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そろそろ終焉!?—西日本にわずかに残る国鉄形通勤電車「103系」を追った

  • 2021年1月12日
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〜〜希少な国鉄形電車の世界その1「103系」〜〜

 

日本国有鉄道がJRとなり30数年の年月がたった。国鉄時代に誕生した電車たちも、30年以上にわたり走り続けてきたわけで、老朽化がかなり進む。姿を消す車両も増えてきた。そんななか、今も活躍する車両が少なからずある。

 

今回は国鉄を代表する“国電”として、大量輸送の時代にデビューし、日本経済を影で支えた103系のわずかに残る車両と、走り続ける姿をお届けしよう。

 

【はじめに】“国電”の代表格! 日本一の車両数を誇った103系

まずは103系とはどのような電車だったのか。見ておきたい。

 

太平洋戦争が終わったばかりの昭和20年代、都市部を中心に増大する輸送量に対応していたのは、戦前・戦中・戦後生まれの旧形電車(旧型国電とも呼ばれる)だった。吊りかけ式という古い駆動方式で、車内にモーター音ばかりか、電動機の振動が伝わり、決して乗り心地が良いものでは無かった。中には木造車も混ざり、電車の性能や編成が統一されておらず、安全装備も疎かで、悲惨な鉄道事故が多発した。

 

◆旧型電車に代わる新性能電車として生まれた101系

そんな古い旧型国電を徐々に置き換え、新しい快適な電車の導入を、ということで開発されたのが103系の先輩にあたる101系だった。101系は「新性能電車」と呼ばれる。旧形電車から変わったところは多々あったが、大きなポイントとしては吊りかけ駆動方式から、カルダン駆動方式への変更。さらに当初から編成を組むことを考慮して「ユニット」という考え方を取り入れたことが大きい。さらに扉を4つもうけ、両開きにして乗降時間の短縮を図った。

↑JRから2003年に消えた101系だったが、秩父鉄道では2014年3月まで譲渡車両が走り続けた 2010年5月3日撮影

 

運用開始は1957(昭和32)年12月のことで、1969(昭和44)年までに計1535両が製造され、中央線を始め、首都圏と関西圏の通勤輸送に従事した。ほぼ40年にわたって走り続け、JRからは2003年11月28日をもって消滅している。最後はJR東日本の南武支線を走る101系だった。その後も、譲渡された秩父鉄道では1000系と形式名を変え、2014年まで走り続けた。

 

◆経済性を重視して生まれた103系

101系の次に開発されたのが103系だった。101系が新性能電車としての最初の電車として登場したのに対して、103系はより汎用タイプの通勤形電車として設計された。

 

なぜ、103系という電車が登場したのか。101系はオール電動車編成で、既存の路線の電気設備では、その性能を発揮できなかったことが大きい。性能を活かすためには、地上の設備を増強せざるをえなかった。101系はMM’ユニット方式(動力車2両で組む)だったのに対して、103系はMT比(動力車と付随車の構成比)を1対1としている。要は性能的にオーバースペック気味だった101系に対して、103系は経済性を重要視し、路線を選ばず走らせやすくした電車を造り、“実をとった”形だった。

↑ワンマン運転用に変更された阪和線羽生支線の103系。羽生支線の103系は2018年3月で消滅している 2015年11月7日撮影

 

103系は1963(昭和38)年3月に落成。9か月にわたる試運転を繰り返した後に、1964(昭和39)年5月から山手線での運用が開始された。その後に北海道・四国を除く直流電化区間の通勤電車として投入され、製造期間は1984(昭和59)年まで合計3447両が造られた。20年間にわたり同系列の電車が造り続けられることは稀で、車両数は日本の鉄道車両で最多の車両数を誇った。

 

20年間のうち、大きな変更点は1974年以降に製造された「高運転台」タイプの変更ぐらい(一部の路線用に変更した車両はあり)で、長い間、同タイプの車両が生産されこと自体、非常に珍しい。性能面でも安定し、走らせやすかったこともある。103系は昭和期の大量輸送時代を支え、ひいては日本の高度成長を支えた電車といっても過言ではないだろう。

↑大阪環状線を走った103系の高運転台タイプ。大阪環状線での103系運用は2018年1月をもって終了している 2016年12月10日撮影

 

それほどまで大量に製造された103系だったが、末期に製造された車両ですら約40年に近い年月がたつ。JR各社に引き継がれた103系の多くの車両が、体質改善工事に加えて、冷房装置を付けるなどの改良工事を行い“延命”が図られた。とはいえ、体質改善されたとはいえ、その後に登場したステンレス車体の軽量電車などに設備面や走行面で劣ることもあり、すでにJR東日本と、JR東海の103系は全車が引退している。

