスや無力に囚われながらも、それでも見えない壁に挑み続ける姿のなんと美しいことよ。本書は「高等数学を解く」という絵的に地味になりがちなモチーフを魅力的に、かつ大胆に描き出すことに成功している。

 

この作品には様々なタイプの人々が登場する。だが、主人公である小野田春一が、天才とは程遠い秀才として描かれているのが何よりもいい。春一は高校の学年総代になることができるくらいの学力は有しているが、数学オリンピックに必要とされる天才性には恵まれない不器用な人物として描写されながら、数学の楽しさを知っている。だからこそ、本作の主役なり得る魅力を有した人物となっているのである。

 

2021年5月現在2巻まで刊行と、非常に追いやすい。手を出すなら今である。

 

 

オリンピック、パラリンピックは、夢と結びつけられることが多い。

事実、オリンピック、パラリンピックは夢であり、希望だ。それは否定できない。

だが、世の中には人の数だけ夢があり、希望があることもまた忘れてはならない。

 

いや、それをもってオリンピックやパラリンピックを否定するつもりはない。わたしが言いたいのは、自らの立場で以て誰かの夢を頭から否定してはならないということだ。それを是とすれば、己の夢も誰かに踏みにじられても文句が言えなくなってしまう。

 

相手の夢を尊重した上での議論。これからわたしたちに求められているのは、そうしたしなやかな態度なのだろう。いずれにしても、気が重い話ではあるのだが。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『吉宗の星』(実業之日本社)

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