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中国の現代美術家といわきの経営者が250年先を見据える美術プロジェクトとは?−−『空をゆく巨人』

  • 2021年3月5日
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人と人が関わるとき、思いがけない何かが起こることがある。偶然の出会いによって、火花が散るようなエネルギーがほとばしり、スパークして体を駆け抜けていく。『空をゆく巨人』には、「こんなことって本当にあるのだろうか」と、驚愕するような出会いが描かれている。

 

二人の出会いは、花火に似ている

出会ったのは、祭 國強(ツァイ グオチャン)と志賀忠重。国籍も職業も置かれた環境も違う二人が、ふとした偶然で知り合い、意気投合し、その後、長い友情をはぐくむことになるのだから、やはり、人と人の出会いは運命的なものだと思う。

 

著者・川内有緒は、二人の人生を互い違いに描きながら、ひとつの物語としてまとめ上げようとした。丁寧な取材を続け、多くの史料と格闘した甲斐があり、二人の人生はひとつになり、大輪の花火となって空に打ち上げられた。

 

著者の経歴も興味深い。彼女は最初、アメリカの企業やフランスの国連機関に勤務したが、安定した職業を辞めてフリーライターとして活動するようになった。以来、評伝や旅行記、数多くのエッセイを発表してきたが、祭國強と志賀忠重との出会いは、深い縁で結ばれていたとしか言い様のないものだった。

 

縁と言えば、『空をゆく巨人』の帯はスタジオジブリの鈴木敏夫氏によるものだが、彼は川内のことを子どものころから知っていた。たまたま同じマンションの8階に鈴木家が、9階に川内家が住んでおり、ご近所さんだったというのである。

 

ぼくはいまでも彼女のことをこう呼ぶーあっちゃん、やったね!開高健賞、おめでとう

(『空をゆく巨人』帯より抜粋)

 

ここにもひとつのスパークがある。

 

祭 國強というヒト

祭 國強は、現代美術界のスーパースターだ。日本では「さい・こっきょう」と呼ばれ、火薬を爆発させることによって描かれた作品で知られている。世界中から賞賛を集めており、展覧会も数多く行われてきた。

 

今では大活躍の彼だが、その経歴は異色である。1957年、中国は福建省の泉州という町で、祭は生まれた。父の祭 瑞欽(ツァイエイチン)は墨絵画家で、書家でもあった。長男が可愛くて仕方がなかったのだろう。國強を膝にのせたまま、絵を描いていたという。家にはたくさんの文人が集まり、文化サロンのような雰囲気に包まれていた。國強が芸術を愛するようになったのも、環境からいって当然だ。

 

泉州生まれであることも、祭 國強に大きな影響を与えた。古くから海のシルクロードの出発点として栄え、世界中の商人達が活躍の拠点としていた場所であり、世界に門戸を開く自由な空気があったからだ。

 

ところが、彼が9歳のころ、文化大革命が起こるや、それまで培ってきた価値観は大きく変わってしまう。私有財産は没収され、文化財は次々と破壊されていく。若者達は中学校を卒業後に貧しい農村に移住して肉体労働に従事するよう命じられた。いわゆる「下放」政策だ。祭は下放を逃れようと、ひとつの策を講じる。

 

「私の場合は一発勝負、劇団に入ることに賭けたです」

(『空をゆく巨人』より抜粋)

 

数千人の希望者が殺到するなか、選ばれるのはほんの十数人……。しかし、運が強いのか才能を見いだされたのか、彼は見事に合格し、舞台美術を担当するようになった。

 

来日した彼

1986年、29歳のとき、彼は日本にやって来た。自由を求めての来日だったが、成田空港に降り立つと「きついゴムと香水の匂いに驚いた」という。魚と醤油のにおいがしたという話は聞いたことがあるが、ゴムと香水の組み合わせはユニークだ。

 

無事に来日を果たしたものの、日本語も話すことができず、アーティストとしても無名な状態で、日本語学校に通いながら、銀座の画廊に自分の作品を持ち込む日々が続いた。何とか作品を買ってもらえないかと頼んでも、けんもほろろに追い返されてばかりだった。「中国には現代美術など50年経っても生まれないと思う」と、言われたこともある。

 

しかし、祭は不運を呪うでもなく、コツコツと作品を作り続け、画廊を巡り続けた。呼ばれて来日したわけではなく、自分で望んでやって来たのだから、つれない仕打ちをされても文句を言う気にはならなかったのだ。心が強いのだろう。自分の才能に自信があったのかもしれない。

 

志賀忠重というヒト

祭が銀座の画廊を巡って苦労しているころ、もう一人の主人公・志賀忠重は、福島県のいわき市で暮らしていた。彼は商才があり、携帯電話の販売代理店の事業をはじめ、英会話スクールや英語パブなど、手広く事業を展開していた。しかし、現代美術にはまったく興味がなく、見たいと思ったこともなかった。

 

接点のない二人を結びつけたのは、いわきでギャラリーを経営する藤田忠平だ。志賀と同級生だった彼は、祭の絵に魅せられ、作品を買い、初めての個展を行った。そのとき、志賀は祭の絵をとくに気にいったわけでもないというのに、藤田がいいと言うからと、ただそれだけの理由で購入を決めた。

 

当時、生活費にも事欠いていた祭は、とても喜んだ。
「どうして私の絵を買ってくれたんですか」
初めて志賀に会うなり、目を輝かせて尋ねた。
絵が素晴らしいからですよ、という答えを期待していたかもしれないが、返ってきたのは「いやあ、だって、藤田くんに頼まれたからだぁ!」という身も蓋もない返答だった。

(『空をゆく巨人』より抜粋)

 

以来、二人は友達になり、長い付き合いが始まり、現在に至る。

 

250年後を見据えたプロジェクト

いわき市での成功は祭に自信を与えた。以来、彼は人々の度肝を抜く作品を発表し始める。それはもう宇宙的規模と言うべきもので、あまりにもスケールが大きく、どう対処すべきか悩むほどだが、その発端がいわき市の個展にあったと思うと、心があたたかくなる。

 

これまで、二人は新しい試みに挑戦してきた。祭がアイデアを出しスケッチを描くと、志賀が仲間を率いてそれを具体的な形として、結実させていく。数々の作品の中でもとりわけ規模が大きいプロジェクトが「いわき回廊美術館」だ。30年にわたる祭といわきチームの物語や子ども達の絵が展示されている。同時に、周囲の山に途方もない数の桜の樹を植えるプロジェクトも進行している。福島第一原発事故で汚染されてしまった故郷に世界一の桜の名所を作る予定だという。終了予定は250年後だというのだから、ぶっ飛ぶ。

 

『空をゆく巨人』には、祭がニューヨークに移ってからの活動についても、細かく記されている。しかし、著者が一番、書きたかったのは、祭と志賀の運命のつながりだと、私は思う。人は人に傷つけられたり、苦しめられたりする。人と人が出会うとき、そこに激しい憎しみや争いが起こることも多い。

 

しかし、しかしである。祭と志賀のように、激しい個性の持ち主が独特の間合いをとって、幸福なプロジェクトを進行させていく関係も確かにあるのだ。それは私にとって、救いであり、希望である。

 

【書籍紹介】

空をゆく巨人

著者:川内有緒
発行:集英社

第16回開高健ノンフィクション賞受賞作! 現代美術のスーパースター蔡 國強と、いわきの“すごいおっちゃん”志賀忠重がアートで起こした奇跡! ふたりの30年に及ぶ類い稀なる友情と作品づくりを辿り、芸術が生み出した希望を描く感動作。

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