 

残っているのはJR西日本とJR九州にわずかに残るのみとなった。JR西日本には48両、JR九州には15両のみ。この車両数も2020年4月1日現在のものなので、厳密にはもう少し減っている可能性もある。最大勢力を誇った103系だったが、残る車両数は全盛時のわずか2%未満となってしまったわけである。

 

そんなわずかに残る103系を見るべく、筆者は新型感染症の蔓延が広まる直前の12月中旬、西日本の各路線を巡ってみた。最新情報を含めて残る103系の姿を追ってみたい。まずは注目の奈良線から。

 

【103系が残る路線①】塗装し直された103系が走る奈良線

京都駅と奈良駅を結ぶJR西日本の奈良線。走るのは吹田総合車両所奈良支所に配置されたウグイス色の103系で、奈良線の普通列車として長く走ってきた。そんな奈良線の103系に大きな動きが出たのは2018年春のこと。阪和線で使われていた205系全車が移動、奈良線を走り始めたのだった。

 

これで奈良線の103系も見納めかと思われたが。JR西日本の205系は車両数がそれほど多くない。現在の奈良支社に配置された36両のみである。4両×9編成では足りなかったせいなのか、103系も2編成が残された。この奈良線の103系に昨秋、気になる動きがあった。

 

◆車両の現状:103系の1編成が台車まできれいに塗り直された

↑台車や排障器まで明るいグレーで塗り直されたNS409編成。いま鉄道ファンの注目を最も浴びている103系といっていい

 

奈良線に残る103系はNS407編成とNS409編成の2本のみ。このNS409編成が検査の時に、車体、そして台車、下回りがきれいに塗り直されたのである。これはもしかして? 鉄道ファンが色めき立つのも当然であろう。205系が投入されて以降、そろそろ奈良線の103系が消えるのでは、と思われてきただけに、この塗り直されたインパクトは大きい。

 

奈良線の最後の103系2編成は、今後どうなるのか。最近の傾向としてファンの集中を避けるためなのか、鉄道会社各社は引退時期などを公表しない傾向が強い。奈良線の103系も例外ではないが、塗り直しされた現状を見る限り2021年3月のダイヤ改正時の引退はなさそうである。

 

◆運用と路線の現状:運用は9通り、京都府内の複線化工事が進む

↑貴重な103系NS407編成。既存の複線化区間でも沿線にネットを張る工事が進められていた。写真は山城多賀駅〜玉水駅間で

 

乗りたい、撮影したいと考えておられる方に向けて103系の動きの調べ方と、路線の現状についてここで触れておこう。奈良線の103系と205系は普通列車として運用されている。運用パターンは42A列車から50A列車まで9通りある。筆者が確認した普通列車の運行パターンをお伝えしておこう。

 

まずは京都発の普通列車は城陽駅行と奈良駅行がある。休日ダイヤの場合ならば、8時台から10時台までに42A〜50Aの運用の大半の列車が京都駅を折り返す(47Aを除く=47Aは京都駅の大阪側留置線に日中、停められている)。運用情報はネット上に流れているので、これらのどの運用に103系が入っているのか、京都駅に朝に行けば確認できる。確認できたら、撮影地へ移動あるのみだ。

 

撮影上、一つ問題がある。駅間撮影では多くの方が撮影スポット情報を元に動かれると思う。だが、京都駅からはすでに複線区間となっている区間を除き、多くの箇所で複線化工事が進められている。そのために、既存の撮影情報があまり役立たない。奈良線に乗車したら車窓から撮影できるかどうかを確認しつつの移動をお勧めしたい。

 

京都駅側の既存の複線区間は京都駅〜藤森駅間で、中でも稲荷駅付近に駆けつける鉄道ファンの姿を多く見かけた。藤森駅以南は玉水駅付近まで各所で工事が進められている。よって背景に住宅地が入らないなど、こだわりたい場合は玉水駅から先へ行くことをお勧めしたい。

 

【103系が残る路線②】朝夕のみ6両編成が走る和田岬線

兵庫駅と和田岬駅間を走る和田岬線。路線名は通称で、山陽本線の支線にあたる。路線距離はわずかに2.7km。和田岬駅付近の工場への通勤路線として利用されている。通勤路線ということもあり、起点の兵庫駅発が平日朝の7時〜9時台と夕方の16時〜21時台のみで日中は走らない。また土曜日は大幅に本数が減り、また日曜日は朝夕にそれぞれ1往復しか走らない。平日の朝夕が最大のチャンスというわけだ。

 

◆車両の現状:スカイブルーの103系が走る。検査時には207系が代行

↑和田岬駅を発車する103系。夕方は17時以降の運行のためどうしても日が長いシーズンに限られる 写真は17時25分発の夕方最初の列車

 

和田岬線も103系が残る貴重な線区である。しかもスカイブルー(国鉄が定めた塗装色・青22号色)という多くの線区を走ったおなじみのカラーだ。しかも和田岬線の103系は、極端な改造はされておらず、103系のオリジナルの姿が色濃く残る。ホームの有効長に限界があり、6両編成という京阪神を走るJR西日本の通勤形電車にはあまりない長さ。そのため103系の検査時にも207系3両編成を2本つなげた運用で代行される。和田岬線用の103系は1編成しかないので、検査時には走らない。訪れる時には事前にネット情報などで確認しておきたい。

 

JR西日本の普通列車用の電車には205系、207系や321系が使われるのが一般的だ。現状、JR西日本の205系は4両編成で奈良線の運用以外に余裕が無い。321系は7両固定編成となっている。代行できるのは207系のみで、6両編成限定という特殊なホームの長さのため、和田岬線の103系は今後もしばらく生き残りそうである。

 

◆運用と路線の現状:朝夕のみ、しかも単線で意外に撮影地が限られる

↑兵庫運河を渡る103系。同運河には旋回式の可動橋・和田旋回橋がかかる。船の運航のための可動橋だったが現在は固定されている

 

運行は朝と夕方から夜までのみなので、乗るのには問題ないが、写真撮影となると光線の加減に悩む。訪れるならば、やはり陽の長い季節がお勧めだろう。

 

筆者も2.7kmなので、全区間を歩いてみた。神戸市内を走る都市部の路線のためもあり、路線はほぼフェンスに覆われている。フェンスが途切れる踏切付近か、フェンスが比較的低めの川崎重工業兵庫工場付近。また視野が開けた兵庫運河での撮影が無難だ。

 

路線は兵庫駅からカーブして、途中から東南にある和田岬駅へ向けて直線的に走る。路線の角度が微妙で、朝に走る列車は順光で撮影できる場所が限られる。撮影には多少の難がある路線だが貴重な姿をやはり納めておきたいものである。

 

【103系が残る路線③】これが103系? 驚きの加古川線の電車

兵庫県の加古川駅と谷川駅を結ぶJR西日本の加古川線。全線単線で直流電化されている郊外路線である。この路線には103系3550番台という、103系としてはかなり異質な姿の電車が走っている。

 

モハ103形、モハ102形の2両がコンビとなっていて、両車両ともに先頭車に改造されている。前面は貫通扉付きの3枚窓という姿になっている。103系の面影はほぼ残っておらず、そのためか、鉄道ファンにはあまり人気が無いのがちょっと残念なところだ。

 

◆車両の現状:元常磐線103系と同色の2両×8編成が走る

↑青緑の車体、正面にブラックの塗装が行われる加古川線用の103系3550番台。昼よりも平日の朝夕の運用に使われるケースが多いようだ

 

前述したように、先頭車改造が行われているだけに、特異な姿となっている。カラーは国鉄では青緑1号と呼ばれた塗装で、以前に走っていた常磐線の103系と同じ青緑色だ。車両は2両×8編成の16両(2020年4月1日現在)で、網干(あぼし)総合車両所明石支所加古川派出所に配置される。車両基地名は長いが基地は加古川線の厄神駅(やくじんえき)に隣接して設けられている。

 

◆運用と路線の現状:日中は125系1両での運用列車が増えている

↑西脇市駅行の103系電車。写真でわかるように、西脇市方面の車両はパンタグラフが2つ装着される。1つは冬期の霜取用だ

 

加古川線の103系は加古川駅〜西脇市駅間の運用が主体で、加古川駅と車両基地がある厄神駅間の列車も多い。加古川線では103系とともに125系が使われている。125系は1両での運行が可能な電車で、加古川線には2004(平成16)年に導入されている。当初、125系は加古川駅〜西脇市駅間で運用されることが少なかったものの、現在は全路線で使われる。加古川駅〜西脇駅間では、日中はむしろ125系の運用が多くなっているように見受けられた。

 

103系との出会いを求めるならば、2両、4両での運用が多い朝夕に訪れることをお勧めしたい。

 

【103系が残る路線④】電化区間はまだ103系の天下の播但線

今回紹介するJR西日本の路線の中で、103系が最も“安泰”なのは播但線(ばんたんせん)と言って良いのかも知れない。播但線は兵庫県の姫路駅と和田山駅を結ぶ65.7kmの路線で、そのうち姫路駅〜寺前駅間が直流電化されている。

 

◆車両の現状:電化区間の大半の列車は103系での運用に

↑播但線の溝口駅付近を走る103系3500番台。正面の窓は支柱の無いタイプに改造されている、ほか改造点が多い車両だ

 

電化されている区間では、特急「はまかぜ」などを除き103系3500番台の電車で運用されている。3500番台は播但線が1998(平成10)年に電化された時に投入された車両で、103系初の2両での運用が可能なように改造された。網干総合車両所に2両×9編成18両が配置されている。車両カラーはワインレッド。体質改善工事とともにワンマン運転が可能なように改良されている。

 

見ると確かに103系の面影は残しているものの、運転席の窓は2本の支柱がない1枚ガラスで、ワイパーが運転席の前と、反対側の上からぶら下がるように設けられている。反対側はワンマン運転用で、ホーム上に設置されたミラーで後ろを確認しやすくするための設備であろう。

 

前照灯や行先表示、列車番号の表示の据え付け部分が、楕円の縁取りではなく、四角い据付け部で、いかにも後付け感がいなめない。

↑溝口駅で上り下り列車が待ち合わせを行う。103系のオリジナルな姿は薄れているものの昭和レトロの趣がたっぷり

 

◆運用と路線の現状:姫路駅〜福崎駅間は30分間隔で103系が撮り放題

ほとんどの列車が103系で、しかも姫路駅〜福崎駅間は20分〜30分間隔で列車が走っている。それこそ撮り放題で103系の姿が楽しめる。

 

とはいえ姫路駅〜野里駅間は高架区間で、さらにその先も、国道312号が平行して走り、民家が多く見通しの良いところがなかなかない。仁豊野駅(にぶのえき)から北側で、ようやく畑地なども多くなる。仁豊野駅〜福崎駅がお勧めの区間と言えるだろう。

 

体質改善をしているとはいえ、乗った印象は103系そのもの。駅では高らかにブレーキ音が響かせて停車する。今の電車のような静けさ、スムーズ感は無いものの、ひと時代前の通勤電車の“強烈さ”が感じられる。これはこれで新鮮そのもの。ぜひとも体験しておきたい“違い”が感じられる。

↑播但線を走る103系3500番台を側面から見る。ドアや窓は体質改善工事により元とはかなり異なるものになっている

 

【103系が残る路線⑤】筑肥線に残る103系はかなり個性的な姿

JR西日本は車両を長く使う傾向があり、国鉄形電車が多く残る。JRグループでほかに103系が残っているのがJR九州だ。JR九州で唯一の直流電化区間となっている筑肥線(ちくひせん)の一部区間を走る。

 

◆車両の現状:国鉄時代に生まれた103系1500番台が15両ほど残る

↑福岡市地下鉄に乗り入れをしていたころの103系。現在は筑前前原駅から西の路線のみに運用が限定されている

 

筑肥線を走る103系は1982(昭和57)年に、筑肥線(列車は唐津線の西唐津駅まで走る)と、福岡市地下鉄1号線が相互乗り入れを開始するに当たって生まれた。当時造られたのは6両編成9本、計54両だった。103系の主力車両とは異なり、地下鉄線内を走ることから、前面に貫通扉を設けているところが異なる。デザインは、同時期に製造された地方電化線区用の105系に近い。中央に貫通扉、3枚窓を備える。

 

登場当初は玄界灘のイメージからスカイブルーの地に、クリームの帯を付けた塗装だったが、JR九州となった後には前面と乗降扉がレッドに、また側面の車体はアルミふうにグレーで塗られている。

 

◆運用と路線の現状:筑前前原駅〜西唐津駅間でワンマン運転を行う

↑一貴山駅(いきさんえき)〜筑前深江駅間を走る103系。同地区は広大な田園が広がり撮影にも向いている区間だ

 

筑肥線には103系の後に303系、305系が登場した。後継車両の運用が増えるにしたがい、地下鉄への乗り入れ列車が減っていった。現在は同線を走る103系は3両×5編成、計15両のみとなっている。車両の配置は唐津車両センターで、筑前前原駅〜西唐津駅間のみの運行に限定されている。福岡市内から直接乗り入れる列車を除き、同区間のみを走る列車は大半が103系で、決して珍しい存在とはなっていない。

 

筑前前原駅〜西唐津駅の間には広大な田園地帯や、玄界灘に沿って走る区間、また虹ノ松原といった景勝地もあり、撮影地には困らないといった印象。赤とグレーという華やかな103系もなかなか写真映えする。乗って撮って楽しい車両となっている。

 

次週からも、希少になりつつある国鉄形電車の現状および紹介を少しずつお届けしたい。お楽しみに。

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